星織りの歌【完結】

しょこら

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第二章

5.想いの行方

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 クレアはルシリエに呼ばれ、椅子に座って神妙な面持ちで待っていた。
 ルシリエはかかってきた内線の対応をしている。
「そうですか、分かりました。医務室に連絡してください」
 聞こえてきた内容に訝しむ。フィリアに何かあったのだろうか。
 刺客に襲われ、でも無事に助かったと聞いて安堵していたのに。
 クレアは不安になった。
 電話を切ったルシリエは沈痛な顔で俯いていた。
「神官長さま、フィリアに何かあったんですか?」
「ああ、いいえ…いえ、大丈夫ですよ。少し熱が出たみたいです。お医師様を呼んで診ていただくように指示しました」
 ルシリエは椅子に座ると大きく長い息を吐きながら、瞑想するかのように眼を閉じた。気持ちを落ち着けようとしているようだった。
 クレアは静かにその様子を見つめる。
「ごめんなさいね。わたくしが動揺していたらいけませんね」
 ルシリエはもう一度深呼吸をした。
「クレア、あなたにもお話をしなくてはなりません」
「はい」
「本当はもっと後に与えられる試練だったのですが、今回の騒動で、フィリアが知ってしまいました。まだ、早すぎる試練です…そのせいであなたの心がくじけてしまうかもしれません。それでも、公平を期すためには、あなたにもお話しなくてはいけなくなりました」
「神官長さま、いずれ必ず与えられる試練であるならば、私は構いません」
 クレアはまっすぐな視線でルシリエを見つめ、訴える。
 ルシリエはそれでも迷っていた。
 本当に大丈夫だろうか。
 受け止めることができるのだろうか。
 すでにフィリアの嵐は荒れ狂っている。クレアにも嵐は必ず襲い掛かる。二人がたどり着くべき場所を見つけられるか、ルシリエには祈ることしかできない。
「…星織姫がその手に持つ星杖カリスには意思があります。そして、星杖は、強い意志をもったものの前に現れます。ですがその身を預ける手は星織姫のみと決めているような、そんな意思が存在しています。そのため、いまだ消息不明。選定が行われる時期も分かりません」
 クレアは頷き、先を促す。
「あなたの背にある美しい四枚羽根は、世界のバランスを守るために星界王より与えられた力の具現。あなた方は歌を歌うことで、その力を発揮しています。とても崇高な行為です。星織姫は、もちろん歌うことでも奇跡を起こしますが、歌だけにとどまることなく神の力でもって、この世界を守る存在となる。けれどそれが許されるのは、この星にただ一人」
「はい」
「星織姫は星杖によって選ばれます。他の介入はまったく認められません。候補が何人いても、星織姫はただ一人。そして、選定を受けることができるのは一生に一度だけ。選ばれなければ資格を失います」
「資格を失う?」
 それが何を表すのかクレアには分からなかった。
「…選ばれなかった候補の四枚羽根は、失われます」
「羽根が…?」
 クレアはルシリエの言葉を呆然として聞いた。
 何を言われたのかまったく理解できなかった。
 資格を失うという言葉と四枚羽根を失うということが繋がった瞬間、血の気が引いたのが分かった。
 平衡感覚を失い、椅子にしがみついた。しがみつかなければそのまま倒れていたかもしれなかった。
「クレア!」
「どうして…そんな」
 椅子に座りなおしたクレアは両手で顔を覆い、なんとか落ち着こうと震える手を組んだ。
「羽根を失ったら、生きていけない…生きてなんていられない!」
 ルシリエはその痛みを、苦しみを知っている。そしてさらに残酷な宣告を続ける。
「四枚の羽根を失えば、星界王より与えられた力は制御を失い、暴走するでしょう」
「羽根もなく、制御しろとおっしゃるんですか?そんなの無理…っ」
「できなければ、近衛隊が手を下します」
 クレアの悲鳴は声にならず、喉の奥で消えた。
「…フィリアは?フィリアは、なんて?」
「フィリアもとても動揺していました。すべてはあなた方自身が決めることです。選定を受けるのなら、今話したことを覚悟しなくてはいけません。選定を辞退することももちろんできます。何を選んでもいいのです」
「近衛隊は承知しているんですか?」
 ルシリエは重々しく頷く。
「候補付きとなる方には、最初に極秘任務として伝えられます。ですから、候補付きの人選は特に厳しく行われるのです」
 クレアの瞳からぽろぽろと大粒の涙が落ちた。
 こんな風に泣いたことなど今までなかったことだった。
 そんなクレアの肩を抱き、ルシリエは問いかけた。
「一つあなたがたに宿題を出します。すぐに答えなくてもいいのです。よく考えて答えを出しなさい」
 一度、言葉を切り、ルシリエは言う。
「あなたが歌う理由はなんですか?」
「え?」
 きっと考えたこともなかっただろう問いかけ。フィリアも戸惑っていた。
「答えが見つかったら、私に教えてください。少し、私は席を外します。お部屋に戻るのはもう少しあとでもかまいません」
 そう言って、ルシリエは部屋から出ていった。
 クレアは震える手で、胸元から銀のロケットを取り出す。
「サリエル…会いたい。会いたい」
 ぎゅっと握りしめ、銀のロケットを抱きしめた。
「私を、助けて。サリエル」
 クレアの嗚咽をドアの向こう側でルシリエは聞いていた。胸が締め付けられる嗚咽だった。二人の候補の嘆きをルシリエも受け止め、同じように涙を流していた。



 清らかで優しい歌声が二つ、重なり合って響いていた。それは宇宙への讃歌。
 自らの歌声が光となって天にとけて行くさまを見るときの幸福感はたとえようもなく、星織りの歌への思いはどうしようもなく募っていく。
 歌うことをやめられない。
 やめたら、自分が自分でなくなることをフィリアは知っている。
 大聖堂の天井に刻まれている宇宙創生神話の美しいモチーフにフィリアはいつも見入ってしまう。
 眩いばかりの星々が煌く空に、六枚の羽根を雄雄しく広げて立つ星界王。エレミアの民の特徴でもある銀の髪はとても長く、川のように流れ落ち、世界に広がっている。星界王の御力が宇宙に余すことなく広がっているのだとそれは伝える。
 星界王の手には銀色の杖。
 セタレードと呼ばれる聖なる銀杖は二つの姿を持つといわれている。
 一つは剣、一つは杖。
 星の運命をも変えるほどの力があるのだと伝えられる。宇宙は星界王の意思の下、誕生し、そしてとどまることなく無限に広がっているのだ。
 星織姫は星界王に星を生む力を与えられた。その証にセタレードを模した星杖を下されたのだという。
 星織姫が持つ星杖は先端が螺旋を描いて伸び、宝玉を抱いている。
 星杖はその聖なる御業を行うものを自ら選ぶ。四枚羽根を持つものだけが星織姫となることができる。星織りの能力を支えるためには、普通の二枚羽根では足りないのだ。
 星界王の傍らに佇む美しい星織姫。その命をかけて、ただひとつの星を生む。連綿と続く儀式によって、数多の星織姫が生み出してきた星々こそが宇宙の姿。
 フィリアも幼いころは無邪気に憧れていた。己の背にある四枚羽根を誇らしく思っていた。星織りの歌を歌うことが幼いころからの夢だったのだ。
 どうして無邪気に笑いあっていられたのだろう。
 モチーフにある星織姫はどれを見ても輝くばかりの笑顔で描かれている。愛する人のために微笑んでいるのだという。
 輝かしい思い出も、未来も、何もかも失っても、星織りの歌を歌うことのほうが大事だったのだろうか。
 愛する人のため?
 ランディスのために、あんな風に微笑むことが自分にはできるのだろうか?
 ほんの少し離れただけで、こんなにも寂しくてつらいのに。
 到底、自信がなかった。
「どうしたの?大丈夫?まだ本調子じゃないんでしょう?」
 クレアが、聖歌を歌い終えてもぼんやりと壇上で佇んでいるフィリアの顔を覗き込むようにして尋ねてきた。
「ふらふらしていたからまだ熱があるんじゃないかって心配していたわ」
「熱が出たのは最初だけよ。痛みも腫れもだいぶ引いたわ」
 スカートのすそを上げ、まだ包帯がまかれた足をそっと見せる。
 クレアはほっとしたように微笑んだ。
 お互いに歌うことが好きで、同じように星織姫になることを夢見てきたもの同士だ。同じ候補者だからといって敵愾心ばかりが生まれるわけではない。ライバルには違いないが、互いに互いを蹴落としてやろうという気持ちが生まれないだけのこと。仲間意識のほうが強いのかもしれない。最大の決定事項が人の手ではなく、神の領域に託されているからだろう。
 クレアは聖堂を見渡し、自分たち以外の人影がないことを確認すると、フィリアに身を寄せてきた。
「ランディスさまとケンカでもしたの?」
 耳元でささやくような小さな声で問いかけられ、びくりと肩が震えた。
「あら、当たり?」
 隠そうとしてもあからさまに反応してしまってはどうしようもない。フィリアは何も言うことができなくてうつむいた。
「ここしばらく、ずっとランディスさま以外の近衛が付いているんだもの。びっくりするじゃない」
 フィリアが熱を出して寝込んでいた間に、ランディスはどうやら他の大陸に派遣されていたらしく、不在の間はずっとアレックスが代わりを務めて「」くれている。今もアレックスは姿は見せないだけで、どこかで控えてはいるのだろう。ランディスとは違う立ち位置。違う対応に戸惑う。
 ランディスがそばにいないというだけで、こんなに心細くなる。
 自分はなんてわがままなのだろう。
 自分から遠ざけるようなことを言っておいて、いざ離れると寂しいだなんて。
「ねぇ、フィリア。私もルシリエさまから聞いたわ。宿題も」
 フィリアはふいっと顔を背けた。まだ頭の中はぐちゃぐちゃで整理などついていなかった。ただ辛くて、どうしようもなく胸が痛い。
「あなたが歌う理由はなんですか?」
 フィリアは頷く。
「これはね、たぶん、きっと答えはすぐ出ると思うの。だからもう一つの方の話をちょっとしましょう」
 クレアはそう言うと、フィリアの手を引いて聖堂の中庭へと連れ出した。
 表にはまだ朝の祈りに訪れてきた人々が大勢残っているが、中庭は関係者しか立ち入ることが出来ず、人影もまばらだ。その中に近衛たちが紛れていることも承知だ。
 中庭の中央に小さな噴水がある。
 噴水を挟んで向かい合うようにベンチが二つ設置されていた。
 二人はそのうちの一つに肩を並べて座る。
「前にも話したと思うけど、私にも大事な人はいるわ。だから、正直なところ、別れるのは本当に辛かったわ。今だって会えるものなら会いたいと思っているもの。でも」
 クレアはぎゅっと目を閉じる。
「でも、彼は近衛にはなれなかった。能力者だったけれど」
 近衛になると言うことはそれほどまでに狭き門なのだ。なりたいといってなれるものではない。能力者だから、剣の腕が立つからだけでもだめらしい。近衛の選考基準がかなり厳しいものであるとうわさでしかしらない。だからこそ、精鋭なのだ。
「でも私は選んだの。それでもいいって。ここにくることを、自分で選んだの。フィリア、あなたは?」
「私も自分で選んだわ」
 四枚羽根の持ち主だからといって、全員が候補になるわけではない。神殿に上がれば、俗世間から離される。星織姫になったら、女神として生きなければならないからだ。憧れだけで選べる道ではない。
「でも辛いの。ランディを傷つけたくないのに、あきらめなきゃいけないのに。…そう思えば思うほど、あきらめられない」
「私はあきらめてなんていないわ。ずっとずっと彼のことが好きだもの。会えなくても、彼がずっと想っていてくれるって分かってるのよ、私」
 クレアは優しくフィリアを引き寄せて抱え込む。
「お馬鹿さん。あきらめなくったっていいじゃない。私たちが恋したらいけないなんて誰が言ったの?」
「でも…」
「候補と近衛の恋愛はご法度?」
 フィリアは頷く。
「それは関係ないと思うわ。だって私たちは星織姫への想いは絶対に捨てられないんだもの」
「捨てられない!あきらめることなんてできない!でもそうしたらランディは…」
 候補につく近衛には秘された任務がある。
「聞いたわ。ランディスさまだって覚悟はしているはずでしょう?そうでなければ……あなたの近衛にはならなかったはずよ」
 あまりにも重い任務だ。
 クレアは泣きそうな顔で言った。
「近衛隊に入って候補の護衛に付くものは、みな必ず最初に確認されることだって聞いたわ。覚悟の上に決まっているわ」
「……最初から?」
「ランディスさまに聞いてみたら?」
 ランディスはそれを承知の上で、近衛でいてくれていたのだろうか。最初から。
 もしそうだとしたら。
 噴水の裏側から静かにアレックスが顔を出し、一礼する。
 フィリアは何事かと慌てて立ち上がる。こちらに来る様子がなかったので、フィリアはベンチを離れアレックスの元へと向かった。
「ご歓談中、失礼します。フィリアどの。ランディスが戻りましたので、自分は日没の刻を持って警護の任を外れさせていただきます」
「そう、ですか。…わかりました。ありがとうございます」
 ドキリと胸が鳴った。
 ランディスが帰ってきたと聞いただけで高揚する自分がいる。
 けれど、あの時、吐き出すように叫んだランディスの言葉が胸に鋭く突き刺さっている。まだ会うのが怖い気がして、フィリアは戸惑いを隠せないでいた。どんな顔をして会えば良いのだろう。
「僭越ながら、申し上げます。…あまり、あいつをいじめないでやってください」
 アレックスは柔らかな笑みを浮かべながら、驚くフィリアを見つめる。
「あいつ、ものすごく落ち込んでました。あなたとずっと一緒にいることがあたりまえで、それを疑問に思うことなく突き進んできたやつなんですよ。あなたがそれを取り上げるのは、酷だ」
「…アレックスさま」
「あいつは、あなたの近衛であることを誇りとしている。それを信じてください」
 アレックスはゆっくりと頭を下げる。
 近衛が何を想い、何を支えにしているのか、フィリアは知らない。知ろうともしなかった。誰か他の人に近衛を代えると言ったときのランディスの傷ついた顔。
 すべて承知の上で、フィリアのことを引き受けてくれようとしていたのに。
 ランディスを傷つけたくはなかった。自分を殺さなければならないかも知れない役目をランディスに与えてしまったことを恐ろしく思った。その恐ろしさから逃げたくて、彼を遠ざけた。だが、そう思うことが、逆に彼を傷つけていたのだということに気が付かなかった。
「しゃべりすぎました。非礼をお許しください」
 頭を下げるアレックスにフィリアは慌てて首を横に振る。
「いいえ、アレックスさま、お話しくださってありがとう」
 フィリアの久しぶりの笑顔に、アレックスもほっとしたように笑う。
「ああ、ようやく笑ってくれた。近衛の最大のご褒美です」
 年相応のいたずらっ子のような笑みを浮かべ、アレックスはそっとフィリアに耳打ちする。
「実は、近衛隊には、不文律がありましてね。惚れた女の願いを叶えられない近衛は、その資格なし!!という、これが一番怖い規則だったりするんですよ」
 楽し気にそういうと、軽やかにウィンクをして見せた。
「近衛隊みんな、あなたを、あなたがたに惚れてます」
 ちらりとクレアの方も見てアレックスは言う。
「どうか、あなたはあなたのままで。思うとおりに」
 アレックスはそれだけ言うと、クレアにも頭を下げて、下がっていった。
 クレアにも彼の話は聞こえていたようだ。神妙な顔つきで、彼らの思いをかみしめるように何度も頷いていた。
「直前になって止めますって言われるのは嫌よ。正々堂々と悔いなく競い合いたいの。選定を受ける前だったら、辞退することは許されるわ。翼をなくすこともないし、命を奪われることもない。その道を選んでも誰も蔑むことはできないし、私もそれを選ぶのはかまわないと思っている。でも、たぶんこの四枚の羽根がそれを許さないのよね」
 誇らしげに輝くクレアの純白の羽根。
 歌うことが好きで、羽根に息づく星織りの力を幼いころから感じていて、いつか絶対、自分の星を生み出すのだと信じて疑わなかった。それはフィリアも同じ。
 四枚羽根の性なのだろうか。
 ランディスを愛しているのと同じ位の強さで、星織りの歌への憧れはフィリアを捉えて放さない。
 渇望といっても良いほどの、宇宙への恋慕なのかもしれない。
「私は結構羨ましいと思っているんだけどな」
 どんな結末が待っていても、愛する人が最後まで運命をともにしてくれる。一番幸せなことではないだろうか。
 フィリアはゆっくりと頷いた。
「……クレアやアレックスさまが話をしてくれなかったら、きっと逃げ出していた」
 フィリアは彼女の優しさと強さが心底うらやましいと思った。
「私、怖かった。神殿に上がる前に覚悟を決めたはずだったのに、そんな生半可な覚悟じゃ全然だめだった。ランディスが変わらずそばにいてくれたから、きっと心のどこかで甘えがあったんだわ」
 星織姫になりたい。
 その言葉を免罪符にして、何も考えていなかった。それもみんなランディスが傍にいたからだ。
「翼を失うかもしれないって思ったとき、頭がおかしくなりそうだった。それでも星織姫になりたい気持ちは消えなくて、どうしたらいいのか分からなくって。でも……あんな風に不当に命を狙われると、やっぱり死にたくないって思うものなのね。私は星織姫になるんだから死ねないって本気で思ったわ」
「そうよ。だって私たちは星織姫の候補だもの、当然だわ」
「もし翼を失うことになっても、選定を受けることを諦めたくないの」
「そうね、私も同じ。受けずに帰るなんて考えられない」
「でもランディが好き。大好き」
 泣き出したフィリアの肩をクレアはそっと抱きしめた。
「愛し続けることをあきらめなくてもいいと思うのよ。最後の最後まで、私は、今はもう会えなくても、彼のことを愛していくし、忘れない。もし翼を奪われても、その想いでとどまってみせるわ」
 クレアの笑顔は力強く、輝くような笑顔だった。
「私もあきらめない、あきらめたくない」
「たぶん、あなたならそういってくれるだろうと思ったわ」
 どこかほっとした表情でクレアは言った。
 ランディスを愛し続けることをあきらめない。
 最後の瞬間まで。
 そうすれば、クレアの言ったとおり、もし翼をなくしても心まで失うことはないだろう。
 フィリアは初めてそう思うことができた。



 ランディスとは物心が付いたときにはもうすでに一緒にいて、初めて会ったのがいつごろだったかなんてことはまったく覚えていない。家が近くて、家族ぐるみでの付き合いだったから、きっと生まれたときにはもう出会っていたのだろう。
 お互い一人っ子だったから、兄妹のように育って、当たり前のようにケンカして、それでも毎日毎日、飽きることもなく一緒にいた。
 ランディスが能力者であることも、フィリアが四枚羽根であることも、さして疑問に思わないでいた。幼い子供同士がただ遊ぶだけのことに、それは些細なことでしかなかったのだ。
 ランディスは他の子供とは違った能力を多く持っている。フィリアは二枚しかないはずの羽根を、なぜか四枚も持っている。  ただそれだけのことだったのだ。
 今思えば、それはとても単純すぎる考えだったし、子供の考えることなんてその程度でしかない。世界の理も、知らなくても生きていける。
 家の方針なのか、小さいころからランディスは数多くの優れた師の下で、剣術や体術、ありとあらゆる知識も身に付けるように、さまざまな教育を受けてきていた。本人曰く、優秀な生徒だった、らしい。
 フィリアと一緒にいるときはけっこう短気で癇癪もちだったりするのだが、周りの人間はおそらく、利発で優しくて、近衛としても優秀なランディスしか知らないはずだ。
 ケンカをした後、かならず先に折れるのはランディスだった。自分のほうが年上だったことを思い出すからなのか、それともフィリアが絶対折れないことを分かっているからだろうか。最後には諦めて、譲歩してくる。それが嬉しくて、わざと頑なに無視したこともあった。
 必死になって、フィリアの機嫌をとろうとするランディスの反応が、嬉しかったから。
「ランディ、だぁい好き」
 他愛もない願い事を聞いてくれるランディスに、無邪気にそう言っていた幼いころ。それは紛れもなく本心でもあり、無意識に使っていた最強の魔法の言葉だったのかもしれない。
 ホールを抜けて、外へ出る。
 穏やかな陽光が木々の緑を照らしている。あと少しすれば日も沈む時間になる。
ちょっとした丘に設けられたこの憩いの場には、噴水や花壇もあり、訪れる人々を優しく穏やかに癒してくれる。今は珍しく人影はない。
 正面に、木にもたれて座っているランディスの姿を見つけた。
 はるか先には山脈がうっすらと見える。 この大陸の山脈のはずだが、地理に疎いフィリアはその山脈の名前は分からなかった。十二ある浮遊大陸は一定の速度でお互い距離を縮めることも、離れることもなくエレミアを巡る。小さいころからずっとこのガラヴァ大陸からでたことがないフィリアには他の大陸は未知の大陸ばかりだ。
 ランディスはどこまで行ってきたのだろう。なんでもいいから話を聞きたい。声を聴きたい。顔を見て、他愛もない会話で笑いたい。
 フィリアが歩み寄ってきているのを気づいた気配はない。眠っているのか、とても静かだった。ずっとここにいたのだろうか。
 木陰に入ると、涼しい風がやわらかく頬をなでていく。
「ランディ、お帰りなさい」
 ビクッとしてランディスが振り返る。本当に気が付いていなかったらしい。らしからぬ慌てぶりに思わず笑いをこぼした。
「な、なんだ、突然……」
 決まりが悪そうに、ランディスは顔をしかめる。
「なんだはないでしょう、失礼じゃないの」
「うわっ、待て!」
 ランディスの横に座ろうとしたら、何故か制止された。上着を脱いで、それを地面に敷いたとき、彼の言わんとしていることが分かった。
「変なの。地面に直接座るのなんて、昔からしてたじゃない」
「お前、自分の立場、分かってる?」
 呆れ返ったようないつもの口調でランディスは言い返してくる。レディとして扱ってくれる気持ちはありがたいが、近衛の制服の上に座るというのも気が引ける。大神殿の近衛隊といったらエリートの代名詞だ。この制服に憧れている人がいったい何人いると思っているのだろう。
「じゃあ……遠慮なく」
 多少の気兼ねをしつつ、隣に座ると、ひざを抱いた格好で、ランディスは額に手を当ててため息をついていた。
「ランディ」
「なんだよ」
 うつむいたまま答えるランディスの声はすこし苛ついていた。
「この前の、あれ、私、ファーストキスだったんだけど?」
 にっこりと笑みを浮かべて言うと、ランディスは顔を真っ赤にして顔を上げた。
「だから、責任、取ってね」
「な……なんだよ、それ」
 ランディスは頭を抱え込んで呻いている。
「何なんだよ、お前」
 大きくため息までついた。
「お前……いったい……なんでそんな、元気になってるんだよ」
 口をついて出てくるのは 繰言ばかり。
「一人だけすっきりした顔しやがって……」
「ごめんね」
 だってすっきりしちゃったんだもん、などと言おうものなら、すぐさま怒り出しそうだった。こんな風に拗ねるランディスが愛しくて堪らない。
「ごめんね、ランディ」
 もう一度、謝罪の言葉を繰り返す。何度言っても言い足りない気がした。自分の気持ちをどう言葉で表せばいいのか、とても難しかった。
「ランディは全部知っていたんだね。知っていて、ずっと傍にいてくれたんだね」
「ばかやろう、だから言ったんだ」
 軽く頭を小突かれた。
「あの時、俺がどんな思いで……」
 悔しそうに顔をゆがめて搾り出した言葉は最後まで続かなかった。
「俺が、何も考えなかったと思うのか?」
 近衛になるということだって、生半可なことでは叶わない。星織姫を守り、その候補を守る。守るということの究極まで引き受ける意志の強さ。彼を信じていなかったわけじゃない。だが信じきっていたわけでもなかった。
「だって、仕方がないじゃない?私は怖かったんだもの。翼を失うことも、心を失うことも、…ランディが、あの刺客たちのように私に剣を向ける姿なんて、想像するだけで……」
 肌があわ立つほどの恐ろしさを感じてしまう。
「怖かった。ランディにそんな役目が与えられてるなんて…私のせいで」
 だが、ランディス以外の誰かに、その役目を与えることも嫌なのだ。
 フィリアは自らの手で両腕を抱きしめる。その肩をランディスが引き寄せた。
「私、たくさん考えたわ。星織姫になること、あきらめること。どちらを選ぶかって言われたら、もう、どうしようもないくらい分かりきっていることなの」
 あきらめることなんて、到底できない。選定を受けて、選ばれたいのだ。これだけはどうしても譲れない願い。
「ごめんね」
「謝ることじゃない。それは、もう、分かってる」
 その言葉は、フィリアが絶対にあきらめることはないとランディスも理解してくれているということだ。
 そうしたら、その後に来るのは、選ばれるか、選ばれないか、そのどちらかだ。選定は人の手によるものではなく、ましてや、フィリアがいくらがんばったところで何がどう変わることもない。すべては星杖が選ぶことだから。
「でもそうしたら、私は、ランディを失うことになるの」
 ランディスは目を見開いて唇を噛みしめた。
「選定を受けることをあきらめない限り、何を選んでも、私はランディを失うの」
「違う」
 ランディスは首を振る。
「フィリア、違う」
 泣きそうな顔でランディスはフィリアを抱きしめる。
 ランディスのぬくもりを感じながら、フィリアは思い出していた。
 考えて、考えて、考えれば考えるほど、あんなに恐怖を感じたのは初めてだったかもしれない。
 ランディスを傷付けないために離れることを決めたのに、心も体も悲鳴をあげた。
 そして、翼を失うかもしれないということ。
 ランディスが、自分を殺すかもしれないということ。
 代償ばかりが大きすぎて、どうしたらいいのかわからなくなった。
「フィリア」
 二度目のキスは切なくなるほど優しくて、涙がこぼれた。
「俺を遠ざけないでくれ。俺はずっとそばにいるから」
 フィリアは泣きそうな顔をしているランディスの頬に手を伸ばす。
 距離を置こうとすることでランディスを悲しませていた。全部、引き受けようとしてくれていた彼を、傷つけまいとしていたはずなのに傷つけてしまっていた。
 託せるのはランディスだけだったのに。
 ただ、怖かった。
 フィリア自身もランディスを探して泣き叫んでいた。
「ランディ、私を殺せる?」
 まっすぐに問いかけるまなざしが、ランディスのそれとぶつかる。
「お前が望むなら」
 ゆるぎない決意に満ちた言葉にフィリアは微笑んだ。
「大丈夫だ。きっと、お前が星織姫になるんだから」
「うん、私もそう思ってる」
 重ねた手を固く握り締めて、微笑みあう。そして再び唇を重ねる。
 たとえ星織姫に選ばれなくても、この輝かしい瞬間がある限り、きっと踏みとどまってみせる。
 触れ合う指の先や唇から刻まれる熱い想いが、フィリアを満たしていく。このぬくもりを覚えている限り、きっと大丈夫だと思った。
ランディスの青い瞳はフィリアが惹かれてやまない宇宙と同じ色。優しさも冷たさも包み込む大きさも、愛しい想いと抗えぬ恐れとが混ざり合ってフィリアに押し寄せる。暖かい光に抱かれている安心感と満ち足りた幸福感に浸りながら、フィリアは目を開けた。
「ランディ」
 ランディスの深い青の双眸がフィリアを見つめている。
 宇宙の中にランディスが見えたのか、ランディスの中に宇宙が見えたのか、どちらかはっきりとしない。
 ゆっくりと確かめるように、抱きしめるぬくもり。
 帰る場所はここなのだと悟った。
 たとえどんなに遠くても。
 たった一人だと思うようなことがあっても。
 ようやくたどり着いたこの場所に、もう一度帰ってくることができる。



 だから、この手を離すことを、もう恐れはしない。
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