遥かなる光の旅人

しょこら

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第一章

2.箱庭

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 未だ学舎は、王国の一都市カイユが闇に覆われたことを知らない。

 未来の魔法使いたちは、小さな箱庭で、平和な日々を過ごしていた。




 にぶい灰色の空は、人を憂鬱にさせる。
 どんよりと暗い雲が垂れ込め、吹く風は雨の気配を含んでいる。
 教室内の喧噪から一人離れて、エリスは今にも降りだしてきそうな空を、ぼんやりと眺めていた。
 いつもなら強すぎるくらいの午後の日差しは、今日はすっかり雨雲で姿を隠してしまっている。憂鬱な気分に更に拍車が掛けられて、エリスは微かに溜息をついた。
「何か心配事でもあるのかい?」
 背後から突然声をかけられ、エリスは驚いて後ろを振り返った。
 同級生のリューイが穏やかな笑みを口元に浮かべて立っている。振り返らなければ良かったと、後悔した。
 エリスはこの黒髪の予知能力者が苦手だった。
 彼は何故かいつも目を閉じていて、誰も彼の金色の瞳を見たことがない。力の制御の為に、長老たちから義務付けられたとか、単に目が小さすぎて、あれでもあいているのかもしれないなど、色々噂されているが、結局のところ誰も知らない。エリスもあえて真相究明したいとも思わず、現在に至っている。
「別に、何でもないわ」
 何かと声をかけてくるのはなぜなのか。放っておいてくれれば良いのにと、舌打ちしたくなる。
 周りの、無関心であるはずの視線が、遠巻きに眺めて来る。それがエリスにはうっとうしくてたまらない。
 薄気味悪いと思うのなら、最後まで無関心で通してくれたらいいのに。
 エリスは振り返り様、鋭い視線を彼らに投げつけた。
 睨みつけられた同級生たちは、慌てて視線を外し、素知らぬふりを始める。目を閉じているリューイには、エリスの憤りが通じた様子もなく、窓の外に向かってぼんやりと佇んでいる。
「降ってくるね」
 その言葉の通り、ほどなくしてエリスの手に、ぽつりと滴がかかった。
 次にはもう、サアーッと音を立てて、雨が降り出す。学舎中で声が上がり、急いで窓を閉める音が聞こえて来る。窓際に座っていたエリスも窓を閉めついでに錠をおろした。
 一時の喧噪が過ぎ去ると、学舎内はまた元どおりの日常が繰り返される。金髪の少年少女たちのかたまりと、逆に黒髪の少年少女たちのかたまり。それぞれの喧噪。見事に二分されていた。
 エリスの周りにはリューイの外は誰もいない。
 言い換えれば、リューイの回りにも人はいない、ということだ。彼の場合、自分とは違って忌み嫌われている訳でもなく、何を考えているのか知らないが、どうやら一人でぼんやりしているのが好きらしい。
 そう言えば、リューイが仲間達と一緒に行動することは少ない、とエリスは今さらながらに気が付いた。
 エリスも静かに外を眺めていた。
 黙って立っていれば、エリスも美少女である。ただし、どうしても見過ごせない色の組み合わせは違和感を抱かせると同時に不思議な調和を醸し出している。目にとまり、また目が離せない。
 エリスは容姿によっても持つ力によっても、異端だった。
 黒髪は闇の民のもの。碧眼は光の民のもの。
 そして、エリスの持つ力も、光と闇の両方だった。
 力に目覚める前は、ちょっと色の薄い瞳をしているだけの、普通の闇の民の子のはずだった。
 しかし、力に目覚めてから、瞳の色はどんどんと青みを増し、今では紛れもない碧眼である。
 光と闇の魔法の宝庫である緑の塔でさえ、エリスの存在は異端以外の何物でもない。
 既に五年、学舎で魔法を学んでいるが、卒業出来る兆しはない。
 いつまでも半人前のまま、学舎にいることなど、エリスには真っ平だった。
 学舎を卒業すると、その容姿と持つ力によって、光使い又は闇使いと呼ばれるようになる。
 だが、自分は一体、どちらなのか?
 エリスはずっと光の塔に行きたいと思っていた。光の塔ならリヴァがいるから。だが、この黒髪ではきっと無理だろう。だったら緑の塔を目指すしかないのだ。
 リューイが身じろぎする気配を見せた。
 エリスは努めて彼を見ないようにし、殆ど睨みつけるように、緑にけぶる雨の中庭を見つめた。
「君にお客が来るよ」
 聞こえないふりをしていたエリスだったが、彼の次の言葉に思いっきり振り返ってしまった。
「金色の、力に溢れた人」
「え?」
 リューイは学び舎でも希有な予知能力者だ。おそらくは、卒業後すぐにでも、緑の塔入りするだろうと噂されている。そして、彼の言葉は本当に外れたことがなかった。
 リューイの意識が窓の外に注がれていることに気付き、エリスもじっと雨に濡れた緑の庭を凝視する。
「……ああ、星殿だ」
 リューイの言葉に、エリスは窓にへばりつかんばかりに外をみつめる。しばらくして、エリスの目にも見知った人の姿が小さく見て取れた。
「リヴァ……」
 リヴァの来訪に気付いたのは、エリスたちだけではなかった。
 眩しいほどの光を纏って、学舎の門をくぐる美青年に、学舎中が騒然となった。
 誰もが彼を知っている。
 光使いの中でも高位の『星』の名を戴いた青年である。
 そして、上からも下からも敬われ慕われているリヴァが、エリスの従兄であることも周知の事実だった。
 身を翻し、教室を飛び出して行くエリスの後ろ姿を、羨ましげに見つめる者やら、妬みに歪んだ視線をぶつける者もいる。
 彼らは、エリスとリヴァがいとこ同士であることを信じられないと公言して憚らない。
 あんなに美しく力に溢れた存在の従妹が、エリスであっていい筈がない。
 それは学舎内でのエリスを取り巻く一つの感情だった。
 金髪の少年グループが、背後からリューイに近付き、声をかけた。
「おい、リューイ」
 目を閉じていても、誰か区別出来るらしいリューイはゆっくりと少年達を振り返る。
「何だい、ザイン?」
「あいつに声かけるのやめとけよ」
 何故そんなことを言われるのか分からないといわんばかりに小首を傾げるリューイをザインは不満げに顔をしかめ睨みつける。
「気味が悪いよ、あいつ」
「彼女は仲間だよ」
 今度は、ザインは大袈裟に舌打ちした。
「お前は見ていないから、そんなことが言えるんだ! 黒髪に青い瞳! 光と闇だぞ、あいつ」
「そうよ、光と闇は相入れない。互いに打ち消しあい完全に消滅してしまうはずなのよ」
 ザインたちの近くにいた黒髪の少女たちも集まって来て、ザインの後を継ぐ。
「打ち消しあって消えるはずの光と闇を持つ、なんて……」
「……どうしてあの子、生きてるの?」
 少年少女たちの間に悪寒が走り抜けた。顔を見合わせ、しきりに腕をさすっている。
 リューイだけが閉じた目で、どこか中空を見上げていた。




 中庭へ出ると、木に背を預け、懐かしそうに学び舎を眺めているリヴァがそこにいた。
 霧にかすむ緑の中で、冴え渡る星のような凛とした輝きを放っている。天上の世界の住人のように美しい従兄の姿に、エリスはほうっと息をはく。
「リヴァ」
 リヴァはエリスを見つけると、柔らかな微笑を浮かべて手を振った。
「やあ、エリス。よくわかったね」
「分かるわよ! リヴァがどこにいたってすぐわかるわ!」
 エリスは破顔すると、リヴァに飛び付いた。相変わらずの従妹の幼さに苦笑はしたものの、リヴァも優しい笑みで、小さな体を抱きとめた。
「おやおや、こう言うところは相変わらずだね」
「良いじゃない、久しぶりなんだもの!」
 リヴァに抱きついたまま、エリスは優しい従兄の顔を覗きこんだ。
「でもどうしたの? 突然学び舎まで訪ねてくるなんて、珍しい」
「ああ、うん……エリス」
 ためらいがちにエリスの名を呼ぶときはいつも何かある時だ。
 ぎくりと体を強ばらせ身構える。
 なにか悪いことが起こる。
 そしてその予感は得てして当たってしまうものである。
 エリスは平静を装って、尋ねた。
「何、リヴァ?」
「これから、カイユへ出掛けなければならないんだ」
「仕事?」
「そう、どうしても私が行かなくてはならないんだ」
 そう言えば、リヴァは旅装束を身につけている。光使いの衣装を基本にしているので、普段の恰好とそう変わりはないが、エリスも今の今まで気が付かなかった。久しぶりに会えて興奮していたせいもある。
「今すぐ、出発するの?」
 リヴァが頷いたので、エリスはガッカリした。これではゆっくり話す時間もない。
「ともかく急を要する仕事でね、のんびり出来る時間もないんだ」
「いつごろ帰って来られるの?」
「そうだな……一ヶ月、で帰って来られるよ」
 エリスは、「そんなに……」という言葉を飲み込んだ。別に、リヴァは遊びに行く訳ではないのだ。塔の正式な指令を受けて、任務を遂行しに行くのだ。我がままを言うことは許されない。それは分かっているが、言わずにはいられない。
「リヴァがいかなきゃならないほどの仕事なんて、カイユに何が有るの?」
「残念ながら、それは秘密だよ。ティアルーヴァは信用第一、だからね」
 リヴァが茶目っ気たっぷりに、見事なウィンクと笑顔を見せたので、エリスは思わず吹き出した。
「エリスは卒業できるようにがんばって勉強に励みなさい」
 いつものように穏やかに優しく頭をなでてくれるリヴァにほっとした。
 リヴァなら何も心配することはない。そうだ、何を不安に思っているんだろう。リヴァは光使いでも屈指の『星』の称号を戴くほどの人なのに……。
 エリスはにっこりと笑って言った。
「分かったわ。気を付けて行ってらっしゃい。帰って来たら、リヴァの三十才の誕生日のお祝いをしようね」
 そう言うと、せっかくの綺麗な顔が台無しになるくらいリヴァが情けない顔で絶句したので、エリスは盛大に吹き出した。


 
 旅立って行くリヴァを、エリスは学舎の正門まで見送りに行く。
 その足でカイユまで赴くというリヴァの後ろ姿を、エリスはずっと見えなくなるまで、見つめていた。
 笑って吹き飛ばしたはずの不安が、何故か首をもたげ、静かに広がり続けて行く。
 大丈夫。
 きっと大丈夫。
 エリスは指折り数えてリヴァの帰りを待っていた。
 しかし、リヴァは一月経っても、緑の塔には戻って来なかった。


 しばらくして、緑の塔に一つの知らせが届いた。
 

 それは、リヴァがカイユで消息を断ったというものだった。

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