3 / 326
第一章 幸せのありか
3 side哉
しおりを挟む東京に戻って最初の二週間は、関係各所へのあいさつ回りで潰れた。その後も仕事の引継ぎや、取引先を覚えていくことでさらに二週間。哉が正式に仕事をはじめることが出来たのは、神戸をでてからひと月が経ってからだった。
兄のこれまでの仕事を一瞥して、その甘さに哉は歎息する。
哉がこれまでしていた仕事は、営業や企画と言ったもので、経営とは全く離れた場所にあった。その哉が見ても呆れるほどで、よく言えば人情味の溢れた、悪く言えば経営の基本すら踏まえない、行き当たりばったりの采配。とうの昔に切り捨てられていいような採算の取れていない企業や工場、営業所が、寄生するように本社にすがっていた。それらの救済はおそらく全て、副社長権限で兄が独断で行っていたことだろう。
まずはこれから処理していかなくてはならない。いやな仕事ばかり押し付けられた気がするが、これでコケるようなことがあれば、哉も兄と同様に、あっさりと解任されるのだろう。その地位から。
副社長と言う地位には、何の価値も見出せなかった。現社長の息子だからと与えられた地位は、世間が思うほどすばらしくも何ともない。けれど、ただ純粋に、面白そうだと思うからこそ、彼はここにやってきた。
あがってきたリストをじっくりと読みながら、内線を取った。東京に帰ってきてすぐに社長である父が、役に立つからと与えてくれた秘書兼運転手の篠田を呼び出すために。
引き合わされた瞬間、信じさせてくれるものがある男だった。無口だがきっちりと仕事をこなし、ひとかけらのソツもない。社内社外問わず初対面の相手と話をしなくてはならない時は、さりげないフォローも忘れない。今のところ、父の手の中のものだとしても、社内で哉の味方だと言えるのは彼だけかも知れなかった。
リストから、再建、合理化の必要な子会社や関係企業へ、その計画の提出を命じて、〆切の翌日、哉のデスクの上には膨大な量の資料と計画書が積まれていた。ひとつずつ、時間をかけながら確認して、可不可をつけていく。
哉の判断では半数以上が不可。つまり切り捨ての対象になる。それをさらに篠田に相談して、彼の意見を聞き、結局三分の二になるかという量の対象の取引中止を決定した。つまり、たったそれだけでこなせる仕事をだらだらと細かく分配して経費をかさませていただけなのだ。今まで。
社長に連絡すべきかと問う哉に、篠田は『この件につきましては副社長一任とされております』と答えた。つまりは、何かあったらお前が全て責任を取れ、と言うことなのだろうが、分かったと答えて、社長へは結果の報告だけをすることを決めた。
篠田を控え室に下げて、首を回しながら立ち上がる。デスクの後は、セオリーどおり大きなガラスで仕切られており、眼下にはごみごみとした都会の街並みが続く。社長室のある最上階の一つ下の階になるこの部屋からの景色は、おそらくこの会社に勤めるものなら見てみたい、見下ろしてみたい景色だろう。
きれいでも、汚くもない。
哉にとっては、ただそこにあるだけのもの。
生きていくのは簡単だった。
何も求めなければよかったのだから。
そう言えば、中学、高校とずっとつるんでいて、なぜか現在もその関係が瓦解していない数少ない友人が珍しく真顔で言った言葉を思い出す。『生きているのと、死んでいないのは違う』どうしてそんな言葉を思い出したのだろうと、少し唇の端をあげてから、哉はデスクに戻った。
彼に連絡を取ろうかと考えて受話器を取り、考える。わざわざ自分が言わなくても別ルートから今回のことは伝わっているだろう。いろいろ問われるのも煩わしくて、気が変わった。指は、取引中止の決まった相手先の番号を押していた。
0
お気に入りに追加
182
あなたにおすすめの小説
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。
石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。
すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。
なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。
Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?
キミノ
恋愛
職場と自宅を往復するだけの枯れた生活を送っていた白石亜子(27)は、
帰宅途中に見知らぬイケメンの大谷匠に求婚される。
二日酔いで目覚めた亜子は、記憶の無いまま彼の妻になっていた。
彼は日本でもトップの大企業の御曹司で・・・。
無邪気に笑ったと思えば、大人の色気で翻弄してくる匠。戸惑いながらもお互いを知り、仲を深める日々を過ごしていた。
このまま、私は彼と生きていくんだ。
そう思っていた。
彼の心に住み付いて離れない存在を知るまでは。
「どうしようもなく好きだった人がいたんだ」
報われない想いを隠し切れない背中を見て、私はどうしたらいいの?
代わりでもいい。
それでも一緒にいられるなら。
そう思っていたけれど、そう思っていたかったけれど。
Sランクの年下旦那様に本気で愛されたいの。
―――――――――――――――
ページを捲ってみてください。
貴女の心にズンとくる重い愛を届けます。
【Sランクの男は如何でしょうか?】シリーズの匠編です。
冷たい外科医の心を溶かしたのは
みずほ
恋愛
冷たい外科医と天然万年脳内お花畑ちゃんの、年齢差ラブコメです。
《あらすじ》
都心の二次救急病院で外科医師として働く永崎彰人。夜間当直中、急アルとして診た患者が突然自分の妹だと名乗り、まさかの波乱しかない同居生活がスタート。悠々自適な30代独身ライフに割り込んできた、自称妹に振り回される日々。
アホ女相手に恋愛なんて絶対したくない冷たい外科医vsネジが2、3本吹っ飛んだ自己肯定感の塊、タフなポジティブガール。
ラブよりもコメディ寄りかもしれません。ずっとドタバタしてます。
元々ベリカに掲載していました。
昔書いた作品でツッコミどころ満載のお話ですが、サクッと読めるので何かの片手間にお読み頂ければ幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる