やさしいキスの見つけ方

神室さち

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抱きしめて抱きしめて抱きしめてキスを交わそう

6-4 手紙

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「うわー 母子手帳も入ってるよ。ほら」
 箱の中身は、夏清が祖母の家に置いてきたものばかりだ。もうてっきり、捨てられてしまったと思っていた大切な思い出が詰まっている。これらは他人がいる家に置いておけるものではない。
 実冴が渡してくれたのは、すこし端がすりきれた水色の母子手帳。
 受けとったとき、間に挟まっていたらしい白い封筒が滑り落ちた。
 表には綺麗な文字で「渡辺夏清様」と書かれている。後ろをみると、左下に『渡辺美知留(みちる)』風化したせいか封をした部分のノリが浮いている。
「お母さん、だ」
 井名里もその名前を覗きこむ。確かに墓石の横の石碑に書かれていた。
 軽い音をたてて開いてしまった封筒から夏清が便箋を取り出した。横書きの、綺麗な文字が綴られている。
「夏清ちゃんへ」
 そう始まる手紙の上を夏清の瞳が走る。
「この手紙を読んでいるあなたは、幾つになっているのかな? いまお母さんはあなたが生れたその日に、この手紙を書いています」
 一文字一文字が、まるで噛み締めるように丁寧に並ぶ。『お母さん』という文字が、他よりずっと時間をかけて書かれたらしくインクが少し太くにじんでいた。
 何から書いたらいいのか分からないといったような空白のあとで、唐突に、文が続く。
「あなたに夏清とつけたのはお父さん。あなたが生れたって聞いて、仕事を放り出して病院に向かう途中みたその空が三月とは思えないくらい夏みたいに高く高くとても清々しい色で、病院に着いた時、あなたを見て決めたんですって。もちろんお母さんもすぐに気に入っちゃって。どうしてかしら、あなたにはこの名前しかないって」
 ああ、と思う。小学校の頃、漢字を覚えた頃に、冬生れなのに夏清なんておかしい名前だと言われて、ものすごく傷ついた。こんな風につけてもらったのだと知っていたら、言い返したのに。
「あなたはきっと、これからどんどん大きくなって、いつか私達を置いて行ってしまうのでしょうね。けれど忘れないで、私たちはいつでも、どこでもあなたの味方で、どこにいようとも、世界で一番、あなたが幸せを祈っていることを。
 このとても幸せな気持ちを、ずっと未来のきっと生れてから一番幸せなあなたに伝えたい。そしてできれば、この手紙はあなたが最後に『渡辺夏清』である日にあなたに手渡したいと思っています」
 それは、もう叶わない。きっと母は、この時、物心もつかない夏清をおいて自分たちがこの世からいなくなってしまうことなどこれっぽっちも思っていなかったはずだ。
「その日が早く来てほしいような、ずっと来てほしくないような、とても複雑な気分。けれど、この手紙を書いている今、とてもとても幸せな気持ちでいっぱいです。この手紙を読んでいるあなたが、今の私と同じくらい、幸せでいてくれますように」
 手紙は、夏清の誕生日と母の名前が記されて終わっていた。
 伝えたかった。
 私はいま、幸せだと。
 あなたたちの娘は、とても幸せだと。
 ぼろぼろと涙がこぼれた。
 封筒の中を見ると、一枚のポラロイド写真が入っていた。十六年以上前のそれは、うっすらと色が褪せている。けれど映っている青い青い空が、アルミサッシに縁取られて、写真を一枚の絵の様に見せていた。その写真の中だけでは幸せがはみ出るほどの満面の笑みを浮かべた母が白い産着にくるまれた夏清を抱いていて、その二人を包むように父が腕を広げている。
 ポラロイドの下にある空白には、明らかに母のものではない、少し不器用そうな文字で『夏清』と書かれて、写真の中の赤ん坊に向けて勢いよく矢印が引いてある。
 涙はあふれて、止まらなかった。止めようとも思わない。
 夏清が黙って、手紙と写真を井名里に手渡した。夏清が読んでいるそばで覗きこんでいた実冴はだまってどこかに行ってしまった。
 井名里はさっと、目を通す。もうそれだけで充分な気がした。つんと鼻の奥に鉄くさい匂いがする。
 泣きつづける夏清を抱き寄せて、思わず顔を上げる。見上げた窓の向うに、高く清んだ夏の空が見えた。


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第三話終了!

次からは閑話のバレンタイン編~
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