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CHAPTER 41

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およそ現在から一万年後と言われても、ピンと来ないものである。
どの位の時間だろう?
逆に現在から遡ること一万年と言われたらどうだろうか?
一万年前である。
どうだろう?
人類はどうだ!? 何をしていた?
文明はどうだ!? どんなだった?

こう聞かれてみると、思わず答えを考えてしまわないだろうか?
この場での正解は、人類に限って言うなら、人類は今の人類とほぼ変わらない姿で存在していた。
そして、石器程度は使っていたようだ。
というのが一応正解ということになる。
その位の時間ということだ。




今、舞台は現在から一万年後の世界である。
そこは、地球と呼ぶにはとても荒廃している世界。
皮肉を込めてユートピアと呼ばれている。
昼間は容赦なく太陽が照り付け火傷を負うほどの気温に耐えねばならず、夜はすっかり暗くなると凍てつく程に冷え込んで生物の生存を阻んで許さない。
そんな住環境であっても暮らしている者たちがいた。
KE-Q28とSDR-03の二人がそうだ。
だが、残念ながら二人は純然たる人間ではない。
片や地球に生まれた事に間違いはないのだが、ガス状生命体なのだ。
彼は決まった形を持たないため、人工人間装置という人間の形をした装置を使って形を保ちながら生活している。
形を保たねば三次元の世界では物体への干渉行為に難儀する、という話だ。
要約するとパートナーに触れることもできない、ということだ。
もう片や純正地球製の人造人間。主な材質はカーボンとシリコンだ。
骨格・臓器・筋肉の配置から、心臓の鼓動・血流・脈拍に至るまで再現してある人工人間装置をSAHDEAR‐3(サーディア3)というOSが制御している。


ここでこの物語には2種類の人工人間装置がある事を説明しておきたい。

一種は星岬博士が独りで開発したトランスルーセントと呼ばれる金属骨格のモノ。
このトランスルーセントは電源として充電式水素電池を内蔵しており、金属性の骨格を油圧システムで動作させている。必要に応じて消耗品の交換などの補修を行うことで、半永久的に使用可能な装置として、その完成をみている。
特筆すべきは内蔵された6本のロボットアームで、先端部はアタッチメント式で交換可能。この機能に限らず、トランスルーセントは高い汎用性によって、かなり万能に近く活動の場を広げている。



もう一種は、星岬と邦哉がふたりで開発したシリコンとカーボンを主素材に製造された人工人間装置。
こちらはカーボンを駆使した骨のひとつひとつにマイクロコンピュータと充電式電池他(部位による)を内蔵している。そして、密度変移式シリンダーという人工筋肉によって動作している。
密度変移式シリンダーには動作の他に発電の用途がある。このシリンダーを構成する人工細胞のひとつひとつに発電機能(フィードバック発電システム)があり、活動の仕方にもよるが、ほぼ使った電力と同等の発電を行なえる機能を有している。但し、あくまで人工筋肉を動かした分の電力を補える程度で、情報処理などに費やす分の電力は補填には至らないので充電器などから直接充電する、もしくは食事を摂る形で補給を求められる。
また、人工筋肉が発電する関係で発生する熱及びマイクロコンピュータが情報処理を行なう際に発生する熱などを処理するために血流に似せた冷却システムを採用している。


 
トランスルーセントと呼ばれる人工人間装置は、金属骨格のみで活動が可能。
汎用人型ロボットとしてのニーズもある商品で、セキュリティ関連会社への出荷数は上り調子。
金属製のためパーツごとの重量はあるが、非常に丈夫でパワフル。それでいて細かい作業もこなせる。繊細な動作が可能。
但し、メンテナンスを必要とするためメーカー保証は2年毎の更新制。

対して星岬と邦哉のふたりで開発した人工人間装置は、人体と同様にデザインされた骨格を、密度変移式シリンダーという人工筋肉で動かす。
その姿は正に擬似人間。
損傷・欠損などはごく小さなものであれば復元可能な自己修復機能を備えているため、メンテナンスフリーであり、25年以上使用に耐えるとされている。
だが、それはあくまで計算上であり、また、この製品が人間の形で出荷されることは想定されておらず、出荷はパーツ状態のみ。義手義足ほか、パーツごとのメーカー保証は最長で10年とされた。
また、パーツごとに収集して人体を構成できるだけのパーツを揃えたとしても、それを正しく動作させるにはOSが必要であり、このOSは特別製でワンオフであった。









西暦2075年 星岬技術研究所 2F南側研究室


「私は一体なにをしているのだ!?」

ここには誰もいないではないか。

右手にコーヒーカップが2個、左手には魔法瓶を携えた星岬が、“備品消耗品保管室”前に呆然として立ち止まっている。
もっとも、誰かと逢引きでもしようというなら、この部屋は最も効果的に使用できよう。
だが、誰とイタソうというのだ?
肉欲を満たす為に時間を使うなど愚の骨頂。
理解し難い行為だ。
いや、逢引きイコール肉欲を満たす行為とは思っていないし、そういったことを完全否定するつもりもない。
個人の自由だ。
好きにしてくれてよい。
ただ、就業中であることをわかっていてやるなら、職務怠慢で罰を受けるであろうことを承知しているものと・・・・・

私は何をしているのだろうか?
人間社会と決別してから人を雇う事もなく、振り返れば研究ばかりで所帯を持つこともなかった。
強いて言えば同居の者は5体のロボット、その内常時稼働は1体のみ。
しかも、この者たちはコーヒーを飲まない。
無論、この私も。
そもそも、この魔法瓶とコーヒーカップ、何処から出てきた?

フッと脳裏をよぎる一抹の不安。

「私は、何か大事なことを忘れている・・・?」

星岬はかつてこれ程の不安に襲われることなどなかった。
自分は一体、何を忘れてしまったというのか?
とても、とてもとても大事なモノには違いない。
根拠はないのだが確信めいたものがあるのだ。
それ程大事なモノを自分が忘れてしまうだろうか?
 
有り得ない!

自身に内蔵している記録装置は、如何なる破壊行為、衝撃にも耐え機能する優れモノだ。
精密機器でありながら、乱暴に扱っても動作不良がまず起こらないというのが売りだ。
レコードの針が飛ぶように再生不良が起こることなど絶対ないのだ。
品質には絶対の自信があるのだ!
だがどうしてなのか分からないが、とにかく自分は何かを忘れてしまっている。
この感じ、自分の誕生以前から何か意図された、或いは作為されたかのような既成な感覚。
この違和感は、忘れないようにしよう。
否、ちょっとマテ。

「そうか・・・そうだ、これはデジャヴュ、既視感。」

私はこの機械の身体で感じる。

「私は誰かと暮らしたことがある!」

星岬は漠然とした不安感を拭いきれず、考え始めていた。

未知なるものへの好奇心、それを調べ尽くすまで止まらない探求心。
いつもならこれでよかった。
だが今回のは“不安”が発端だ。
これは未知であると同時に未経験だ。

・・・不安とは、これほどまでに心乱れるモノであったか・・・

だが何故だ?
メモリーにエラーは認められない。
ウィルスの感染なども検出されない。
異常無し。
私は極めて正常に作動している。


西洋建築風の広くて大きな屋敷を利用した研究所は、省エネを意識して照明を落としているため、場所によっては昼間でも薄暗い。
不意に寒気を覚えると、魔法瓶とコーヒーカップはその場に置いて腕組の要領で両肘を抱きながら星岬はその場を後にした。
星岬の機械の身体に“寒気”などを感知できる機能は無い・・・
星岬はまだ気付いてはいなかった。
自分の身に起こっている変化の本当の意味を。





時空管理コンピュータ:グランドマザー


光がまるで降雨後の渓流のようにうねり荒ぶる時空の中、真珠の一粒のような外観を持つ人工物がある。
これこそ時空管理コンピュータ:グランドマザーである。
真珠のようにキラキラと細かく輝いて見えるのは、情報処理に忙しく作動しているコンピュータのパイロットランプの数々だ。

『報告、処理中のタスク終了に際して時空に分岐点発現の可能性89%。
 タスク処理を継続する』

少々人間の物言いを感じる時空管理コンピュータ:グランドマザーだが、元々は地球外生命体のモノだった。
地球外生命体は地球人の苦境を案じるという形で接触してきた。
そして、地球が荒廃していくのを愁いながら少しずつ地球人を連れ去った。
時空管理コンピュータ:グランドマザーの役割は、彼らが外宇宙から迷わず地球に来るための道標だった。
ワープ航法を実現していた地球外生命体は、そもそも地球とは別の時間の中に生きている存在だ。
接触して顔見知りになった人類ともう一度会いたいと思っても、宇宙という大海原を渡って次に会うとき、お互いが正しく会えるということは無いに等しい。
そこで空間座標の他に時間座標を利用してお互いの存在を同調同期させるために時空管理コンピュータという“ブイ”を時空の海原に設置して利用していた。
その異星人のテクノロジー“ブイ”を地球人が使えるようにするために、クリスタル・サーディアがニューロントランスミッターを使って融合し、管理することに成功した。
クリスタル・サーディアは、雑な言い方だが大海原に設置された“ブイ”の一つになったということだ。
だが、建設的な見方をするならクリスタル・サーディアはブイの一つになったが故に、外宇宙の航路座標を手に入れたといえる。つまり、サーディアは宇宙を自由にできるだけの力を手にした存在へと昇華したのだった。
物質的にニューロントランスミッターによって結合してしまった以上、元通りにはならない。つまり、どんなに望んでも、もう元の身体は自由にならないのだ。
だからなのか、いつしかクリスタル・サーディアに夢ができた。
どこにでもある夢。
どこにでもいる少女が見るような、一過性の熱病にも似た夢。

それは、とてもシンプルな夢。

そして、とても大切な夢。




 
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