41 / 326
第一章 幸せのありか
41 side哉
しおりを挟む留守電の内容は極めて簡潔だった。
明日中に退院させるので、もしも樹理を連れて帰りたいのなら着替えを持って来るように。
速人によって問答無用で樹理は家に帰されると思っていたし、本人もそれを望むだろうと思っていた。けれど、電話の理右湖は、選択権を哉に残した。
哉が哉の意志で、樹理を必要とするのなら来いと。それは暗に、来なければ樹理は自由に家に帰ることができるのだと言うことを指していることは、気づかないフリをすることにした。
樹理はどう思っているのか、不安が残らないと言えば嘘になる。本当は帰りたいのに、哉の意思に従おうとしているだけなのかもしれない。と言うより、多分そうなのだろうと思う。けれど、帰してやらなくてはと思う反面、もう一度逢いたいと、心から願う自分がいた。
いざ逢って、また拒絶されたらと思うときりきり胃が軋む。
何度も留守電を再生して内容を確かめたあと和室に入ってクロゼットを開ける。
掛けてあったフリースのワンピースとグレーのハイネックの薄手のセーター、コートを取り出す。
他に何か要るものはないかと、クロゼットについた引出しをあけて、そのまま動きが止まった。腕にかけていた樹理の服が滑り落ちた。
そこにあったのは、メモの束。
大切そうに、折ったり丸めたりせずにかわいらしいプラスティックのクリップで留められた、哉が樹理に伝言をしたメモの束。
ちゃんと覚えていなかったけれど、おそらく全てあるのだろう。その下にカードキーとピンク色のベルベットがかかったスケジュール帳。
見てはいけないと思っても、手は止まらなかった。メモを引出しに返してちいさな手帳を取る。
毎年中身だけはずして使うようになっている手帳は、なぜか去年の分から、樹理がここに来てからの分が捨てられずに前のほうに残っていた。
ウイークリーになった部分には女子高校生らしい丸い文字でびっしりとメモが取られていた。
作った料理、哉の帰りの時間、置いてあったメモの復唱、哉が寝不足が続いたことを覚えている頃は、顔色の悪さと食事の工夫。
次々とページをめくる。
一日とて空白の日はない。
哉に休みがなかったように、樹理にも休みはなかった。クリスマスも正月も成人の日があった三連休も。哉は当たり前のように仕事をしていたけれど、樹理は同じように、一度も家に帰りたいとも疲れたとも言わずに毎日毎日……
こんな生活を続けていたら風邪だってひくだろう。
毎日仕事が中心で張り詰めた空気の中でそれなりに充実して暮らしていた哉と違って彼女には学校があり、試験があって冬休みがあったはずなのだ。なのにこの二ヶ月、樹理は一言も文句を言わずに朝食を作って、家の中を綺麗に保ち、風呂を沸かして夕食を作り、毎日哉の帰りを待っていた。樹理の全てのライフサイクルが、哉に合わせられていた。
一日五分くらいで、まともに顔さえ合わせない日だってあったのに、哉のことがかかれていない日は一日だってなかった。
三日前の日付までは。
真っ白になったスケジュールに、突然気になって、ごっそりとページをめくる。
最後の日が。
樹理が何を書いているのか、何も書いていないのか。どこからか突き上げるような衝動を力にして、今年の十一月にやってくる最後の日を。
開いたそこには。
その日には。
シャープペンシルで何かを一度書いて、塗りつぶしたあと消しゴムで消したような跡だけがあった。
ため息をついて、哉は手帳を閉じた。
そこに書かれていた文字は、読めなかった。
手帳を元に戻して樹理の服をたたみ、和室にあった紙袋に入れた。ついでに借りていた速人の服も入れてしまう。
あの日のまま触れていない料理がラップのかかったまま、まだダイニングのテーブルの上にのっているはずだ。
食べられるのなら食べてしまおう。レンジに突っ込んで温めなおせばなんとかなるかもしれない。
そしてとっとと寝て、明日の朝迎えに行こう。
0
お気に入りに追加
182
あなたにおすすめの小説
殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。
真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。
そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが…
7万文字くらいのお話です。
よろしくお願いいたしますm(__)m
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【完】前世で子供が産めなくて悲惨な末路を送ったので、今世では婚約破棄しようとしたら何故か身ごもりました
112
恋愛
前世でマリアは、一人ひっそりと悲惨な最期を迎えた。
なので今度は生き延びるために、婚約破棄を突きつけた。しかし相手のカイルに猛反対され、無理やり床を共にすることに。
前世で子供が出来なかったから、今度も出来ないだろうと思っていたら何故か懐妊し─
「わかれよう」そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。
友坂 悠
恋愛
侯爵夫人のマリエルは、夫のジュリウスから一年後の離縁を提案される。
あと一年白い結婚を続ければ、世間体を気にせず離婚できるから、と。
ジュリウスにとっては亡き父が進めた政略結婚、侯爵位を継いだ今、それを解消したいと思っていたのだった。
「君にだってきっと本当に好きな人が現れるさ。私は元々こうした政略婚は嫌いだったんだ。父に逆らうことができず君を娶ってしまったことは本当に後悔している。だからさ、一年後には離婚をして、第二の人生をちゃんと歩んでいくべきだと思うんだよ。お互いにね」
「わかりました……」
「私は君を解放してあげたいんだ。君が幸せになるために」
そうおっしゃるジュリウスに、逆らうこともできず受け入れるマリエルだったけれど……。
勘違い、すれ違いな夫婦の恋。
前半はヒロイン、中盤はヒーロー視点でお贈りします。
四万字ほどの中編。お楽しみいただけたらうれしいです。
ヒロインのシスコンお兄様は、悪役令嬢を溺愛してはいけません!
あきのみどり
恋愛
【ヒロイン溺愛のシスコンお兄様(予定)×悪役令嬢(予定)】
小説の悪役令嬢に転生した令嬢グステルは、自分がいずれヒロインを陥れ、失敗し、獄死する運命であることを知っていた。
その運命から逃れるべく、九つの時に家出して平穏に生きていたが。
ある日彼女のもとへ、その運命に引き戻そうとする青年がやってきた。
その青年が、ヒロインを溺愛する彼女の兄、自分の天敵たる男だと知りグステルは怯えるが、彼はなぜかグステルにぜんぜん冷たくない。それどころか彼女のもとへ日参し、大事なはずの妹も蔑ろにしはじめて──。
優しいはずのヒロインにもひがまれ、さらに実家にはグステルの偽者も現れて物語は次第に思ってもみなかった方向へ。
運命を変えようとした悪役令嬢予定者グステルと、そんな彼女にうっかりシスコンの運命を変えられてしまった次期侯爵の想定外ラブコメ。
※話数は多いですが、1話1話は短め。ちょこちょこ更新中です!
●3月9日19時
37の続きのエピソードを一つ飛ばしてしまっていたので、38話目を追加し、38話として投稿していた『ラーラ・ハンナバルト①』を『39』として投稿し直しましたm(_ _)m
なろうさんにも同作品を投稿中です。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
隣国に売られるように渡った王女
まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。
「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。
リヴィアの不遇はいつまで続くのか。
Copyright©︎2024-まるねこ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる