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第二章 恋におちたら
10 side樹理
しおりを挟む黄昏つつある町並みを、銀色の車が走り抜ける。徐々に自宅に近づいている。運転している哉をちらりと見ると、いつもどおり、平気そうな横顔がそこにある。
心配するなと言われても、胸が勝手にどきどきその回転を高めていく。こんな調子では、哉の家族を紹介されたときはどうなるのだろうか。
さしたる渋滞もなく、むしろいつもより空いている印象の大通りから住宅街に左折する。この道を抜ければ、自宅が見えてくる。
「行くか」
車を路肩に寄せて止め、哉が何の気負いもなく、昼食を摂った店で包んでもらったらしい菓子折りをもって降りるのを見ていつの間にそんなものを? と思いつつ、樹理も慌ててそれに倣う。
車の音か、気配か。門柱をくぐるときには母が玄関を開けていた。
「氷川さん、どうぞ。樹理もおかえり」
「おじゃまします」
「ただいま」
意識してなのか、いつもと変わらない様子の母に樹理はほっとした。
哉を応接セットのある部屋へ案内して、樹理は母とキッチンへ入った。なんとなく、あちらにいる勇気がでなかったのだ。いつもなら自分から必要なものを尋ねてくるくる動く樹理が珍しく立ち尽くしている。そんな娘に何も言わず母は準備していたらしいコーヒー茶碗を横において湯飲みを用意し始める。
「まぁ わらび餅」
菓子折りをあけて中を見た母がうれしそうに言う。改めて箱に押された印をみて、感心したように頷いている。
「すごいわねぇ 前にテレビで見たけど、ここのわらび餅は行かないと食べられないって言われてたのに」
棚から出した日本茶の袋を開けて、急須にきちんと測って入れて、湯飲みにあけていた湯を注ぐ。
「そっちの棚の奥からお皿を出してくれる? ガラスのきれいな花の形のやつ。それから引き出しのどこかに和菓子用の木でできたフォークがあるからそれもね」
「うん」
言われたとおり、皿をだして布巾で軽く拭くと、母がやわらかいわらび餅を盛り、お茶を載せた盆に並べて樹理に持っていくよう渡す。
「ママはねぇ 樹理が幸せならそれでいいと思うのよ。樹理は余計なこといっぱい考えちゃうんだろうけど」
パパはどうかしらねぇとにっこり笑ってつぶやいて、母はやさしくそっと樹理の背中を押した。
盆に載せられたお茶と菓子皿の数は四つ。樹理の後についてキッチンから出てきた母が、何の迷いもためらいもなく父の横に座る。空いているのは哉の横だけだ。自分の分も茶と菓子を置いて、樹理もそこに座る。
なんともいえない緊張感。少し動いたら空気がピキンと音を立てそうだ。行野家の面々はそんな硬い空気の型にはめられたように、まるで身動きを取れない。
樹理はできる限りそっと……その動きはどう見ても油を差すのが必要なくらいギクシャクしていたがこの場にいる誰もそんなことは気にしない、気にできない……いつもと変わらぬ様子でお茶を飲んでいる哉の横顔を伺った。
食事の前に寄った店で見たよりも、口元に変化がある。
多分、とてもとてもほんの少しだけ。けれど樹理にはわかってしまった。哉は今、微笑んでいるのだと。
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