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キス xxxx
9-2 卒業
しおりを挟む型どおりの校長の挨拶。型どおりの来賓の挨拶。送辞があって、答辞。
舞台に上がって、もうすでに暗記してしまった縦書きの文章に目を落とす。
型どおり。去年のそれとほとんど変わらない言葉をマイクに向かって喋るだけ。
ふと視線に気付いて見ると草野が笑って右手の人差し指をくるくる回している。早く終われと言うことなのだろう。
それを見て、不意に気が緩む。笑ってしまってから、しまったと思ったときには涙がぼろぼろ落ちてくる。
「あれ?」
戸惑うような自分の声がスピーカを通して聞こえる。どうして泣いているのだろう。
どこまで読んだか分らなくなる。全部覚えていたのに、頭の中が真っ白だ。
突然泣き出した本人もだが、周りはもっと驚いているようで、ざわざわと騒がしくなる。誰も夏清が泣くなどとは思っていなかったのだから当然か。
どうするよ? と草野が井名里を見る。わざとらしく息をついてゆっくりとした動作で井名里が立ち上がってステージの演台の前に立つと同時に、ざわめきがすとんと落ち着く。
制服の袖で顔を拭きながらまだ泣いている夏清を見る。井名里が笑ったのを見たのは、正面にいた夏清だけだ。
「ナニなんでもないところで泣いてんだよ、お前は」
低い声が静まった講堂の中に不思議とよく通って聞こえた。
「だって」
夏清の小さな呟きがマイクを通して拡張される。
「だって、先生、最後最後って、もう、朝から何回もうれしそうに言うし。言われて考えたら、ホントにもうクラスメイトなのにもしかしたら二度と逢えない人だっているかも知れないし。そう思ったら最後ってすごい悲しいでしょ?」
途中何度か鼻水をすするような音をはさんで夏清が続ける。
「そんなのやだ。もっとここにいる。みんなや先生とここにいたい。卒業なんかしたくない。先生、私が卒業しちゃってうれしい?」
もう毎日、学校と言う場所で逢えなくなるのに。大学に進学すれば、今までみたいに四六時中顔を合わせられることはなくなる。
「あたりまえだろうが」
さらりと言い切られて、さらに盛大に涙がこぼれる。
「夏清」
名前を呼ばれて、夏清がびくりと肩を震わせる。こんな場所で苗字ではなく名前で呼ばれて、心臓が突然一拍分倍の量の血を送り出すような音で鳴る。
整髪料をつけてきちんと整った髪を掻いて井名里がどうしたもんかなと苦笑する。
このまま夏清が泣きつづける限り、彼女の希望どおり式は終わらない。
「ちゃんと受けろよ」
言われて、ハイ? と涙で濡れた顔を上げると井名里が礼服の胸ポケットからクルクルと巻かれた紙を取り出して、どうやったのか造花を一緒にくっつけて投げて寄越す。
受けるも何も、正確に胸元に飛んできたそれを夏清が難なく受け止める。
「卒業してうれしくないか? 嬉しいに決まってるだろうが」
憮然とした様子で腕を組む井名里と手の中の紙を交互に見る。造花を留めているのは、細いリング。なだらかな曲線で、メビウスの形に表の金と裏のプラチナが重なり合っている。
造花を外して、指輪を紙から引き抜く。指輪をぎゅっと握りしめて。
開かなくても、これが何なのか分ったけれど。
A3版の薄っぺらい紙に印刷されたこげ茶の文字とワク。
見慣れた、きれいだけれどハネ具合が微妙に歪んだ性格を現している文字。
紙がへこむくらい力いっぱい押し付けられた朱い判。
右側にある証人の欄には、おそらくものすごい達筆なのだろうけど、一筆書きみたいになった井名里数威の名前と、その隣には教科書のお手本みたいに癖のない文字で綴られた、北條の名前。
「お前が卒業しないとどうしようもないんだよ。せっかく昨日地元に帰ってやがったバカのとこまで行ってきた俺の苦労はどうなる」
ため息のように、愚痴を言う井名里を見て、夏清が泣きながら笑う。
「来いよ。こんなところよりもっとイイトコに連れてってやるから」
手を差し伸べる井名里に頷いて、もらったときと同じように丸まってしまった紙をまた指輪で留める。造花を自分のものと一緒に胸元のエンブレムの下にあるポケットに差し込んで息を吸う。思い切り。
「ごめんなさいっ! 続き忘れちゃいました。だからもう、何にも言うことなくなっちゃいました」
ハウリングの一歩手前の音量で夏清が叫んでお辞儀をする。大音量に時間が止まったように誰も動けない。
盛大に活けられた春の花が置かれた演台の横を通って、下にいる井名里に向かって飛び降りる。
「よし。周りがボケてるうちにさっさと逃げるぞ」
降りてきた夏清を抱きしめて井名里が耳元で囁く。夏清が頷くのと同時に、足が地に付く。
手を繋いで、中央にできた道を走って。
誰かが後ろで叫んでいた。
草野の声も聞こえた気がする。
外に通じるドアは、いつの間にか開け放たれていた。さっきまで閉じていたのにと横を見ると実冴が苦笑しながら立っていた。
講堂を出て、三段ある階段を一気に飛び降りる。外にいた下級生たちが、終了の拍手もなしに走って出てきた教師と生徒にびっくりした顔をしていたけれど、無視して振り返らずに駐車場まで走る。
車のドアを開ける時、講堂の方を見ると追いかけてきていたのは生徒指導の先生と、何人か体力のありそうな若い教師。それから、クラスメイトの面々。
「うわ。大騒ぎだよ。先生」
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