ケンカ王子と手乗り姫

神室さち

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「ユナレシアさんっ!」

「ミーレン!!」

 黒髪を結い上げて、侍女のお仕着せを着たミーレンが駆け寄ってきてユナレシアに抱きつく。


「またユナレシアさんと一緒にいられることになって、本当にうれしいです! よろしくお願いします」

 傍目何年も会えなかった末の感動の再会に見えるが、この二人ほぼ週一で会っていた。毎週会いに来てくれるユナレシアに、ミーレンも徐々に心を開いて、半年経った今では本当にユナレシアのことを慕ってくれて、お互い姉妹のような気持ちでいる。


 もちろんただ会っていただけではなく、ユナレシアは当初の目的でもあったアリストリア語をミーレンから習ってすでにかなり上達している。

 その努力が功を奏して、ユナレシアは文官階級が一つ上がった。グラッザー男爵の部下であることには変わりがないが、現在はアリストリアからの文書や、こちらの文書を訳す仕事にも携わっている。


 階級が一つ上がり、ユナレシアにも部下が付けられることになった。

 通常は新人文官が選ばれるが、ユナレシアはもちろん同じ時期に侍女として城勤めをすることになった(その辺りの調整は男爵が手をまわしてはいたが)ミーレンを選んだ。

 ユナレシアの仕事を本当の意味で手伝えるのは、やはりアリストリア語を理解できる人材がふさわしいという理由で。もちろんそんな理由は後付だが。


 文官として採用されるのが一番良かったのだが、ミーレンは主に会話と読み上げの語学は堪能でもその筆記と計算に弱かった。

 下級文官の試験には、到底合格することはできない。アリストリア語も、書く方ではユナレシアの方が早いくらいだ。


 たった半年だが、同じ年頃の女の子たちと過ごしたミーレンは表情を取戻し、明るい笑顔を見せるまでになった。

 ユナレシアの仕事を手伝いながら、お茶を淹れたり他の部署にお使いに行ったりと、くるくるよく動く。

 一応その出自は伏せられているものの、血脈的にはお姫様であるのに、当人に全く自覚がない。むしろ『仕事』がある現状の方がこれまでただ生きてきた頃よりもずっと楽しいと笑っている。

 だから、頼まれた仕事はよほど手に余らない限り断らないし、一生懸命頑張る。


 そしてまた、その声がかわいらしくよく通るのだ。
ミーレンがアリストリア語を話すことができることなどあっという間に知れ渡り、ユナレシアを飛び越えてたびたび通訳に駆り出されてもいる。


 ミーレンがユナレシアのもとにやってきて三か月ほどもすれば、ざらに半日、ユナレシアのそばにミーレンがいない日ができるほどに人気者になってしまった。


 そして今日も、ユナレシアは朝から一人きり、グラッザー男爵に押し付けられた仕事を黙々と熟(こな)していた。

 こんなことなら女学校に置いておいた方が良かったかもと臍(ほぞ)を噛んでももう遅い。

 ユナレシアから見て上司の上司の上司……とも言えるほど殿上人の大臣達の命を袖にするわけにもいかないので、我慢していたのだが。


 ミーレンは私のなのに、全くどいつもこいつもッ! と、心の中に嵐を飼いながらユナレシアがグラッザー男爵の執務室のドアを叩いて声をかけたら、聞き覚えのある声が応えた。


「はーい」

 聞きなれたミーレンの声が聞こえたような気がして、ミーレンのことを考えすぎたと深呼吸で気分を整えて、やたらと気の抜けた返事をした侍女は誰だとドアを開けたら、そこにミーレンがいた。

「あ、ユナレシア、一緒にお茶していく?」


 人に後から後から湧いて出るように仕事を押し付けてくれる男爵が優雅に午後のお茶をしていた。

 しかも、ミーレンに給仕をさせたらしい。

 当のミーレンも誘われたのか一緒にお茶を飲んでいる。


「ミーレン、お茶淹れるの上手くなったねぇ」

 カップに注がれた琥珀色の液体の香りを楽しんでから一口、口に含んでグラッザー男爵がうんうんと頷いている。

「はいっ ユナレシアさんと毎日五回くらいはお茶してるので!」


 仕事中はなかなか会えなくても、会えばすぐさまお茶の時間だし、城内の宿舎は同じだ。文官用の宿舎は男性ばかりなので、ユナレシアが侍女の宿舎に入っているので当然だが。

 そこで、朝食や夕食を一緒に摂っているので必然的に食後にお茶を飲むが、ユナレシアは淹れることができないので、これまた必然的にミーレンが淹れることになるのだ。


「そっかー 今度はもう少し上等の茶葉で──……」




「……──男爵?」



 いつもの裏のありそうな笑みではなく、楽しそうにニコニコしながらミーレンと話している男爵の言葉を、ユナレシアがぶった切る。

「あれ? ユナレシア、そんなとこに突っ立ってないでこっちに来たら? アリストリアのお役人がお菓子くれたらしいよ? ミーレンに」

「男爵? 何をしているのかは見ればわかるので問いませんが、何してるんですか?」


「……ユナレシア、言葉おかしいよ?」


「ああ、すいません『人の部下で何してるんだ?』って聞きたかっただけです」

「ナニってお茶してるんだけど。ほら、部下の部下は僕の部下でしょ?」

 そんな論法通じるかぁ! と、叫ばなかったのはミーレンがいたおかげだが、急ぎだと仕事を渡されてそれこそ大急ぎで作った書類はプルプル震える手で握りしめられて皺だらけだ。

「最近失敗したなーってつくづく思うよ。ユナレシアじゃなくて僕の部下にすればよかった」

 アリストリア語だけではなく、ミーレンはお茶を淹れたり書類をまとめたりはもちろんのこと、小さいころからほぼ毎日本を読んでいたおかげで大の大人が知らないことでも知っていたりする。

 わからないことはミーレンに聞けば、当人に経験はなくともとりあえずの知識は手に入るのだ。

 実は結構いろいろ使える人材だったことに今更気づいた男爵が明後日を見ながらそう言って、ひょいと眉毛を上げてユナレシアを見る。


「だめだよー ユナレシア。そんな怒ったら皺が増えちゃうよ? そうだ、東方から輸入してきた美容にいいっていうバラの種も上げよう。ちょっと酸味があるけどお茶に入れて飲むと効果あるらしいよ?」

 ミーレンの淹れたお茶を飲みながら、男爵が笑う。

「あの、ユナレシアさん。その、ごめんなさい。さっき帰ってきたら男爵がいて、ご挨拶したらいつの間にかお茶になってて……」


 怒りに震えているユナレシアを面白そうに見物している男爵とは違い、ミーレンがととっと走り寄ってきて、いつもの癖の通り、少し小首を傾げてユナレシアを見上げている。

 初めて会ったころよりもぐんと身長が伸びたが、そのしぐさは相変わらず似合っている。

 体重も増えたはずだが、背が伸びた分もあって体の薄っぺらさは変わっていない。


「いいのよ、あれはミーレンにどうこう出来るような人じゃないから。あなたが謝らなくても」

 結った髪が崩れない程度に、ユナレシアがミーレンの頭を撫でる。その仕草は慈愛に見満ちているが、ミーレンの向こうに泰然と座ってカップを傾けている男爵に向ける視線は冷ややかだ。

「じゃあ、一緒にお茶をいただきませんか? 男爵のお茶、なんだか淹れるのが上手になったような気がするくらい本当においしいんですよ。新しく作りますね。あ、お仕事、大丈夫ですか?」

「大丈夫に決まってるじゃない。コレを男爵に提出したら今日の仕事は終わり」

 ですよね? と、ユナレシアが男爵に最早(もはや)笑顔に見えるくらいの怖い顔で事後承諾を強要する。


「わぁ じゃあゆっくりできるんですよね? アリストリアの方が下さったお菓子、すごくおいしいんですよ。私ひとりじゃおいしいうちに食べきれないので一緒に食べて下さいっ」

 うれしそうにそう言ったミーレンに、よくそんな一瞬で表情を切り替えられると呆れるくらいに見事に柔和な笑みを浮かべたユナレシアを見て、男爵の後ろに立っている秘書が、誰にも気取られないくらいにそっと溜息をついた。



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