ケンカ王子と手乗り姫

神室さち

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 王子を乗せた馬車が城門を通り、入城するその日は、とにかく町中が浮足立っていた。

 実際、食べるものに困ることなく過ごしているエルダスト国民は、その退屈で満たされた生活の中で王族の誕生日などの行事を思い切り満喫するお祭り好きな傾向がある。

 王子がやってくると言う事で、役人が号令をかけなくても城下の住人が勝手に花を飾って歓迎を表している。


 王子見物の物見遊山をあてに露店まででて本当にお祭り騒ぎだ。


 当の王子、アッシュは、ここまでの道のりに使ってきた箱馬車に乗ったまま、カーテンの陰から窓枠に肘をついて外を見て、そのバカ騒ぎっぷりに呆れている。

「ったく、どこのバカが自分とこの王族幽閉したようなヤツを歓迎してんだよ」

「いいじゃないですか。あからさまに石投げられるより。バロスオはひどかったですよねぇ」


 エルダストの前にバロスオに寄ったのだが、あちらはまだ新しい支配者に慣れてくれていないので、焼け落とされて再建中の城までの道のり、厳めしい憲兵が等間隔で並んで監視していた。


 アッシュの馬車に同乗するのはマイセル一人。

 それもアッシュの不機嫌を加速させる要因だが、さすがに入城の際に男妾を伴うのだけはやめていただきたいとこのエルダストに派遣した使者達に止められたのだ。

 このエルダストを最後に攻めて、結局手にかけずに色々不貞腐れながらアリストリアに帰ったのはいいものの、アッシュはそれ以後それまでの覇気はどこへやら。

 だらだら自堕落に、無為に日々を送っていた。

 何もかもが面倒になったらしく、国でだらけていたのでマイセルが無理やりこの行軍を作り、大陸中をうろつく毎日だ。



「あー やたら豪勢なブタ小屋だなコレ」

 窓から聳(そび)える王城の塔を見上げてアッシュが薄っぺらくそう言った。


「今はもうブタはいませんから大丈夫ですよ。今日王子に泊まっていただく部屋も大改装したと言ってましたしね。ちゃんとロシェは突っ込んどきますから、あんまり面倒そうにしないでエルダストの貴族、適当に相手してあげてくださいよ」


 すでにめんどくせぇと顔に書いてあるような表情。

 コトコトと限りなく平坦にならされ整備された街道を馬車は抜けて、堀に渡された橋を渡った。





 馬車から降りるとまずアリストリアの者たちに出迎えられる。

 それなりに豪華な会議室のような場所で一休みをした後、こちらも大改装が行われたという謁見の間へ案内された。そこにエルダストの貴族達が挨拶にやってくる。


「ほら、そんな面倒くさそうな顔しないで」

 アッシュの身長体格に合わせて彼を効率よく『格好よく』見せられるように整え誂えられた豪華なイスにだらりと座って肘をついていると後ろから、わき腹をつつけるものならつついていたであろう口調でマイセルが言う。


「だってめんどくせぇ マイセル、代われ」

「無理ですよ。この国でも王子の姿絵売れまくってるんですから。あ、来た来た」


 イスの横、少し後方に控えたマイセルが謁見の間のずっと向こうのドアが開いて、入ってきた人物を見て、身を屈めて小声でもアッシュに聞こえる距離で囁く。

「なんでも、アリストリア語がわかる女の子がいるとかで、その子が通訳してくれるそうですよ」

「べっつにー 何言ってるかくらいわかるし。俺喋んなくていいんだろ? いらねーじゃん、通訳なんて」

 エルダストの女性はほぼみな体型が豊満なので、アッシュとしては近づかれるのも嫌なのだ。

 別に必要ない通訳ならアリストリア人の男で十分だと言いたいらしい。

 真新しい赤い絨毯を進んでくる男性一人と女性が二人。

 イスがある場所は、二十段ほどの階段になっている。

 その段の一番下までやってきて、女性二人が同じ動きで礼をした。


 濃紺のドレスに身を包んだこの辺りではおそらく文句なしに美人だと言われる体型の女性と、緑のドレスを着たやたら細っこい少女。


 先ほどのマイセルの説明など話半分も聞いていなかったアッシュは、どう見ても『通訳らしく』見える女性の方が主体でちっこいのはオマケだなと勝手に思い込んでつまらなさそうに目下の人物たちから視線を外してあくびを隠しもしない。


 一歩半前にいる男が自分たちの名と口上を告げて、通訳として立つ以上、その人物がこの段を昇って近くに行ってもよいかと問う。

 その問いに、マイセルが応える。

 全ての声が五感を刺激せず通り過ぎる。が、視界の端で緑のドレスが揺れるのが見えて、おやと視線を戻す。通訳をするのは少女の方らしく、ミーレンのみが幅の広い階段をゆっくりと登ってくる。


 長い裾に足を取られないようにと、少しうつむいているが、どこかで見たことがあったかなとマイセルが言葉にせずに考え込むのと同時に、アッシュが口を開いた。


「お前、どっかで見たことあるな?」

 あと二段で登りきる、と言うところで、突然アッシュに声をかけられたミーレンが顔を上げて首を傾げてアッシュを見上げている。



 黒い髪に、深緑の瞳。瞳の色に合わせたドレス。



 普段の侍女の薄い灰色のお仕着せではさすがに通訳としてアッシュの傍に立つのには貧相だろうと、男爵が誂えてくれたドレスだ。

 一年前にユナレシアが選んだドレスによく似ているが、そのドレスは背が伸びたせいでもう着られなくなってしまった。



「いえ。初めて御前にあがりました」

 すい、と頭を下げて、ミーレンが残りの段を上がる。

 イスの前で頭を下げたまま膝を折るミーレンをアッシュともども見下ろして、マイセルが記憶の中の引っ掛かりを探す。



 黒髪。



 アリストリアよりも更に色素が薄い赤毛の人間の多い西側において、黒髪は希少だろう。

「面を上げろ」


 眉の上で切りそろった前髪。

 その下にある深緑の瞳。

 こんなに深い緑の瞳も、やはり珍しい。

 エルダスト人は青や灰色、茶色の瞳が多い。


 髪と同じ、黒く長いまつげに彩られた大きな深緑の瞳。


 こんなに珍しい色ならば、会っていれば覚えていそうなものなのに。

 思い出しそうで思い出せない気持ち悪さに咳払いでもして気持ちを落ち着けようとした時、マイセルの耳をアッシュの素っ頓狂な大声が襲撃した。


「おまッ! 思い出した!! お前、最初に来た姿絵の姫だろう!?」


 イスが床に固定されていなかったら間違いなく蹴立てていたであろう勢いで立ち上がって、跪くミーレンの鼻先に人差し指を突き付け、アッシュが叫ぶ。


 串刺しにでもしようかと言うほどにびしっと指差された当人は、目を見開いたまま固まって動けない。

 アッシュの叫びに、マイセルが納得した。

 そうか、会ったことはないのだ。『見た』ことはあっても、と。


 すでに一年が経過しているせいか、あの姿絵に描かれた姿も成長しているようだが、確かに間違いなくエルダストから持ち込まれた肖像画の少女だ。


「いたのか? マジで? こんなのが残ってたのか?」

 指差していた右手の人差し指と、親指で顎を掴まれてぐいっと首を引っ張られたミーレンが姿勢を崩す。

 前方に傾いた体を、アッシュが反射的に支えようと出した左手伸びたのは、ミーレンの胸元。


「ん? ああ、ニセモンか」


 ぐいと胸を掴まれて、顎を掴まれていたせいで半開きになっていたミーレンの口からひゅうと空気を吸う音が聞こえて。





 一呼吸ののち、謁見の間に乾いた掌底音が響いた。



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