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愛し君へ
42 side樹理
しおりを挟む「え?」
樹理の小さな声に、子供が顔を上げた。
目も、鼻も、口もある。
なのに、茫洋としていてなぜか捕えどころがない。
「あなた、あの時の!!」
声を上げた樹理に、子供が頭を縦にぶんぶん振っている。
以前見た時に比べて、ずいぶんしっかりしているが、あの時、切迫流産で意識を失っている間に見た夢の中で樹理の前にいた子供だ。
はっとして、腹部に手を当ててみると、そこは何のふくらみもなく、すとんと平らだ。
理屈ではない、ひらめきのような感覚。今ここにいるこの子は、己の腹の中にいた子だ。八ヶ月ほどの間、ずっとともにあった命だ。
「ごめんね、私、あの時の事、全部、忘れちゃってたみたい。あの時も、助けてくれたのに。ありがとう」
今度は、頭があいまいに縦横に揺れる。
「ここは、進んだらダメなのね」
あいた手で、壁に触る。どうしてわからなかったのだろう。樹理の前を阻むこれは、この手触りは、ベッドの横に鈴なりになっているお守りのそれだ。
瀬崎と二人で、ここまで神様のご加護が届くだろうかなどと軽口を言っていたのが、心底申し訳ない。
「うん。一緒に、帰ろう」
子供を、抱き上げる。あの時、心もとないほど軽かったその体が、今はずしりと重く感じる。
「一緒に、あなたの、お父さんの所に、行こう」
顔を合わせてそう言うと、子供が嬉しそうに笑った。それだけで、周りの空気が澄み渡って、ぱぁっと明るくなるような、そんな笑顔で。
振り向いた先は、真っ暗だった。先ほどまで見ていた花畑はまだあるのか、白やピンクと言った色合いで作られたお守りのおかげなのか、背後がほんのりと明るい。
けれど、戻るのはこの暗闇の先だ。ちゃんと、その向こうから、樹理を呼ぶ声が聞こえる。一番聞きたかった人の声が、届く。
何も迷わず、樹理は一歩、真っ暗闇に足を踏み出した。
白い背景に、黒い影。
徐々に焦点が定まって、覆いかぶさるような影は、哉だとわかった。
ぎゅっと握られた手に感じる、少しだけ冷たい体温。
哉が何か言っているけれど、よく聞こえない。
ああ、今度はちゃんとそばにてくれた、と……なんだか泣きたいような気分になりながら、今伝えないといけないことを、きっと今でなくては忘れてしまう気がして、懸命に言葉にしようと思うのだが、なかなか上手くいかない。
体が、特にお腹が痛くて、声に力が入らない。樹理の様子に、哉が耳を近づけてくれたので、とにかくありったけの体力と、気力を使って、どうしても伝えたいことを、必死で言葉にした。
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