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第二章

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俺がこの修道院に入ってから約一ヶ月が経ち、最初は慣れないところはあったものの今ではすっかりと修道院の生活にも馴染んだ俺の姿があった。神に祈りを捧げ、奉仕活動をする毎日は俺には案外合っていたらしい。神の祈りを捧げていると本当に心が穏やかに洗われる気持ちになるし、奉仕活動も色々な人達と接する事が出来る上に、知らなかった人々の暮らしを知る事が出来るから嫌いじゃない。

休日は、図書館に入ってお気に入りの本を探し読みながらのんびりと過ごした後クリス達と合流して街のカフェでお茶をするのが楽し音々みとなっていた。セレーヌ様も周りの修道士達も、皆優しく温かく俺に接してくれていて、なによりクリスとファルが友人として俺に寄り添ってくれる。そんな決して派手ではないささやかな毎日が、今の俺にはとても愛おしく思えていた。

今思えば以前の俺は家にいても孤独だったし、どこにいたってルイスと比べられるばかりで、経済的には満たされていても心は全く満たされはしなかった。けれど、今は経済的には決して恵まれているとは言えない状況であるのに、心はとても温かいもので満たされているのを実感していたんだ。暮らす場所が違うだけで、人はこんなにも変われるのかと驚くぐらいに。

特に俺は朝のミサの時間が好きだった。正確に言うと、ミサの時に讃美歌を歌うのが、だが。讃美歌を歌っていると、心の中の醜いもの、どろどろしたものがだんだんと薄れていくのを確実に感じられたし、歌っていると澄んだ気持ちになれるんだ。それと同時にとても優しい気持ちにもなれた。俺の中にあるルイスへの確執も、未だはだいぶ薄まってきたような気がする。それと同時にグレイシス王子への愛情も、未だに思い出すとまだ少し切なくはなるものの、これだけ愛せた人に出会えて俺は幸せ者だったんだなと思えるようにもなってきていた。

これなら、二人のことを心から祝福できる日も近いのかもしれないな。

そう思えば自然と笑みが浮かんだのをファルに見つかってしまう。

「どうした?何か機嫌が良さげだな。何かあったのか?」
「ん?ああ、いや今からミサだからな」
「はは、ラルフって本当にミサが好きだよね。ミサというか讃美歌を歌うのが、かな」
「ああ。なんだろうな。讃美歌を歌っていると本当に神聖な気持ちになれるから好きなんだ」
「確かに、ラルフの讃美歌凄く綺麗な歌声だもんね。心が人一倍こもってるっていうかさ」
「そうか?」
「ああ。確かにとても綺麗な歌声だな。聞いているこちらが引き込まれる様な。隣の部屋の奴らも言ってたぞ。ラルフの歌声は凄く綺麗だって」
「そ、そうなのか」

そういわれるとどうにも照れ臭くなって俺は微かにはにかむ。

「あ、そうだ。讃美歌と言えばもうじき聖歌祭だよね」
「聖歌祭?」

クリスが思い出したというように告げた言葉に俺が首を傾げた時だった。部屋の外かから何やら修道士や修道士見習い達の叫び声が聞こえてきて、俺達三人は思わず顔を見合わせた。

「おいっ、そっちに逃げたぞ!」
「興奮しているようだからあまり近づくな!危険だ!」
「戦えないものは礼拝堂の中へ逃げろ!」

思った以上に物騒な言葉に思わず緊張が走る。

「どうしたんだ、いったい?」
「誰か危険人物が侵入したとかなのかな?」
「俺少し見て来る!」
「あ、おい、ラルフ!」

二人にそう言い残すと、恐怖心よりも好奇心の方が飼ってしまった俺は部屋の外へと飛び出す。すると長めのこん棒のようなものを持った修道士たちが数十人で何かを追いかけている姿が見られた。その先頭を走っている真っ黒な物体は一瞬だったが、大きな豹の様に見えた。

「あれは、豹か?なんで修道院内に豹が」

呟いている間に黒豹は中庭の方へと素早い速さで走っていく。本当に豹であるのなら確かに無防備に近づくのは危険だと俺の心が告げていた。けれどそれ以上に、好奇心が勝ってしまった俺は後を追って中庭の方へと走って行ったのだった。俺が中庭に辿り着いた時には、黒豹は既に修道士達によって建物の壁際迄追いつけられていたけれど、かなり興奮しているらしく修道士が近づこうものならすぐにでも噛みつく勢いで威嚇していた。

そのため修道士達の方も動けずにらみ合いながらの膠着状態に入ってしまう。何人かの修道士が落ち着かせようと声をかけるけれど、興奮しきった黒豹の耳には届いていないのか牙をむき出しにしてとびかかる体勢を取るばかりだ。けど、なんであの豹はあんなに興奮しているんだろうか。元々豹という動物は肉食獣の中でも臆病で怖がりなので人間に襲い掛かることは殆どないと、以前読んだ本に書かれていた気がするんだけれどな。

そう思いながら俺はそちらの方へと近づいていく。そして、大分近くまで近づき、よくよく観察してみると黒豹は右横腹の方になにかナイフのようなもので切られた切り傷があり血が流れ落ちているのを発見する。

もしかして、あいつ…!
怪我してるから興奮してるのか!

「あっ、おい、君!」

原因に気がついた瞬間俺は、近くにいた修道士が止めるのも聞かないままに黒豹の方へと向かって歩いていく。黒豹はすぐ側まで来た俺の姿を見て、警戒するように唸り声をあげると今にもとびかかる体勢を取りつつ威嚇し続けるも、俺は構わず一歩、また一歩と近づいて行った。

「大丈夫。大丈夫だ、落ち着いてくれ。何も怖くない。俺達はお前に危害を加えたいわけじゃない。お前を助けたいだけなんだ」
「グルルッ……!」
「大丈夫だから。大人しくしててくれ。傷の手当てをしないと、そのままじゃ出血多量で危ないだろ?」

興奮させないように、落ち着かせるようにと優しく言いながら俺はそっと黒豹に手を伸ばす。傷の具合を確かめようとしたその時だった。

「があっ!!」
「うおっ!!」

黒豹は俺の腕を噛もうと口を開けて噛みつこうとしてくるのをすんでで避ける。

「だから、傷の具合を確かめるだけだから安心しろって。手当しないとお前だって痛いままだぞ?」

言いながらもう一度手を伸ばすけれど、黒豹は再び噛みつこうとしてきた。そのやり取りを三度ほど繰り返した後は流石に温厚な俺もいい加減ぶちぎれてしまう。このわからず屋がと。

「ああ、そうか。わかったよ。なら噛めばいいだろう、嚙めば!俺は噛んでも手を引かないからな!噛んでるあいだに傷の具合を見せてもらう!」
「っ!?」

そう言い切ると、黒豹の目が何処か驚きに見開かれた気がした。まあ、ただの偶然だとは思うけれど。だが俺は言葉通り四度目の挑戦で黒豹に向かって手を伸ばす、噛まれたら噛まれた時だ。と開き直りつつ勢い任せに黒豹の体の傷口に触れようすると、黒豹は身構えたものの今度は噛みつこうとはしなかったため、俺の手は無事にそっと傷口を振れる事が出来た。

なんだ、やっとわかったのか、危険はないって。
まあ、言葉が通じてるってわけじゃないんだろうけれど、雰囲気で感じ取ってくれたのかもしれないな。

なんて考えながら俺は顔を近づけて傷口を確認する。遠くで見目るよりも傷口は深く、血も大量に流れているけれどなんとか致命傷には至らないようでほっと安堵の息をついた後は振り返って様子を見守っていた修道士達に声をかけた。

「やっぱりこいつ、怪我をしてて興奮してたみたいで。今は大丈夫です。どなたか傷薬と包帯を持ってきていただけませんか?手当してやりたいので。あ、血を拭きとる布もお願いします」
「あ、ああ。わかったすぐに取ってこよう」

修道士の一人が頷き、医務室の方へと走って行ってくれる。待っている間に俺は黒豹の方へと向き直ると、まだ警戒している様子を見せるその頭をそっと優しく撫でてやった。

「よしよし、いい子だな。大丈夫だ。すぐに手当てしてやるからな」

黒豹は警戒は解かないものの、俺が振れてももう抵抗する様子はなく大人しくしてくれていた。
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