幸せのありか

神室さち

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愛し君へ

45 side樹理

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 実冴の後、出産から十日ほど経ったくらいに、客船上でとてもお世話になった大橋夫妻が、これまたびっくりするほどのお祝いを携えてきてくれた。


 みんな会いたがっていたが、産後に大勢で押しかけるのはと遠慮してくれたらしい。実際、樹理はほぼ寝たきりで過ごしていたせいか体力も筋力も落ちていて、まだ歩くだけでも疲れるような状態だったので、この気遣いはありがたかった。

 小さな廉を見て、抱いて、孫が生まれた気分だと、楽しそうに樹理や樹理の母と、大橋夫人がはしゃいでいるベッドから少し離れた応接セットで、哉が大橋の夫に、礼をしたいからと樹理が切迫早産になりかけた時にアメリカ軍を動かしてくれた人は誰か問うたのだが。


「乗っていた誰かだとは聞いたのだけど、私も知らなくて……悪いね、お役に立てなくて」
 コーヒーカップを戻し、心底申し訳なさそうに、顎を擦りながら大橋の夫は答えてくれた。彼自身、これが思案事や隠し事の時の癖だとは知っていて、それでもやってしまった自分に苦笑したのち、絶対に誰が手配したのか知っているような顔でしれっと知らないと返してきた。
 当人から口止めされているのか、あまり表ざたにしたくないのか、その両方かと中りをつけて、哉もそれ以上の詮索はやめることにした。
「そうですか。残念です。では、お礼状は改めて送らせて頂きますが、本当にありがとうございましたとお礼を言っていたと、皆さまにお伝えください」
「ああ、私たちが連絡を取れる人たちには伝えておこう」
 哉の意を汲んだ大橋の夫も、にっこり返す。夫婦でしばらくニューヨークに滞在する予定とのことで、三日おきくらいに大橋夫人だけ顔を見に来てくれた。樹理の母とも仲良さ気に話すほど打ち解けて、時々一緒に出掛けてもいた。そんな大橋たちも樹理が退院する前に日本に帰って行った。
 退院の日は、実冴が持って来たふわふわした白いお包みを着せ、樹理の母が残っていた毛糸で編んでくれた帽子をかぶって、樹理が編んだ靴下をはかせた。出来上がった時、とても小さく感じた靴下さえ大きく見える。
 何とも言い表しがたい黄色っぽい毛糸は、周りが驚くほど廉に似合っていて、長い入院生活で顔見知り以上の付き合いをしてきた病院関係者の各位に大いに褒めてもらえた。
 ……の、だが。
 実際、日本で言えば青森くらいの緯度にあるニューヨークの一月の気温は東京の比でないくらい低い。寒い。高々玄関から車の中までとは言え、新生児でなくても寒さに身がしまるのだ、赤ちゃんらしい服が勿体なくないわけでないが、防寒はしっかりとしておかないとかわいそうとか言うレベルではない。
 廉も樹理ももはやぐるぐる巻きなくらいの防寒体勢で仕立て上げたのは樹理の母だ。ちょくちょく外に出る彼女は、病院に引きこもっていた樹理より外の寒さを知っている。
「お母さん、それでもこれは、ちょっと、大げさなんじゃ……」
「ダメ。絶対。このくらいでちょうどいいくらいよ。暑ければ車の中で脱ぎなさい」
 病院の玄関ロビーでそんな親子のやり取りがあり、パーキングから車を回して来る哉を待つ。ちなみに、運転免許は子供が生まれる前にちゃんと筆記、路上のテストを受けて交付済である。
 両国崎や病院のスタッフに見送られていざ、ほぼ九ヶ月ぶりに外の世界へ出る事となったのだが、ニューヨークの寒さを甘く見ていた樹理は、二重扉を出た途端、わずかに露出した顔に寒風を受けて何やらよくわからない悲鳴を上げて固まってしまった。そんな樹理をすかさず母親が車に押し込めた。
「寒い……ホントにすごく寒い……」
 温めてあった車内で廉をベビーシートに固定しながら樹理がぷるぷる震えている。
「春が来るまでは病院以外の外出は控えた方がいいわねぇ」
「言われなくても、しません」
 改めて、実は東京と言う都市が冬でもそこそこ暖かいのだと実感した樹理だった。

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