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第一章 幸せのありか
16 side哉
しおりを挟む哉が口元の皺を深くする。けれどそれとは正反対に、目は鋭さを増しているのを樹理は見た。
え? とちょっと間の抜けた顔をして、父親が哉を見た。そしてやっと彼はその瞳の中にある冷たい光りが自分に注がれていることに気付いた。いやな汗が背中を流れる。
「再建計画の期間は一年。それまでにも四半期ごとに僕が出したハードルをクリアしていただきます。約束の一年が過ぎるか、ポイントでの結果如何(いかん)ですが」
そこで哉は言葉を切った。視線が、樹理に向く。
「お嬢さんを預けてもらいましょうか」
そこに飾ってある絵をくれ、とでも言うような口調で、こともなげにそう言い放った哉に、思わずたちあがった父親は言葉を無くした。
「こちらに戻ってきて、何を間違ったのかバカみたいに広い家に一人で住んでましてね。ちょうど掃除なんかをしてくれる家政婦でも雇おうかと思ってたんですよ」
座ったままの哉を見下ろす格好になっても立場は逆転しなかった。見下ろされる哉のほうが、圧倒的な優位を保ったままだ。何か言おうとしているのか、ただ息をしているだけなのかぱくぱくと口が動いている。
「期間は最長で一年。もし再建計画が予定通り進まなかった場合でも、ちゃんとお返ししますよ。失敗しても担保はそのまま残って、返って来る。そんなに悪い話だとも思えませんが?」
再びソファに沈みこんだ父親は、絞り出すように言った。それはできない、と。
会社の為に娘を売るようなマネはできないと。
親としては百二十点の答えだが、経営者としては三流以下だ。自分の父親が同じ場面に直面したら、きっとなんの躊躇もなく娘を渡すだろう。それで会社が救われるのであれば安いモノだとでも言いたげに。
ことごとく予想通りだった。どうせこの答えが返ってくるだろうと知っていたから、哉は敢えて希望を与えたのに、彼は自分の意志で、その希望を残してパンドラの箱を閉じようとしていることに気付かない。
漂っていた重苦しい空気を割ったのは樹理だった。
座りこんでしまった父親に代わって、立ちあがる。哉を見つめる。
「行きます」
清んだ、少女のソプラノが場の空気を凍りつかせた。少なくとも彼女の両親は凍り付いている。
なんとか立ち直ったらしい母親が必死で止めている。父親は、言葉も無く娘を見ていた。
会社のことも家のことも樹理は何も考えなくていいのだからと言う母親に、キッパリと首を横に振って言いきった。
「わたしが、行きたいの」
「樹理!!」
母親が悲鳴をあげた。行きたいはずなどない。大事な大事な一人娘を、こんなことに使うなど、この家族には考えられないことなのだろう。繰り広げられる吐き気をもよおすことさえ億劫なくらいベタな家族愛。
「荷物を取って来い。制服のままでいい。学校は今まで通り通えばいい」
「………はい」
哉に見上げられて、樹理は視線を逸らしてそれだけ答えた。そのまま部屋を出ていく樹理を母親が追う。
「………あなたは………」
何かを諦めたような、そんな口調で父親がつぶやいた。
「どう思っていただいても構いませんよ。そうですね。お嬢さんが何事も無く返って来るかどうかは、あなたがどのくらいやってくれるかに、かかっているのかもしれません」
「………っ!!」
「ほら、その顔」
暗い光りをたたえた目を向けられて哉が面白そうに言った。
「その目でがんばればいい。死にもの狂いでね。さっきまでのあなたとは別人みたいですよ」
言い終えると同時に哉が立ち上がる。用は済んだのだ。
「……行野社長。もしも会社が存続できたのならお嬢さんを経営者に据えるといい。あなたよりよっぽど彼女のほうが向いてますよ」
嫌味ではなく本音だったが、哉に返って来たのは歯軋りの音だけだった。
「一週間後にはこちらから計画書を送らせていただきます。それまでに整理できそうな部分があればご自分で」
二階からガタガタと言う音が聞こえてスーツケースを下げた樹理と、通学用のかばんと、小ぶりのスポーツバックをもった母親が降りてきた。
誰に言われるわけでもなく哉は玄関から先に車に向かい、トランクをあけた。どうせ何も乗せていないのだ、大き目のスーツケースも難なく納まった。
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