白薔薇の兄さん2

ふしきの

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柊のご令嬢2

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 柊の離れ屋にチカの婆さんがずっと静かに暮らしていた。
 姑としても婆さんとしても全く家族に無関心で、家族の中でも極力かかわりの薄い人だったらしい。
 むかし、そこには見事な薔薇の棚があり、むせかえる匂いと、太い茎に這う下向きの棘は、軽い気持ちで手折る不届きものの手に傷をつけていたらしい。


「悪いな、用事を言いつけて」
 と、いつにもまして顔が怖いのがぬっと屋敷の奥から顔を出してきた。
「この前言っていたの、は、あるっちゃあるが、まあ、座れ」
 案内された座敷に戸惑いながら護は座った。
「まあ、その前に奥座敷で、長櫃から、これが出たわけだ。……で、俺も嫁もサイズが合わねぇ、しかも俺の知り合いも全聞いて回ってみたが、サイズが合わねえ、無理を承知で頼むが、今後の作品の資料に使わせてもらいたいので」
「…はぁ、まあ、いいですよ」
「チカちん、やっぱり長い刀とかはないよぉ」
「うむ、さて、こいつは…」
「先に写真、撮影機材はスタンバっているから」
 護の頭に、『先をやられた』は、口を閉じて、ぐっとこらえた。
 真っ白い長袖の制服、肩に黄金のフリンジ、見えないボタンが体を硬直させる。
 日差しは、夏を超えたとはいえ、炎天下に近い。
 手の角度やら、足の組み合わせやらで数枚撮っただけで汗が、ねむっていたヒノキの香りを通して洋服から出ていく。汗が蒸発して匂いでぐらつく。瞼の前に蜃気楼が見えそうだった。
 「機材替えるから休憩 」
 と同時に、日差しに連れていかれて、横たわりそうになってしまった。が、制服というものは、いでたちの問題なので、すぐにも崩れそうな古い衣服にシミやしわをつけるのもためらってしまう。
 風が道を示したかのように護は奥の日差しの弱い場所へ歩いていった。


「おおー、ここにいたのか」
 チカが、遠目で手を振った。
 が、護には見えていなかった。婆さんが目の奥に光を取り戻したような顔で護を見つめて、腕を離さなかったからだ。護も婆さんの顔から目をそらすことはなかったし、柔和な顔でゆっくりと喋っているのだ。
「ああ、そうか、キヨ子って言いにくかったんですね」
「そうなのよ、あの方は、わたくしのことを、コッコとお呼びになってね、当時は流行りの名前かしらとも思いまして、わたくしも知らんぷりをしていましたの」
 婆さんは記憶奥から語る。 
「素敵な方ですね」護は受けて喋っている。
「あら」
「あなたも、そのお方も」
「まあ、そうですか」
「ええ、そうですよ、お互いが思いやっている」
「恥ずかしかったのですわ、お互いが」
「ですが、…重くはない」
「そうでございますね」
「東洋から西洋風にもとらえて…」
「…まるで、一陣の風のようでございました」
 と、遠くを見つめながらするりと手の力が落ちていった。
「わたくしは、この窓の景色が嫌でした。ですから当時いち早く取り寄せた西洋薔薇の花を植えました。薔薇はとにかく手入れが大変で肥料もたくさん必要でした。薔薇の花を手入れすればするほど、沢山のことを忘れさせてくれましたから…そして、薔薇は儚く薄情に水やりを怠っただけで枯れるのです、そうでしたね、記憶も香りも遠い過去です」
「けれど、コッコ、この暑い日差しも、夕暮れを感じさせる爽やかな風が頬を通っています。それは今です」
 どこかで通り雨もあったのか、少しアスファルトの香りのたつ風が吹いたかとおもったら、続いて夕闇に迫る少し冷たい目の大きな風が扇がれたような波でそよいだ。
 どこかで部屋の空調音のスイッチが『ピッ』と鳴った。
 護は静かにその場所を離れて、見えないところまで姿を隠した、ため息と共に貧血で目の前が暗くなってうずくまってしまった。
「お花屋さんの薔薇はね、こうして、一本一本棘を抜くから、高い値で売ってるんだから」
「ふん、じゃあ、棘のない薔薇を売ればいい」
「まったく、言い分も酷いなぁ。棘がなきゃ、害虫に食われるほど弱いんだから、薔薇には価値があるんだ。全く、ヴェルサイユ宮殿にお住いの姫君だってそれぐらい知っているってのに」
「ああ、うるさい子だ、ほんと、あんたは見てくれしか能がない。見てくれだけの男はほんとに嫌だ」
「あははは、婆ちゃん辛辣! 面白ぃ」

 護は、別棟でシャツ一枚で寝かされていた。
 湿り気のある補水液はリンゴの甘い味だった。

 夕暮れの帰りに「今日はひどい目にあったね」と言われて、護はそれほどでもなかったと答えた。
「楽しかったよ、ちょっと服が重たかったけれど」
「そっか」
「でも、…服を脱がせてくれてありがとう。やっぱり、きつかった」
「ああ、あれは、そ」そうだね、あれは、着せて喜ぶのを見るのが嫌だったっていうか、「他人の服を着せられるのが嫌だった」っていうか、とか、頭と声に出すのでごっちゃになった背後で、
「くくくっ」
 と、押し殺したように護の笑い声が漏れた。

「あのさ、汗臭いよ」
「うん、でも、良い」
 汗と皮膚と手の感覚が交わるのを感じる長いキスをして別れた。
 ぐぐぐっと、相手を押し出して、「じゃ、おやすみ」と言って自分の家に戻って行った。
 これ以上はアブナイと二人は同時に感じたから。

 後で聞けば音楽隊の制服だったらしい。 
 その後、借り物は達筆な詫び状とともに借りた。



 


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