幸せのありか

神室さち

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第一章 幸せのありか

41 side哉

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 留守電の内容は極めて簡潔だった。


 明日中に退院させるので、もしも樹理を連れて帰りたいのなら着替えを持って来るように。

 速人によって問答無用で樹理は家に帰されると思っていたし、本人もそれを望むだろうと思っていた。けれど、電話の理右湖は、選択権を哉に残した。

 哉が哉の意志で、樹理を必要とするのなら来いと。それは暗に、来なければ樹理は自由に家に帰ることができるのだと言うことを指していることは、気づかないフリをすることにした。

 樹理はどう思っているのか、不安が残らないと言えば嘘になる。本当は帰りたいのに、哉の意思に従おうとしているだけなのかもしれない。と言うより、多分そうなのだろうと思う。けれど、帰してやらなくてはと思う反面、もう一度逢いたいと、心から願う自分がいた。


 いざ逢って、また拒絶されたらと思うときりきり胃が軋む。


 何度も留守電を再生して内容を確かめたあと和室に入ってクロゼットを開ける。

 掛けてあったフリースのワンピースとグレーのハイネックの薄手のセーター、コートを取り出す。

 他に何か要るものはないかと、クロゼットについた引出しをあけて、そのまま動きが止まった。腕にかけていた樹理の服が滑り落ちた。


 そこにあったのは、メモの束。


 大切そうに、折ったり丸めたりせずにかわいらしいプラスティックのクリップで留められた、哉が樹理に伝言をしたメモの束。


 ちゃんと覚えていなかったけれど、おそらく全てあるのだろう。その下にカードキーとピンク色のベルベットがかかったスケジュール帳。

 見てはいけないと思っても、手は止まらなかった。メモを引出しに返してちいさな手帳を取る。

 毎年中身だけはずして使うようになっている手帳は、なぜか去年の分から、樹理がここに来てからの分が捨てられずに前のほうに残っていた。

 ウイークリーになった部分には女子高校生らしい丸い文字でびっしりとメモが取られていた。

 作った料理、哉の帰りの時間、置いてあったメモの復唱、哉が寝不足が続いたことを覚えている頃は、顔色の悪さと食事の工夫。


 次々とページをめくる。

 一日とて空白の日はない。


 哉に休みがなかったように、樹理にも休みはなかった。クリスマスも正月も成人の日があった三連休も。哉は当たり前のように仕事をしていたけれど、樹理は同じように、一度も家に帰りたいとも疲れたとも言わずに毎日毎日……



 こんな生活を続けていたら風邪だってひくだろう。



 毎日仕事が中心で張り詰めた空気の中でそれなりに充実して暮らしていた哉と違って彼女には学校があり、試験があって冬休みがあったはずなのだ。なのにこの二ヶ月、樹理は一言も文句を言わずに朝食を作って、家の中を綺麗に保ち、風呂を沸かして夕食を作り、毎日哉の帰りを待っていた。樹理の全てのライフサイクルが、哉に合わせられていた。

 一日五分くらいで、まともに顔さえ合わせない日だってあったのに、哉のことがかかれていない日は一日だってなかった。



 三日前の日付までは。


 真っ白になったスケジュールに、突然気になって、ごっそりとページをめくる。


 最後の日が。


 樹理が何を書いているのか、何も書いていないのか。どこからか突き上げるような衝動を力にして、今年の十一月にやってくる最後の日を。


 開いたそこには。


 その日には。


 シャープペンシルで何かを一度書いて、塗りつぶしたあと消しゴムで消したような跡だけがあった。


 ため息をついて、哉は手帳を閉じた。




 そこに書かれていた文字は、読めなかった。




 手帳を元に戻して樹理の服をたたみ、和室にあった紙袋に入れた。ついでに借りていた速人の服も入れてしまう。

 あの日のまま触れていない料理がラップのかかったまま、まだダイニングのテーブルの上にのっているはずだ。

 食べられるのなら食べてしまおう。レンジに突っ込んで温めなおせばなんとかなるかもしれない。



 そしてとっとと寝て、明日の朝迎えに行こう。


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