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なつまつり
3 side哉
しおりを挟む暫く無言で、ただズルズルと素麺をすする音だけが響く。
「あの、氷川さん?」
いつもなら無言でも空気はふんわりとゆるい。会話がなくても間が持つのだが、なんだか目に見えない空気がギスギスしている。
不安そうな顔をした樹理に、哉が肺の空気を少しだけ吐いて、なんでもないと首を振る。
「なんにもないならいいんですけど……あの、実はちょっとお願いがあって……」
お願いと言う言葉に、哉の表情がピクリと動く。
「その、来週の土曜日、夕方……」
小さな変化に、樹理が少し緊張したような顔をして恐る恐る言葉をつむぐ。
「実家の近くの神社でお祭りがあるんです。お母さんが来ないかって……誕生日にもらった浴衣の話をお盆に帰ったときしたら、見たいって言われて、その、せっかくいいものなのに、あんまり着てないし……いい機会だから、行きたいなって」
じっと見つめたまま、返事をしない哉に、樹理がおたおたと言葉を続ける。
「えっと、お祭りって言っても、小さなものだし、花火もあがらないんですけど、いろいろ露店も出て、子供のころからよく行ってて、その、あの、えっと……」
「別に……行ってきたらいい」
両手を頬に添えて徐々にしどろもどろになっていく樹理に、短く哉が答えた。その言葉に一瞬樹理の顔がぱっと明るくなって、すぐにしゅんとした表情になる。
「あの……」
哉の目が『誰と?』と問うているのを見て、樹理がため息をつく。
「……氷川さんがいけないんなら一人で行っても仕方ないので、いいです。土曜日だし、お祭りは夜からだから、大丈夫かなと思ったんですけど、やっぱり仕事、ありますよね……今週は今日もお仕事だったし」
ふわふわとした長い髪が、しゅんと垂れる耳のようにうつむいた顔を隠す。
一応、一部上場企業なので、年末年始、ゴールデンウイーク、そして夏も盆を挟んで大連休になっているのが企業カレンダーだ。しかし、そんなものは哉には関係ない。ゴールデンウイークは篠田にいっぱい食わされて休まされたが、そんなものは日本だけのものだ。
大体、夏休みを一定の期間に一斉に取るのは日本人くらいで、諸外国では夏の期間に各人がバラバラに長期休暇を取っている。
日本人がふるさとへわらわらと大渋滞の高速道路上の車や乗車率が百パーセントを軽く超えた超過密な新幹線、全席埋まったローカル空港向けのエアバス機で大移動している期間だって、国外では普通にみんな働いている。
哉が管理する部署は事業の大方を海外依存しているので、カレンダーの日付が赤いので、なんて理由で長期で放り出せるものではなく、よって哉は閑散とした本社にほぼ毎日出勤していたにもかかわらず、結局ほとんどの社員が取っていた長期休暇の皺寄せで本社事務処理がすこし滞りがちだ。
今週は日曜である今日も午前中、月曜から始めなくてはならないプロジェクトの決済をおろす為に出社していた。
「……来週……は、空いてる」
するするっと素麺をすすって、咀嚼して、更にしばし誰か他の人間と行くわけではないのかという思考の間をもって、哉が最低限界言葉をつむぐ。
「ホントですか? じゃあ一緒に行けますか? あんまり遅くならないようにしたいので、五時くらいにこっちを出たいんですけど大丈夫ですか?」
ぴょこんと頭を上げて、先ほどとは打って変わってぱぁっと輝くような笑顔を向けて樹理が問う。携帯を見てなおかつ履歴を消去して電源を落とすという後ろ暗すぎる行動をしたため、先ほどの電話の主の事は聞くに聞けない。まっすぐ笑みを向ける樹理に、心の中でぐるぐると黒くとぐろを巻く疑問に囚われて、てっきり誰か他の人間と行くつもりなのだと結論付けていた哉は、居心地悪く目をそらして頷く。
「よかったぁ」
心底ほっとした顔で、樹理が食事を再開する。その合間に、夏祭りの話を混ぜながら。
哉がいつもより少し生返事加減が高いけれど、原因不明の不機嫌さがいくぶん和らいだので、樹理は結局、哉がどうして機嫌が悪かったかという根本的な理由に、その腕に抱かれて眠りについても気づかなかった。
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