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エピローグ
〝アマミヤ〟
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星新一の『午後の恐竜』を片手に、僕は病室を後にした。
「アマミヤくん。一時退院おめでとう」
病院の出口まで主治医の先生は見送ってくれた。数人の看護師さんたちと一緒に、笑顔で僕に手を振っている。
「ここまで回復できたのは君自身の力だよ。君の生命力が病気に勝ったんだ」
「気が早いですよ、先生。まだ一時帰宅です」
奥の駐車場では、両親が車を停めて僕を待っている。僕は軽く手を振って、もう一度先生たちに向き直った。
「一週間後にはまた病院にくるんですから。まだまだ病気を倒すには、時間がかかりそうですしね。ちょっと家で休憩してくるだけです」
冗談混じりに言うと先生たちは一様に苦笑した。
「まったく、病気よりもその怪我のが心配なくらいだな」
「これですか?」
ギプスの巻かれた左腕を、僕はひょいと掲げてみせた。
「今の君になら、訊いても大丈夫かもしれないな。……どうして病室から飛び降りたりしたんだ?」
「死のうと思ってしたわけじゃ、ないですよ」
つい暗い表情を見せてしまったのか、先生は慌てた調子で「もちろんわかってる」と付け足した。
きっと、嘘だろう。病院内の誰もが僕の飛び降りを自殺だと考えたはずだ。病気を悲観しての、自殺。それ以外に自ら身を投げる理由なんて普通考えられない。
「先生。僕、命を試したんです」
「試した?」
「最初は先生の言うとおり自殺するつもりでした。でも、僕の――大切な友達が、『君は独りじゃない』って言うんです。独りじゃないだなんて、その言葉だけ聞いても陳腐な言葉でしょう? 何の説得力もないし、心にも響かない。そんな使い古された言葉先生だって親だって言わない。実際、僕は独りなんだ。
でも、彼女は僕なんかよりもっと独りぽっちだったんです。どうしようもない恋をして、既に死ぬことを選んでた彼女は独りぽっちでした。でも、それでも自分は独りじゃないってことを知ってた。
僕に教えてくれたんです。さよならしようよって。ばいばいって手を振ろうって。そうしても独りじゃないよって、不思議なことを言うんです。でも、正しい。正しいんです。僕はどうしたらいいかわからなくなりました。僕と彼女、どちらからばいばいを言い出すべきなのか」
先生は唖然としていた。僕も、一から説明するつもりなどなかった。
「だから、命を試すことにしました。僕が生きるべきなのか、それとも、僕が死んで僕のかわりに彼女が未来で生きるべきなのか。
もう僕にも彼女にも選べない状況なら、天に任せるしかない。そう思ったんです。この世界が、自殺を認めようとしないっていうこの世界が、より生かしたいと願っている方、どちらかが生きるんです」
そして、その結果。
「世界は僕を選びました。このとおり、左腕の骨折と額を擦りむいただけで済みました。でも今思えば、飛び降りる前から僕は死なないことがわかっていたのかもしれません。もしかしたら僕や彼女以外にも僕が死ぬことを拒んだ人がどこかにいるのかもしれません。だって、僕、走馬灯を見ませんでしたから」
最後は冗談っぽく言いながら、ギプスを下げて『午後の恐竜』の表紙を先生に掲げた。
先生は少し首を傾げた後、「もちろんだとも。先生も、ご両親も、君が生きてくれることを望んでる」と言って踵を返した。
僕が自殺未遂をした日から小晴さんは姿を現さなくなった。僕も、こことは違う――僕だけの世界に飛ばされて航海することもなくなった。
嘘のように僕の前世たちは消えてしまった。
けれど、あれは夢や幻なんかじゃない。僕の前世たちは確かに存在していた。
今更この話を誰かにしたところで誰も信じないだろうけど、僕は小晴さんと会ってから窓枠に足をかけるまでの短いその間に、彼らの生き様を見届けたんだ。
でも、一番目の僕にも、十二番目の僕にも、結局出会えなかった。
二人はなぜ、僕の世界から姿を消していたのだろう。
追憶の世界が消えた今、もう僕にそれを知る術はない。
ただひとつ僕にわかる確かなことは、僕の来世である十四番目――小晴さんの存在は、僕が自殺しなかったことによってこの世界に生を受けることはなかったということ。
僕が生きたことによって十四番目は永久に欠番となった。だから、一番目と十二番目が欠番であることも、きっと悪いことじゃない。
二人が僕の中にいないことによって救われた誰かがいる――。そんなふうに考えてしまうのは、ちょっと都合がよすぎるだろうか?
――ねえ、小晴さん。
この命の中に小晴さんの命もある。
僕が生きてしまった所為で来世の彼女が生まれることはなかったけれど、僕は己を犠牲にしてまで僕を自殺の運命から救おうとした彼女のことを忘れていないし、これからも忘れない。
本当は別にどっちでも良かったんだよ、小晴さん。
僕が生きようが君が生きようが。別れても独りじゃないんだから。
なんで僕が生きたのかっていったら、わからないけど、運命以外に理由があるのだとしたら、きっと僕がはかり知ることのできない小晴さんの想いがあるのだろう。
そう、小晴さん、僕は最後まで君のことがはかり知れなかったんだ。
君の、想いの量。
僕の勘違いなんかじゃなく、受け取った想いの量。
どう考えても釣り合わないよね。僕は何にも君に与えていやしないのに、どうしてあの時君は、僕が窓枠に足をかけた病室で、あんなに泣いていたんだ。叫んでいたんだ。僕の自殺を止めようとしていたんだ。
最初で最後のデート。
ビルから飛び降りる、手を繋いだふたつの影。
あれが本来訪れるべき君の最後だったっていうんなら、一体もう一人は誰だったのかな。
ここだけの話、僕にはあれが僕自身に見えたんだ。そして君が言っていたように絶望と苦痛にまみれた悲劇の死にはとても見えなかった。
悲劇だけじゃない自殺も、あるのかな。
誰かを救う死も、選べるのかな。
だったら小晴さん、もし君が言ったようにこの並行世界の中にひとつだけ自殺が存在しない理想の世界があるんだとしたら、そこはきっと渇いた世界だね。
「さよなら」の重みがない。
「ばいばい」の温かみがない。
無言で背中に呼びかける「またね」がない。
そんな世界は、君も望んじゃいないよね。
……色々考えたり、悩んだり、想い続けたりはしたけれど、最後の最後まで小晴さんがどういう人だったのか僕にはわからなかった。
どういうふうに前世に恋をしたのだろう。
どんな十七年間を送るはずだったのだろう。
彼女と接した時間はあまりにも短かった。もう僕が彼女を知ることはない、けれど。
「くれぐれも安静にね、アマミヤくん」
最後に振り返って、先生はばいばいと手を振った。
「はい。さようなら、先生」
――さようなら、小晴さん。
ギプスをしている所為で不自由な左手を庇いながら、『午後の恐竜』をわきの下に挟んで僕も手を振る。
小晴さんに出会わなければ決して生まれることのなかった、ギプスと走馬灯を抱えた別れ際のさりげない仕草。
ああこれなんだ、と僕は嬉しくなっていつまでも手を振っていた。
了
「アマミヤくん。一時退院おめでとう」
病院の出口まで主治医の先生は見送ってくれた。数人の看護師さんたちと一緒に、笑顔で僕に手を振っている。
「ここまで回復できたのは君自身の力だよ。君の生命力が病気に勝ったんだ」
「気が早いですよ、先生。まだ一時帰宅です」
奥の駐車場では、両親が車を停めて僕を待っている。僕は軽く手を振って、もう一度先生たちに向き直った。
「一週間後にはまた病院にくるんですから。まだまだ病気を倒すには、時間がかかりそうですしね。ちょっと家で休憩してくるだけです」
冗談混じりに言うと先生たちは一様に苦笑した。
「まったく、病気よりもその怪我のが心配なくらいだな」
「これですか?」
ギプスの巻かれた左腕を、僕はひょいと掲げてみせた。
「今の君になら、訊いても大丈夫かもしれないな。……どうして病室から飛び降りたりしたんだ?」
「死のうと思ってしたわけじゃ、ないですよ」
つい暗い表情を見せてしまったのか、先生は慌てた調子で「もちろんわかってる」と付け足した。
きっと、嘘だろう。病院内の誰もが僕の飛び降りを自殺だと考えたはずだ。病気を悲観しての、自殺。それ以外に自ら身を投げる理由なんて普通考えられない。
「先生。僕、命を試したんです」
「試した?」
「最初は先生の言うとおり自殺するつもりでした。でも、僕の――大切な友達が、『君は独りじゃない』って言うんです。独りじゃないだなんて、その言葉だけ聞いても陳腐な言葉でしょう? 何の説得力もないし、心にも響かない。そんな使い古された言葉先生だって親だって言わない。実際、僕は独りなんだ。
でも、彼女は僕なんかよりもっと独りぽっちだったんです。どうしようもない恋をして、既に死ぬことを選んでた彼女は独りぽっちでした。でも、それでも自分は独りじゃないってことを知ってた。
僕に教えてくれたんです。さよならしようよって。ばいばいって手を振ろうって。そうしても独りじゃないよって、不思議なことを言うんです。でも、正しい。正しいんです。僕はどうしたらいいかわからなくなりました。僕と彼女、どちらからばいばいを言い出すべきなのか」
先生は唖然としていた。僕も、一から説明するつもりなどなかった。
「だから、命を試すことにしました。僕が生きるべきなのか、それとも、僕が死んで僕のかわりに彼女が未来で生きるべきなのか。
もう僕にも彼女にも選べない状況なら、天に任せるしかない。そう思ったんです。この世界が、自殺を認めようとしないっていうこの世界が、より生かしたいと願っている方、どちらかが生きるんです」
そして、その結果。
「世界は僕を選びました。このとおり、左腕の骨折と額を擦りむいただけで済みました。でも今思えば、飛び降りる前から僕は死なないことがわかっていたのかもしれません。もしかしたら僕や彼女以外にも僕が死ぬことを拒んだ人がどこかにいるのかもしれません。だって、僕、走馬灯を見ませんでしたから」
最後は冗談っぽく言いながら、ギプスを下げて『午後の恐竜』の表紙を先生に掲げた。
先生は少し首を傾げた後、「もちろんだとも。先生も、ご両親も、君が生きてくれることを望んでる」と言って踵を返した。
僕が自殺未遂をした日から小晴さんは姿を現さなくなった。僕も、こことは違う――僕だけの世界に飛ばされて航海することもなくなった。
嘘のように僕の前世たちは消えてしまった。
けれど、あれは夢や幻なんかじゃない。僕の前世たちは確かに存在していた。
今更この話を誰かにしたところで誰も信じないだろうけど、僕は小晴さんと会ってから窓枠に足をかけるまでの短いその間に、彼らの生き様を見届けたんだ。
でも、一番目の僕にも、十二番目の僕にも、結局出会えなかった。
二人はなぜ、僕の世界から姿を消していたのだろう。
追憶の世界が消えた今、もう僕にそれを知る術はない。
ただひとつ僕にわかる確かなことは、僕の来世である十四番目――小晴さんの存在は、僕が自殺しなかったことによってこの世界に生を受けることはなかったということ。
僕が生きたことによって十四番目は永久に欠番となった。だから、一番目と十二番目が欠番であることも、きっと悪いことじゃない。
二人が僕の中にいないことによって救われた誰かがいる――。そんなふうに考えてしまうのは、ちょっと都合がよすぎるだろうか?
――ねえ、小晴さん。
この命の中に小晴さんの命もある。
僕が生きてしまった所為で来世の彼女が生まれることはなかったけれど、僕は己を犠牲にしてまで僕を自殺の運命から救おうとした彼女のことを忘れていないし、これからも忘れない。
本当は別にどっちでも良かったんだよ、小晴さん。
僕が生きようが君が生きようが。別れても独りじゃないんだから。
なんで僕が生きたのかっていったら、わからないけど、運命以外に理由があるのだとしたら、きっと僕がはかり知ることのできない小晴さんの想いがあるのだろう。
そう、小晴さん、僕は最後まで君のことがはかり知れなかったんだ。
君の、想いの量。
僕の勘違いなんかじゃなく、受け取った想いの量。
どう考えても釣り合わないよね。僕は何にも君に与えていやしないのに、どうしてあの時君は、僕が窓枠に足をかけた病室で、あんなに泣いていたんだ。叫んでいたんだ。僕の自殺を止めようとしていたんだ。
最初で最後のデート。
ビルから飛び降りる、手を繋いだふたつの影。
あれが本来訪れるべき君の最後だったっていうんなら、一体もう一人は誰だったのかな。
ここだけの話、僕にはあれが僕自身に見えたんだ。そして君が言っていたように絶望と苦痛にまみれた悲劇の死にはとても見えなかった。
悲劇だけじゃない自殺も、あるのかな。
誰かを救う死も、選べるのかな。
だったら小晴さん、もし君が言ったようにこの並行世界の中にひとつだけ自殺が存在しない理想の世界があるんだとしたら、そこはきっと渇いた世界だね。
「さよなら」の重みがない。
「ばいばい」の温かみがない。
無言で背中に呼びかける「またね」がない。
そんな世界は、君も望んじゃいないよね。
……色々考えたり、悩んだり、想い続けたりはしたけれど、最後の最後まで小晴さんがどういう人だったのか僕にはわからなかった。
どういうふうに前世に恋をしたのだろう。
どんな十七年間を送るはずだったのだろう。
彼女と接した時間はあまりにも短かった。もう僕が彼女を知ることはない、けれど。
「くれぐれも安静にね、アマミヤくん」
最後に振り返って、先生はばいばいと手を振った。
「はい。さようなら、先生」
――さようなら、小晴さん。
ギプスをしている所為で不自由な左手を庇いながら、『午後の恐竜』をわきの下に挟んで僕も手を振る。
小晴さんに出会わなければ決して生まれることのなかった、ギプスと走馬灯を抱えた別れ際のさりげない仕草。
ああこれなんだ、と僕は嬉しくなっていつまでも手を振っていた。
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