ケンカ王子と手乗り姫

神室さち

文字の大きさ
上 下
29 / 45
本編

5-5

しおりを挟む
 


 押し込まれた褐色の物体は、見た目を裏切るおいしさだった。

 中に甘くていい香りのするジャムが入っている。

 いつだったかのお茶の作法の稽古の時に、ユナレシアがとっておきだと紅茶に入れてくれたのと良く似た香りだ。


「ユナレシアさん……」

 思い出したらちょっと悲しくなった。

 すぐにまた会えるのに。

 一週間前、突然放り出された時の寂しさとは、違う。





 状況が変ったせいもあるが、一番の違いはミーレン自身がユナレシアを受け入れたことにある。

 お互いにどこか、一線を画して対峙していた頃より、心の距離が近くなったせいだ。

 ミーレンはユナレシアを頼りにしていたけれど、ミーレン自身も『ユナレシアは仕事で付き合ってくれているのだ』と言う想いが強かった。

 けれど昨夜、ピリカーシェ姫がミーレンの休んでいる部屋を強襲した事件の時、ミーレンはユナレシアの別の面が見えた。

 扇で叩かれそうになったミーレンを、庇ってくれた。

 あれくらいのもので叩かれたところで、そんなに酷い怪我はしなかったのに。

 そのぷよんとした腕を掴んだユナレシアの顔が一瞬壮絶に『気持ち悪ッ!!』と歪んだのも、一番近くにいたミーレンには見ることが出来た。

 それでも、姫が手を下ろすまで、その手を制してくれていた。


 言葉ではピリカーシェ姫を立てていたが、その顔は、どうやってピリカーシェ姫を追い出そうか、それだけ考えているようだった。


 侍女の言葉に渡りに船とばかりによくもまあそんな思ってもいないことが次から次へと出てきたわ、とあとから冗談交じりに言っていたが、実際その時のユナレシアの口調はとにかく勢い一番で言い募り、目尻や小鼻をヒクヒクさせて、いつでもはっきりした口調なのに段々上ずって噛んで、声をところどころ裏返したりしていた。


 顔には『こんなことを言うのは物凄く心外』とでかでかと書いてあるような表情。

 それでも目の前のピリカーシェ姫を追い出そうと必死に言いくるめてくれた。


 そして、その計画が上手く行ってピリカーシェ姫が意気揚々と去って言った後、ミーレンを見たときの顔。


 一週間前まで余り表情の動かない人なのかなと思っていたのが嘘のように、その場のユナレシアの心境は最初からミーレンには全部見えていた。

 ユナレシアはミーレンを見て、露骨に『うわぁしまった!』と言う顔をしたのだ。


 そして何か言おうとしているのだが、言葉が見つからない様子だった。

 先ほどのように口からでまかせ言い連ねればいいのに、それが出来なかったのだ。

 つまり、ミーレンには嘘をつきたくないとでも言いたそうに。


 気まずそうなユナレシアに、ああ、この人はこんなに自分のことを思ってくれていたのだとわかって、だから、笑えたのだ。


 一度笑い出したら止まれなかった。

 この二年ほど溜め込んでいた分を全て放出するように、ミーレンは笑い続けた。

 そして、笑いすぎてしまったミーレンを、ユナレシアは泣きそうな顔でやさしく抱きしめてくれた。


 柔らかい胸に抱きしめられて、なぜか思い出したのは節くれだった皺だらけの大きな手でミーレンの頭を撫でてくれていた、図書館掃除夫と言う職が似つかわしくないくらいに知識が豊富で体格のいい老爺だった。


 血が繋がっているわけでも、小さい頃から余り笑わない、可愛げがあったわけでもないミーレンに、何故か目をかけてくれていた老爺。

 怒ると怖いけれどきちんと言いつけを守れば優しく褒めてくれる。

 そんなところもユナレシアとあの老爺は似ている。


 老爺は、ミーレンに本だけではなく、いろいろなものを見せてくれた。

 
 とは言えお互い城から出られない身だったので、行く先は城内に限られたが。

 老爺はなぜか王族しか出入りできない、珍しい花や鳥や動物がいる温室に入ることが出来、王族のいない早朝などにミーレンを連れて行ってくれて、その博識を分け与えてくれた。

 御料牧場で、家畜のことも教えてくれた。

 ニワトリやウシもいたが、現在の王が無類の豚肉好きだったので、牧場にはたくさんの種類のブタがいたのだ。


 桃色のや、黒と白のや、毛がバリバリ生えているのや、牙があるの。

 ミーレンのお気に入りは屋内で飼われていた一番気性が穏やかな桃色のだ。

 老爺は家畜を管理する夫婦と仲が良くて、ミーレンは出入りが自由だった。

 夫婦はミーレンをよくは思っていなかったようだが、老爺が亡くなった後も、ミーレンが来ても見て見ぬ振りをしてくれていた。

 ミーレンはついこの間まで悲しいことや辛い事があると生まれたてのブタを見に畜舎を訪れていた。


 いつか殺されて食べられてしまう命だけれど、本当に可愛らしかった。

 似たような境遇の自分を重ねていただけだったのかもしれないけれど。



 だからもう、あの怖い顔で笑うアッシュが大好きなブタとあの醜悪な姫を同類に扱ったのは心底怒りが湧いてきて、ミーレンは生まれて初めて後先考えずに喚いて怒って人を叩いた。



 叩かれる事はしょっちゅうでも、ミーレンは一度もやり返したことはなかったのだ。


 抵抗すれば倍になって返って来るせいだが。


 自分でもわけのわからないことを言いながら力の限り叩いたのに、アッシュは笑っていた。

 叩いて叩いて、そんな動きに慣れていない手はすぐに疲れて重くなり、持ち上がらなくなってしがみ付いて怒りも極まり過ぎて泣き出したミーレンを驚くほど優しく抱いてくれた。





 ミーレン自身気づかないようにしていただけで、ずっとずっと前から王族への恨み辛みなどとっくに飽和するほど巨大にミーレンの中で育っていた。

 そんな思いを理解したとでも言いた気に、アッシュが最後に呟いた言葉に、ミーレンは頷いていた。






 ずっと見向きもしなかったくせに、こんな時だけ利用しようとするなんてと思っていた。

 でも、逆にこれはミーレンにとって、いつか老爺が言っていた『機会』だったのだ。

 いつか、この城から出て自由になる『機会』それを逃してはいけないと老爺は懇々とミーレンに諭していた。

 その『機会』を逃さないために、ミーレンは少しでも賢くなるべきだし、きれいな声で上手に歌を歌う、美人と評判だった母親譲りのその声を、顔を見せるべきではないと老爺は判断したのだ。


 だから、ミーレンはこの『機会』に賭けてみようと思った。


 外に出られるのならば、何でも出来た。

 なのに、あのピリカーシェ姫がその『機会』をぶち壊してくれたのだ。


 もう永遠に、死ぬまでこの城から出られないのかと諦めかけていたけれど、この話がミーレンの元に舞い戻った。


 あの城から出て、自由になるのならば、ちょっとくらい殴られたり蹴られたりしてもガマンしようと思っていたけれど。





 アレは絶対、ガマンできそうにない。





 アッシュは適当に請け負っていたけれど、どれだけ痛いかなんて男に分かるわけがないと思う。




 膝を抱えて、少し上のほうにある、長い棒でもなければあけられなさそうな窓を見上げて、その夕日色が今朝見た麦畑と同じ色だなぁと思いながら、膝に顎を乗せたままミーレンは眠りの世界に引き込まれていく。





 ミーレンは、どこでも簡単に眠る事が出来る。ミーレンにとって眠る事が一番、簡単な逃避だから。



しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした

楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。 仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。 ◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪ ◇全三話予約投稿済みです

【完結】旦那様は、妻の私よりも平民の愛人を大事にしたいようです

よどら文鳥
恋愛
 貴族のことを全く理解していない旦那様は、愛人を紹介してきました。  どうやら愛人を第二夫人に招き入れたいそうです。  ですが、この国では一夫多妻制があるとはいえ、それは十分に養っていける環境下にある上、貴族同士でしか認められません。  旦那様は貴族とはいえ現状無職ですし、愛人は平民のようです。  現状を整理すると、旦那様と愛人は不倫行為をしているというわけです。  貴族の人間が不倫行為などすれば、この国での処罰は極刑の可能性もあります。  それすら理解せずに堂々と……。  仕方がありません。  旦那様の気持ちはすでに愛人の方に夢中ですし、その願い叶えられるように私も協力致しましょう。  ただし、平和的に叶えられるかは別です。  政略結婚なので、周りのことも考えると離婚は簡単にできません。ならばこれくらいの抵抗は……させていただきますよ?  ですが、周囲からの協力がありまして、離婚に持っていくこともできそうですね。  折角ですので離婚する前に、愛人と旦那様が私たちの作戦に追い詰められているところもじっくりとこの目で見ておこうかと思います。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...