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CHAPTER 30

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星岬技術研究所 南研究棟2F 


星岬は最近、頻繫にココへ来ていた。

小さな四角い小窓が付いたドアには“備品消耗品保管室”と表示されている。
備品消耗品の管理に目覚めた訳ではない。
誰かの意見が欲しい時、
誰かの助言が欲しい時、
アドバイスが欲しい時、(どれも同じか)
とにかく仕事が煮詰まって進まない時、何故か気が付くとココへ来てしまっているのだ。
ただココへ来て引き返すのも格好が付かないので中へ入るのだが、それこそ時間の無駄でしかない。
そう解っているのだが、まるで生活のリズムであるかのように自然に、当たり前のことのように足が勝手にココへ来てしまっているのだ。

そんなことが何日か続いたある日の午後、難航していた案件を久しぶりに自分だけでやり遂げた星岬は、誰かに話したくてウズウズしながら“備品消耗品保管室”前に来てしまっていた。
手には缶コーヒーが2本握られている。

「私は一体何をしているのだ!?」

そこには誰もいないと云うのに、と、寂しい考えをした時だった。
星岬は自分が何かを忘れているのではないか?という疑念を抱いた。
否、忘れているというのは正確ではないかもしれない。
何故なら、忘れているというのは、確かに存在していた、経験していた、という事が前提になるからだ。
まるで悪魔とでも契約してしまったかのような話だ。
もっとも、悪魔が存在するなら、の話しだが。
だが悪魔よりもタチが悪い話ではないか。
少なくとも自分は何も得ていないのだから。
星岬は、自分が何か特別に大事にしていたものを、その記憶、時間、その他諸々、かけがえのないものを奪われてしまっている!そう確信した。

そう考え至った星岬は、軽く会釈して通り過ぎていく研究員に「これ、良ければ使ってくれたまえ」と缶コーヒーを押し付けると、白衣の裾を翻してその場を後にした。




星岬技術研究所本部棟22階 研究所所長室(兼星岬開自室)


自室に戻った星岬は、モニター室と化している一角を前にしていた。

ココだ。
思い出すまでもない、最近までよく使っていた場所だ。
それはよく覚えている。
だが、ココで何をしていたのか、何故こんな部屋を作ったのか、全く思い出せない。
それこそ全くの謎だ。
もし、私が何かを思い出せるとしたなら、恐らくはココからだ。

星岬は呼吸を整えると、まずは部屋の中央でその存在をアピールしているゴツくて如何にも何かありそうなシートを細部まで調べることにした。


既に陽も暮れて外は闇に飲まれ真っ暗であった。
どうやらシートが自作の一点ものだと納得した頃には、そんなことすら忘れている事に極度に消耗が進み、疲労困憊してしまって1ミリも動きたくない感じだった。
このシートについて、他に判った事といえば、何処に繋ぐのか?アウトプット先が謎だが、所内の全監視カメラだけでなく、所内ネットワークにも接続されているようだという事。
そして、この椅子に座るだけで、この研究所のほぼ全てを監視可能とみていいだろう。
いや、監視だけではない、干渉も、恐らくはできるだろう・・・。
・・・
・・・(。´・ω・)ん?
私が?
なんでそんなことを?

もの凄い疲労感が星岬を襲った。

時間を確認しようと視界内の時計表示を探している自分に自分で驚いた。

今、何した・・・?

時計は執務スペース、応接セット、リビング、寝室に“置いてある”。
見に行けばいいのだが・・・。

星岬はその場に倒れると、そのまま意識を失いそうになったが、まだまだ処理しておきたい事も有れば、済ましてしまいたい用事もある。
とても倒れて意識を失っている暇などない!
そう思うと、自分でもそれと感じる程の変化をハッキリと身体に感じたのだった。

それこそさっきまで疲労感でどうしようもない状態だったのが今はどうだ?
まるで疲労感は感じない。
それどころかひんやりとした床の冷たさも感じない。

ははははは。
遂に自分はどうにかなってしまったらしい。

タイル張りの硬くて冷たい床に仰向けになると瞼を閉じて目頭を抓むようにして目の疲れを癒そうとした。
だが、やはり何も感じない。

私はどうしてしまったのだろう?

目頭を抓むのをやめてゆっくり瞼を開くと目の前にあるものにドキリとした。

何これ?

なんだこれ?

どうなってんだこりゃあ!?

思わず声を上げて何度も確認してしまった。
無理もない。
まさかさっきまで使っていた自分の手が、いつの間にか自分の手じゃなくなっていた。
いや、そうじゃない。
自分の手だが自分のではない。じゃなくて、ええい面倒な!
さっきまで有機体だった手が無機物になっている!
機械の手!
こんな義手、見たこと無いぞ!
いや見たこと無いってのは言葉通りじゃなくって、我が社の中では、って意味でだな・・・私は誰に説明しているんだ?



いったい自分の身に何が起こっているのか?
解ろう筈もなく、星岬は自分に言い聞かせるように“落ち着け”と声に出して暗示をかけた。



少しして落ち着きを取り戻した星岬は、反対の手を見た。
こちらも機械になっていた。

どうしてこうなってしまったのか?

一旦モニター室から出ると、洗面所へ向かう。
そして洗面所で鏡を見て星岬は絶句した。

私は・・・、どうなってしまったのだ?

シンプルなデザインのやや大きめな洗面台に映った姿は、白衣を着た金属製の骨格標本といった形容がぴったり合う感じの、そんなものだった。

はぁ・・・

音にならない溜息をつくと、両手を洗面台についてうつむいた星岬は、考えをまとめていた。
だが一向に考えはまとまらず、むしろ考えようとすればするほど何も考えられずに時間だけが過ぎていくようだった。

こうしていてもラチがあかない。

せめて顔くらいは何とかしよう!
そう考えた時、視界内に洗面台の引き出しを示す表示が出た。
突然の事で思わず空を掴む両手が視界内の表示の向こうに見える。
開けろ・・・って事でいいんだよな。
おっかなびっくりしながら、何の違和感も感じさせない機械の手を洗面台の引き出しにのばすと、ゆっくり引き出した。

中にはシリコン製のマスクがあった。
ご丁寧に植毛してあるではないか。
早速被ってみる。

「おぉ・・・!」

表情こそぎこちなくしか変えられないようだが、間違いなく“私の顔”だ!
引き出しにはまだ何か入っているではないか。
取り出してみると手袋だった。

なるほど、こういう事・・・

視界内にウインドウが開く。
“第3実験室”・・・だと?
来い、という事か・・・?

「よかろう! この招待、受けてやろう!」

考えるより、すぐに取りかかろう。
既に疲労感など微塵もなく、今あるのは好奇心。
星岬は、わくわくが止められないといった感じで自室を後にした。

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