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第六章:名もなき毒

海野_6-1

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「あの人はもう……限界なんですよ」

 そこから海野が語ったのは棚神選手の『現在』だった。

 暗黒時代、と呼ばれる低迷期から脱却する為に彼は戦い続けた。彼は翔び続けた。
 それにより団体の人気は回復したが、彼が負ったダメージは大きく、靱帯は何度も断裂した。
 両膝の前十字靱帯が無くなった。内側側副靱帯も無くなった。その他にも無くなって本来ならば八本あるはずの靱帯は残り三本になってしまった。
 満身創痍――それでも戦い続けた。彼はプロレスに人生を捧げ続けた。それを天命だと言わんばかりに――

 だが、老いと共に気力だけではどうにもならなくなってきた。自身がイメージする動きは全く再現できず、満足する試合は年に数回できるかどうかになった。観客を失望させたこともあった。

 何度も『引退』という言葉が頭に浮かんだのだろう。

 しかし、それでも彼を望むファンの声が消えることはなかった。
 一方で彼を疎ましく思っているファンの声も消えなかった。
 それほどまでに、自身の一挙手一投足がプロレス界に影響を与えていた。

 満足に試合が出来ないならならば、リング外の発言、行動で貢献し続けた。
 真っ正面な意見。逆張りの意見。本心なんてどうでも良かった。プロレス界が注目され、盛り上がるのなら――

 そうして、棚神選手は肉体だけでなく、精神も限界を迎えた。
 誰よりもプロレスとファンのことを考え、動き続けた男はその二つに蝕まれてしまった。

「ある日、怪しい男から薬のような物を渡される現場を俺と中島は見ました。そのときはすぐに社員の人に渡すだろうって思っていた。だけど、あの人は今日までそれをしなかった――そこで解ったんです。きっとあの人はリングの上で死んで、天命を全うしようとしている。付き人だから、憧れている人だから、何をしようとしているか解ってしまう。そんな覚悟を持った人を誰が止めれ――」

 海野が声を震わせながら語るが、

「御託はもういい」

 有栖は怒りに満ちた声でそれを遮った。
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