幸せのありか

神室さち

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第一章 幸せのありか

52 side哉

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 仕事以外で誰かと食事を摂るのは、とても久しぶりだった。食器の音。箸の動く音。樹理の食べ方はとても静かでおとなしいけれど一人で食べていたら分からない音が柔らかく室内に響く。

 ゆっくりとご飯を食べて、カレイとおひたしの間でどちらを食べようか少し考えているらしい間。

 自分とペースの違うものと一緒に居ることは今まで苦痛でしかなかったのに、リズムがばらばらでも全く気にならない。

 改めて樹理を見る。確かに、ここに来た時より痩せている。太っていたわけではなかったが、それでも以前はもっと少女らしい丸みがあった。


 無理やり押さえつけた体はとても薄くて、あばらが浮いていた気がする。初めてここに来て、泣きそうになりながら服を脱いでいた時は、そんなふうには見えなかったのに。体力には全く自信のない哉にも、意識がなかったはずのその体は軽く感じられた。


「おいしく、ないですか? 味とか……私、いつも薄いって言われて……」

 思い出して、箸を止めていたら、正面から不安そうな声が聞こえた。

 確かにいつも味は薄めだが、それが嫌なら自分で調味料を足せばいいわけだからそれについては全く異存はない。

 言われて味を確かめると今日は少し味が濃いような気がしたが、人間疲れているときは濃い味付けになる。濃いといっても外食から比べれば全く普通レベルだ。許容の範囲内だろう。


「……まずくはない」

 どう言っていいのか分からなくて、けれど応えなくてはいけない気がして、言葉を探して見つかったのはこれだけだった。


 なのに、こんな言葉に目の前の樹理が嬉しそうに笑った。

 その微笑につられて笑いそうになって、哉は箸を持つ手で口元を押さえた。


「よかった。いつもどうかな、って思ってたんです」

 そう言ってまた食事を再開している樹理を見る。哉のほうは、樹理に分けたせいもあるがもうほとんど食事を終えていた。

 どうして彼女はこんなふうに笑ってくれるのだろう。


 自分でも……張本人だからこそ、ひどいことをしたと分かっている。

 目の前の樹理は、なにもなかったように同じように食事を作って、風呂を沸かして、家を掃除して、明かりをつけて哉の帰りを待っていてくれる。おかえりなさいと微笑んでくれる。


 どうして? と己の中に答えを探す。

 そして、その答えはすぐに見つかった。


 樹理がここにいるのは、哉自身が彼女に科した義務なのだと。

 居たくなくても居なくてはならない状況を作っているのは自分なのだと。


 この家に来てから、おそらく彼女は家族とも連絡をとっていないはずだ。気にならないはずはないのに。帰りたいはずなのに。こんな所にはいたくないはずなのに。哉と伴に居たいはずはないのに。


 迎えに来られたら、ここに帰らなくてはならないと思うだろう。


 だから、樹理はここにいるのだ。以前の通りしていなくては、ならないと思っているのだ。


 最初からずっと、彼女に信用されるようなことをしていない。今更会社の事を気にするなといっても、そんなもの、自分が帰ったらすぐに覆されてもおかしくない口約束だ。信用して帰れと言うほうが無理だろう、実際、帰ってもいいと言っておきながら、哉は樹理を連れ戻しに行ってしまったのだから。



 前と同じように。



 そこまで考えて、すとんと心のどこかにスペースが開いた。そこからじわじわと、得体の知れない寒さが広がる。

 ここに樹理がいるのは、彼女の意思ではないのだということなど、ずっと前から知っていたのに、どうしてそれを再認識して、こんなに動揺しているのだろう?


 急に黙りこんで、残ったものを食べ、怒ったような顔で立ちあがった哉になにか気に障ることをしただろうかと樹理がおろおろしているのが分かって、また訳もわからずイライラする。


「風呂に入る。もう寝ろ」

 今これ以上樹理を見ていられなかった。原因が自分なのに、彼女に向かってどうしてお前はこんな所に居るのだと言ってしまいそうで。




 はっきりと、樹理の口から自分の考えを肯定されるのが怖くて、哉はそこから逃げるように離れた。





 翌日、やっぱりと言うか案の定と言うか、速人の言うことは正しかった。ちゃんと休むように言わなかった哉が悪かったのだが、しっかり制服を着て学校へ行こうといた樹理にその週は休めとだけ言って、仕事に行って帰れば、この関係は新しい日常を連れて、曖昧なまま続いた。



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