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キス xxxx
9-3 卒業
しおりを挟む「うわ。大騒ぎだよ。先生」
「いいから早く乗れって」
夏清が乗るのと同時にタイヤを派手に軋ませて井名里が車を出す。追っ手を完全に振り切るために後ろの通用門を減速なしで突き抜けて、もう一度タイヤが悲鳴を上げるほど強引に曲がって公道にでる。その音に辺りにいた人たちがこちらを見ている。
「あ、しまった。卒業証書持ってくるの忘れた」
「構うか。今度俺が取ってきてやるよ」
「でも先生、どうするの? このまま失業するかもね」
きっと大騒ぎだろう。明日明後日は土日なので休みだが、月曜日からまた井名里は通常の業務があるはずなのに、どうやって出勤するつもりなんだろう。
「するか。こういうときの国会議員と教育委員会関係のコネだろうがよ」
「……そんな、汚い大人の見本みたいなこと……」
国会議員とはそのまま父親のことを指すのだろうし、教育委員会関係のコネは北條のことだろう。
「今まで遠慮してた分、骨の髄までスネにかじりついてやる」
「先生、それ、もうすぐ二十九になる男の言っていいセリフじゃない。それに先生、別に公立じゃなくても私立とかからお誘いあるでしょ」
生徒にしてみれば横暴なくらい強引な授業だが、実際新城東高校は、県立高校が一斉に行う学力試験をすると県下一で数学の平均点が高い。なんだかんだと言いながら、それなりに生徒は井名里の授業を受けて実力をつけている。
そう言った事実を嗅ぎ付けた私立の進学校から幾度となく誘いを受けては、条件も聞かずに断っている。
「あほう。俺は地道に公務員やってくんだよ。私立なんかに行って行動範囲に余裕が出たらまたいらん波風立つだろうが」
井名里真礼が井名里家と血縁ではなかったと知れたとたんに、井名里の周りが突然騒がしくなった。毎日のように井名里数威の後援会の人間から、跡を継ぐようにと矢のような催促。やっと最近静かになったところなのだ。
「でも、先生ってどうして先生になったの? 私ね、それずーっと前からものすごく疑問だったの」
「ん? 理由? 簡単だ。将来なんになるんだって聞いてきたのが高校教師だったから、じゃあアンタがなれたなら楽勝だから同じのって」
「………カンタンすぎ」
「良かったんだよ別に。仕事なんざなんでも。政治がらみでなければ。お前こそなんで教育学科?」
それこそ他にもあっただろうと井名里が問う。
「え? うーん。やっぱりカンタンかな。先生が先生だったから、私もって思ったの。私がなりたいのは高校じゃなくて小学校だよ」
笑いながら夏清がそう言って、走っていたとき握ってしまって少しよれよれになった丸まった紙を手の上で転がす。
「証人って、大人になってもいるんだ」
「らしい。昨日夏清の分だけでいいだろうと思って響子さんのところに行ったら自分の分は? とか言われてな。慌てたぞ。今日渡すつもりだったから。東京の家に電話かけたら国会で予算審議中のクセに地元に帰ってやがるし」
「先生でも知らないことってあるんだ?」
「あたりまえだ。見るのも書くのも初めてだぞ」
「そりゃそうだね」
ちらりと見ただけだが、なんだかイロイロめんどくさそうな書類だった。
「……これに書いてもらうの、なんか言われた?」
北條はあっさり書いてくれそうだが、井名里数威のほうはどうだったのだろうと、夏清が少し不安そうな顔で井名里を見ながら問う。
「言われた言われた」
「………なんて?」
黄色になりかけた信号の前で減速して止まる。わざとらしいため息をひとつついて井名里が真顔で、耳を伏せた子犬のようにびくびくしながら井名里を見つめ返している夏清を見る。
「進学するのにごたごたしてるのが落ち着いてからでいいから東京の家に飯食いに来いってさ」
にやりと笑って、放っていると大事な書類を握りつぶしそうになっている夏清から、さりげなくそれを取って井名里が自分の胸ポケットにしまう。
「いやならいいけど?」
「行くっ!!」
「言っとくけど今すぐは無理だからな。まだ向こうにいるだろうし」
このまま行こうと言い出しそうな夏清よりも先に井名里がけん制する。
「コレから行くトコはもう決まってるし」
「は? 家に帰る……んじゃ……ない、ね」
言われて初めて気づいたのかいつもと違う風景にきょろきょろと夏清が首をめぐらす。
「どこ行くの?」
「イイトコに連れてってやるって言っただろうが。当てたら教えてやるよ。もう着くけど」
「着くなら先に教えてくれてもいいじゃな……い?……」
目の前にある建物に、夏清が口をサイレントで動かす。
キョーカイ?
晴れ渡った3月の青い空と白い建物のコントラスト。その前にある駐車スペースに車が止まる。
「………だから、言っただろうが。卒業式が終わったら渡すつもりだったって」
あがあがとわけの分からない動きを続ける夏清を車内に残したまま、井名里が降りて助手席のドアを開ける。
「予定よりだいぶ早かったけどあいつら来てるかな」
「ってか早すぎ。あんたらバカっぽいことやらかしたって?」
「バカとか言うな。仕方ないだろうが」
背の高い人物が携帯電話を片手にもってくすくすと笑いながら近づいてくる。
「どーして、人に黙ってこういうことするの?」
何とか立ち直ったらしい夏清が、シートベルトを外して外に立つ。
「ああ。この前の仕返し。お前よりは準備期間は短いぞ」
「………」
「あら、楽しいことの片棒担ぐのは好きよ」
「今日もまたウルトラゴージャスですね……ミカさん……」
腕に下げたブランド物のバッグに電話をしまって艶然と微笑みながら隣に立った人物を見て夏清がつぶやく。
「結婚式に呼ばれた時のコンセプトは『花嫁より目立つ』でしょ?」
「店長はいつでもどこでも誰よりも目立ってないと気がすまないじゃないでしょう。でっかいのがカベになってないでどいてくださいよ。肝心の少女が出せないじゃないですか」
はい邪魔邪魔、と言いながらツインテールの巻き毛頭を井名里とミカの間につっこんで、店員の志真が顔を出し、夏清の腕を掴んで引っ張り出す。
「じゃあ。少女はいただきましたから」
「え? ええっ!?」
誰にも有無を言わさずにそのまま夏清を引きずるように志真が遠ざかる。
「どのくらいかかるんだ?」
「値段? 時間?」
「カネはちゃんと払うって言ってるだろうが。時間だ時間」
「さー……でもしーちゃんも翔子ちゃんも手際はいいはずだから速かったら三十分くらいでできるんじゃない? ちょっと待ってどこ行くの?」
「ドコって、ヒマだし茶店行ってくる」
敷地内から出て行こうとした井名里の襟首を掴んでミカが引きずり戻す。
「まさかそのままでいるつもりじゃないでしょうね」
「いいだろ別に。礼服だし」
担任するクラスが卒業生と言うこともあって、井名里が着ているのは黒のモーニング。
「アンタ何考えてるのよ。どこに黒い新郎がいるの。アンタの分も用意しておいてあげたから着替えなさい」
「オイコラ。頼んでないぞ」
「祝儀よ祝儀。白のエナメルでリボンついた靴、履かせてあげるから」
「いやがらせか、それは」
「結婚式って言うのはね、新郎新婦が見世物になってナンボのもんよ」
引きずられながらそう言い切られて、諦めたように井名里がため息をついた。
「だからどうしてウエディングドレスがミニなの?」
芸能人でもあるまいし。
「あら。だってだって似合うでしょ?」
「やっぱり先生のリクエスト?」
「んーん。これは私の独断と偏見。彼、ウエディングドレスにミニがあるなんて知らないんじゃない? 知ってたら絶対それで注文入ってただろうねぇ」
控え室に入れられて、最初に巻かれたカーラーを取りながら笑って志真が言い切る。
くるくると器用な手つきで巻かれた髪を結い上げてピンを留め、生花を飾る。
「若い子っていいわよねぇ なんにもしなくてもお化粧のノリが違うわよ。目もとの青もうちょっと乗せたほうがいいかな?」
口紅をパレットの上で何色か混ぜて色を作りながら、翔子が夏清の顔を覗き込む。
「これでいいと思うよ。この少女、際立たせなくても目じりはしっかりしてるもん」
「オッケー。はい、上向いて口の力入れて。ん。ってカンジで。そうそう」
言われたとおり夏清が顎を上げて口を結ぶ。翔子が唇のラインに沿ってペンシルを入れて、作った色をブラシにつける。
「じゃ今度はちょっと開いて。そんなバカみたいにあけなくていいから。はいそのまま」
手際よくブラシを走らせて、左右から確認するように眺める。
「よし。我ながらすばらしい出来だね」
「アタマもできた。どう?」
「よいのでないの?」
「………アリガトウゴザイマス」
ふわふわくるくるした髪型の自分が鏡の中からこちらを見ている。びっくりするくらいきれいに化粧されていることも手伝って、それが自分なのかイマイチ確信がもてない。
つけてもらった花が取れない程度に首を動かして、鏡の中の人物が自分自身だと確認していると、ドアがノックされてひょこひょこと実冴のところの双子が顔を出す。
「終わったから入っていいわよ」
入り口に立ったままなかなか入ってこない双子に志真が声をかけるとそっとドアを押して部屋に入ってくる。
てけてけと照れたようなしぐさで夏清の隣までやってきて、二人一緒ににぱりと笑う。
「夏清ちゃんきれー。ねっー」
タイミングもばっちりでそう言って双子が顔をあわせてまた笑う。
「あのねあのね、これ私と慶(けい)ちゃんで選んだの」
ずっと後ろ手に隠していたものを前に出して、双子の女の子、逢がかわいらしいブーケを差し出す。
「僕たちからのおめでとうなの」
「ありがとう」
大きさも色もとりどりの花がアレンジされたブーケを受け取って、一緒になって笑っていると車を止めてきたらしい実冴と公が現れてさして広くない控え室は満員御礼になる。
「あーあ。キレイになっちゃって。さっきまで泣きながら答辞読んでた人とおなじだとは思えないくらい」
「……その記憶、消去してください……」
ここに居る人物の中で唯一あの現場に居合わせていた実冴にそう言われて、夏清が降参と言いたげにがっくり肩を落としてつぶやく。
「あっちも準備できたみたいだし、そろそろ行こうか」
座っていた夏清に、公が手を差し伸べる。
「はい」
公に連れられて入ってきた夏清を見て、ほんの少し驚いた顔をした井名里に一歩ずつ近づいて。
「びっくりした?」
「ちょっと。よかったな、ヘソが見えるようなやつじゃなくて」
「がっ!! 忘れてたんだから思い出させないで」
今朝のことを言われて、夏清がうめく。こそこそと喋っていると、咳払いをされて進めてもいいですかと聞かれた。ぶっつけ本番でどきどきしたけれど、ちゃんとカンペがあって、そのとおりやっていれば何とかなるものだ。
指にある、裏も表もないメビウスの輪。どこまでも永遠に繋がるもの。
瞳を閉じて。
誓いますか? と、改めて問われると、どきりとする。
でも誓うのは神様ではなくて、きっと自分自身と、そして相手に。
全ての始まりのキスを。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
本編完結!
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!!
後しばらく、いくつか続編や番外編が続きますのでお付き合いいただけるとありがたいです。
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