星織りの歌【完結】

しょこら

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第一章

2.青い鈴

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 何かに呼ばれたような気がして、フィリアはふと顔を上げた。
 窓の外には綺麗に整えられた庭園。その向こうに、星織の塔と大聖堂の優美な姿が聳え立っているのを眺めることができる。風がそよそよと流れてくる以外、何も聞こえてくることはなかった。
「空耳だったのかしら?」
 テラスから庭に降りて、フィリアは音の行方を捜す。
 奥の部屋からリルが慌てて顔を出した。
「フィリア様!お散歩なら私もお供します!」
「あ、うん」
 心ここにあらずでフィリアは返事をした。
 リルはすぐに追いついて歩を合わせて歩き始めた。
 朝のお務めも済ませて部屋でのんびりと自由時間を過ごしていたフィリアだった。近衛のランディスもフィリアが部屋にいるならと用事を済ませるために本部に行ってしまったあとだ。外には巡回の近衛もいるし、何かあったら頼めばいい。
 リィーンと鈴が鳴ったような気がして、フィリアは立ち止まる。
「鈴の音が聞こえる」
「鈴、ですか?」
 リルには聞こえなかったようだ。
 訝しむリルをよそに、フィリアは両手を耳にあて、不思議な音の出どころを探す。
 呼ばれているような。
 抗い難い力があった。
 庭園には数名の庭師が忙しそうに庭木の手入れに勤しんでいる。
 巡回中の近衛の姿も垣間見える。
 花の季節は終わってしまったが、青々とした若葉が陽光を浴びて輝いていた。
 いつもと変わらない日常の景色のはずなのに、何故だか妙に眩しい。
 陽光のいたずらなのか、白く光って景色がよく見えなかった。
 なんだかぼうっとする。
 視界がぼやけ、頭の奥で鈴の音がひと際激しく鳴り響いた。


「フィリア様?」
 お散歩かと思って急いでついてきたリルだったが、どうもフィリアの様子がおかしいことに気が付いた。どこか遠くを見ているようだが、何を見ているのか分からなかった。
 フィリアが何かつぶやいた。
 独り言なのか、誰かと話をしているようにも聞こえたが、そばに自分以外の誰かがいるわけではない。リルは不安になっておろおろとフィリアの顔を覗き込む。
「あ、あの?」
 フィリアはすっとリルを避け、また歩き出す。
「ま、待ってください。フィリア様?」
 どんどん庭園の外れへと向かって歩いていく。
 足取りは確かだ。だがいつもとは様子が違いすぎる。このままどこかへ行ってしまいそうで、フィリアの腕をリルは慌てて掴み、引き戻す。
「フィリアさま、ダメです!」
「フィリアどの。それより先は庭園を出てしまいます。お戻りください」
 二人の様子に異変を感じたのだろう。二人組の近衛が訝し気にこちらを覗いていた。背の高い方の近衛が声をかけてきた。
 リルはすでに涙目だ。
 フィリアは聞こえていないのか、無反応で近衛の制止もすり抜け、そのまま止まろうともしなかった。さすがに彼らも眉を顰める。
「アレックス様、助けてください。フィリア様の様子がおかしいの」
 アレックスはよくランディスと一緒にいるせいか、リルもこの近衛の名前と顔を覚えていた。近衛たちはいつも二人組で行動する。もう一人の近衛はまだ少年のように幼く、子どものようだがちゃんと胸にオウルの階級章をつけているがリルは彼の名前を知らなかった。
 二人は一瞬にして厳しい表情に変わった。
 アレックスが一足飛びでフィリアの前に立ちはだかる。
「フィリアどの!お戻りください!」
 もう一度アレックスはフィリアに呼びかける。
 だが、フィリアの目はうつろで、目の前の青年を認識もしていなかった。
 まるで何かに操られているかのようだとアレックスは思った。
 まっすぐに前を見据えているのだが、その瞳には何も映していない。
 目の前に立ちはだかる青年を無表情のまま見上げ、フィリアは右手をゆらりと掲げた。背にある四枚羽根が大きく震え、広がった。
 その一瞬に大きな風が生まれた。あおりを食らって、アレックスの身体が宙を舞う。
「うわっ」
 突風が辺りを薙ぎ払う。
 リルは悲鳴を上げてうずくまった。強い風に身体ごと持っていかれそうだった。
 空中で体勢を整えたアレックスは宙返りした後、地面に着地した。
 激しく舌打ちし、通信機に向けて叫ぶ。
「ランディス、戻れ!フィリアどのも暴走している!」
 もう一人の候補、クレアの羽根の力が暴走していると報告が入ったのはついさっきだった。まさかフィリアまで同じ状態になっているとは、誰が予想するだろう。
 ごうごうと音を立てて、風が吹きすさんでいた。
 庭園に詰めていた近衛たちが異変に気付き集まってきた。
「フレッド!庭園に残ってる人たちの避難誘導をしろ!」
「は…い!」
 小さな体ではこの荒れ狂う風にあおられ踏みとどまるのも難しいだろうに、よく耐えていた。
 アレックスは集まってきた隊員たちを視界に捉えながら、荒れ狂う風の中心にいるフィリアを仰ぎ見た。
 庭師たちが慌てふためいて逃げていった。
 その内の一人が何やら光るものを手から取りこぼしたのを見た。
 庭師の男はそれを拾うかそのまま置いていくか迷ったようだった。
「イサーク!そこの庭師を取り押さえろ」
 アレックスが近くにいた部下に素早く指示を出す。
 慌てて逃げようとする庭師の男をイサークが捕まえた。
 男は抵抗することもなく、この現象に怯え、身をすくめていた。
 イサークとペアを組むカイがうずくまるリルを抱き起し、その場から離れていった。
 アレックスはすばやく辺りを見渡し、ほかに逃げ遅れたものはいないことを確認する。
「いったい何が起こってるんだ」
 二人の候補の異変。その理由が分からなかった。
 鋭い風が刃となって、肌を切る。
 チリチリとした細かい痛みが走る。
 アレックスは舌打ちしながら、シールドで身を守りながら間合いを図る。
 その間にも、フィリアから、というより四枚の羽根から生み出される突風はうねりを上げ、庭園の庭木や花々をなぎ倒していく。相変わらずフィリアの視線はうつろで意思があるようには見えなかった。表情豊かに、いつも朗らかな笑顔で楽しそうに歌っている姿を見ているだけに、今のフィリアはあまりにも違いすぎて愕然としてしまう。
「…くっ!」
 風に押されて近付けない。
 うねる風が壁のようにアレックスを押しのける。そしてまたすぐに姿を変え、刃のように切り付けても来る。
 それがアレックスの体力も容赦なく奪っていくのだ。
 避難誘導していた近衛たちが戻って来た。
 いままでただその場に立っていただけだったフィリアが、ゆっくりと両手を伸ばし天へと掲げた。
 指先に光が灯り、それがだんだんと強く明るくなっていく。
 大きなエネルギーがフィリアの手元から生まれているのが分かる。
「四方を固めろ!」
 アレックスが指示を飛ばす。四枚羽根の力は強大だ。あの羽根に秘められた力は常人のものとはまるで違う。能力者のそれとも比べ物にならない。次元が違うと表現してもいい。
 彼女たちは歌うことでその力を具現させる。歌ってもいないのに、この力の発現。
 意思のないうつろな瞳。
 彼女が力をコントロールしているとはとても言い難い。
 これは紛れもなく、暴走だとアレックスは断定した。
「捕縛する!」
「昇華、ですか?」
 フレッドが慄きながら尋ね返す。
【昇華】は相手の本質を掴み、名を引き金にして呪縛を浄化する。それにはまず対象を捕縛しなくてはならない。
 相手が候補であるということに、若い近衛たちは躊躇していた。
 そのためらいはアレックスも理解できた。
 目の前にいるのは自分たちが守るべき対象だ。それが二の足を踏ませる。
 それに加えて、強大な力を持つ四枚羽根を捕縛できるかという不安も。
 だがやるしかない。
「【昇華】は無理だな、ランディスならともかく。とにかく動きを止める」
 ランディスの【昇華】が有効だと言えるのは、彼がフィリアの幼なじみというつながりがあるからだ。だがそれも可能性があるという話だ。いまアレックスたちができるのは、なんとかフィリアを捕縛することしかない。
「ランディス、頼むぜ」
 早く来てくれよ。と独り言を繰り出した。
「縛止!!」
 フィリアの手元から光が急激に膨らむ。
 近衛たちが放つ捕縛の光の縄が四方から放たれたのはほぼ同時だった。
 激しい爆発音。
 そして光が近衛たちの視界を焼く。
 土煙が沸き上がり、さらに視界を遮った。
 捕縛の網が爆風をも抑え込み、上空へと逃がす。
 しかし爆煙は濃く、捕縛できたのか、目視では確認できなかった。
 風を切る鋭い音にアレックスが無意識に体を逸らす。
 直後、すぐ間近で、衝撃波がアレックスをかすめていった。
 足元を見れば、鋭く地面が抉られていた。
「あ、っぶねぇ」
 ひやりとしたものが背筋を通っていく。
 捕縛できなかったのか。
 アレックスの身体に緊張が再び走った。
 風が土煙を消し去っていく。
 幾筋もの淡い銀の光の帯がフィリアの身体に巻きついていた。
 どうやら動きを止めることができたらしい。
 アレックスはほっとするが、地面に刻まれた衝撃波の跡に思わずぞっとする。
 今更ながらに、よく躱せたと自分でも思った。
 アレックスは慎重にフィリアに近付いていく。
 いつでも再び捕縛できるように、手に力をためていたが、フィリアからは何の反応もなかった。
 フィリアは気を失っているようだった。
 「なんとか縛止できたか」
 近衛が束になってかかってこのザマかと、情けなさに腹が立った。
 捕縛の網も細く粗い。いくつかの網はフィリアの風で寸断されていた。かろうじて捕縛できた状態だ。ここにいたのは年若い隊員が多く、ワンドの自分を除いてイーグルとオウルばかりではあったが、これではあまりにも精度が低すぎる。よく捕縛できたものだ。これは一から鍛え直さなければと思った。
 近衛隊は入隊一年目がイーグルと呼ばれ、その後は実力に応じて階級が上がっていく。順番でいくとイーグルからオウルに上がり、その後はワンド、ソード、クラウン、ガーディアンと上がっていく。
 ソードになると単独行動が許され、クラウン以上の幹部クラスに意見具申もできる。
 ちなみにアレックスはワンドのトップで、ランディスはソードだ。
 若い近衛たちの世話係を任されているアレックスには、近衛の底上げは頭の痛い問題でもあった。
 上空から羽音が聞こえ、振り仰いでその姿を確認するとアレックスは苦笑した。
「ようやく来たか」
「アレックス!」
 降り立ったランディスは辺り一帯の惨状と傷だらけのアレックスの姿に眉を顰める。
 そして捕縛されているフィリアを見て、顔色を変えた。
「フィリア!!」
 その声にピクリとフィリアの肩が揺れる。
 駆け寄ろうとしたランディスをアレックスは手を上げて制止した。
 他の近衛たちも息を飲み、瞬時に身構えた。
「捕縛準備。構えたまま待機!」
 アレックスが再び捕縛の指示を出す。じっと息をひそめてフィリアの動向を注視する。
 フィリアはゆっくりと顔を上げ、ぼうっとした表情でランディスをみた。
 まだ未覚醒のままか、とアレックスが合図をしようとした矢先、フィリアの瞳に光が戻った。
「あ、れ?ランディ?」
 きょとんとしてフィリアはランディスを見上げる。
 さっきまでの冷たい刃のような刺々しい空気は消えていた。
 寝起きのようなのんびりとしたフィリアの物言いに、安堵のざわめきが近衛たちから漏れる。
 一気に緊張が解かれた。
 アレックスも苦笑するしかなかった。
 ランディスが何気なく呼んだあの一言で【昇華】が完成してしまったようだ。
 幼なじみだろうがなんだろうが、その絆の深さはさすがとしか言いようがなかった。
「【昇華】ご苦労さん」
「え?昇華?」
 肩をポンと叩かれ、労われても、ランディスには何を言われているのか分からなかった。
 ランディスからしてみれば、慌てて呼び戻され、現場に着いたら庭園はめちゃくちゃで、その中心に捕縛されたフィリアがいたのだ。【昇華】をした自覚もなかった。
「縛を解く。あとはお前に任せる」
 アレックスの合図とともにフィリアを拘束していた光の網が消えていく。
 支えを失ったフィリアの身体が傾いで倒れこみそうになったところをランディスが受け止めた。まだ意識が朦朧としているらしい。
「ランディ…」
「ん?」
 フィリアが何か呟いてうずくまる。
「…気持ち悪い…吐き…そう」
「は?お、おい?」
 真っ青を通り越して、血の気が引いた顔色は真っ白に近い。
 フィリアは耐えきれず、胃の中のものを吐き出した。
 ランディスは羽根の根元を触らないように気を配りながら背中をさすって介抱する。
 嘔吐はなかなか収まる気配もなく、胃液だけになっても、なかなか治らないようだった。
 その様子を視界に入れながら、アレックスは庭師の男が取り落としたものがずっと引っかかって、行方を探していた。その庭師がいた辺りもズタズタに地面が抉られている。
 盛り上がった土に半分埋もれた状態で、それはあった。
 アレックスは慎重に拾う。
 泥に汚れてはいるが、鈴のようだった。珍しい色で塗装をしてある。鮮やかな青い鈴は、一見、おもちゃのようにもみえた。
 内側に土が入ったようで、鳴らしてみたが、カチッと硬い音がするだけだった。
 アレックスは泥だらけの鈴を袋にしまう。
「解析に回すか」
「何か気になることでも?」
「分からん。けど暴走した原因も分からん」
 ランディスも押し黙る。いったい何が起きたのか、フィリア本人にも分かっていないように思えた。
 フィリアはぐったりとして、ランディスの腕にかろうじて掴まっている。
「二人ほぼ同時に、となるとな」
 ランディスは無言のまま頷く。
 四枚羽根の力をコントロールする訓練はフィリアたちも毎日している。そう簡単に暴走するものでもない。これほど体に異変を起こすほどの何かを疑うべきだとランディスも思った。
「まあ、これが原因かどうかは分からんが」
 ひらひらと目の高さに持ち上げてアレックスは笑う。
 ランディスはアレックスの勘は当たっているような気がした。
「とにかくお前はフィリアどのを医務室へ運んだ方がいい」
「ああ、そうだな」
 そうっと抱き上げたつもりだったが、フィリアは口元を覆って苦しそうにうめく。
「吐いてもいいぞ」
 涙目でフィリアは首を横に振る。
「じゃあ、少しだけ我慢しろ。医務室まで飛ぶ」
 声もなくフィリアは頷く。相当辛そうだ。
 ランディスは翼を広げると、全速力で医務室へと飛んで行った。
 


 フィリアを医務室に預けた後、ランディスは再びアレックスたちと合流し、現場の庭園を封鎖した。アレックスがすでに報告を済ませていたおかげで、新たな調査のための人員がすでに到着していた。彼らに現場を任せ、ランディスたちはもう一人の候補、クレアの暴走現場へと向かった。
 そこの惨状もまたランディスたちを絶句させるほどの様相を呈していた。
 屋外ホールの白い屋根が跡形もなく落ち、舞台は原型を留めていなかった。
 日中や夜間に行われていた催し物を楽しみに訪れる人々も多かった場所だ。
 つい先日、フィリアと来たばかりの場所が無残な姿をさらしている。フィリアも気に入っていた場所だっただけに、このありさまを知ったらショックを受けるかもしれないなと思った。
 季節外れの氷に覆われた地面。大小さまざまな大きさの氷柱が墓標のように突き立っている。
 そしてこちらでも意識を失ったクレアが運ばれるところだった。
 厳しい表情でそれを見つめ、陣頭指揮をしながらシグルが立っている。
 その時、アレックスが声を上げた。
「あ!」
 まさかと思ったが、氷柱のすぐそばに青い鈴が転がっていた。
 アレックスが駆け寄って、慎重に持ち上げる。こちらは凍り付いて音は鳴らなかった。
「鈴だ」
「同じものか?」
 先ほどの鈴はすでに解析に回してある。色も大きさも同じ鈴だ。
 偶然にしては不自然すぎた。
「どうした?」
 ランディスたちに気が付いて、シグルが歩み寄ってきた。
 アレックスは手の中の鈴をシグルに差し出して見せた。
「隊長、この鈴と同じものを庭園でも発見し、いま、解析に回しております」
「青い鈴か。聞いている」
「リルどのの証言にも、鈴の音が聞こえるとフィリアどのがつぶやいた後、様子がおかしくなった、とありました。その時に自分が介入要請を受諾しております。リルどのには鈴の音は聞こえなかったようです」
 シグルは低く唸る。
 四枚羽根だけに聞こえる鈴の音、ということだろうか。
 だが、問題は何故、そこに鈴があったのか、だ。
 誰が、なんの目的で持ち込んだか。
「持っていた庭師を捕らえましたが、孫の忘れ物をそのままポケットに入れて持ってきてしまったと証言しております。あの時、いきなり熱くなったので取り落としたと申しておりました」
 シグルは頷いた。
「それも解析に回してくれ。解析の結果を待つ」
「了解しました」
「まだ同じ鈴が残っていないか探せ!」
「はい!」
 アレックスは敬礼をするとすぐさま身を翻して本部に向かった。
 その場に残ったランディスは凄まじい四枚羽根の力の片鱗に今更ながら驚いていた。
 フィリアやクレア、あの小さな体に秘められた強大な力。その具現が四枚の羽根だ。
 星織姫となるだけの力が四枚羽根にはあって、圧倒的なまでにそれを見せつける。
「何を呆けている。動かんか」
 鋭く叱責され、ランディスは我に返った。
「はい、すみません!」
 はじかれたように走り出すランディスの後姿を見つめ、シグルは息を吐く。
 ランディスの思い悩んでいることがシグルには手に取るように分かる。それはまるで昔の自分の姿を見ているようで苦くもある。自分の力があまりにも足りないと痛感するのだ。
 近衛も能力者であるとはいえ、四枚羽根との力の差は歴然としている。それが時にはみじめでもあり、完膚なきまでに叩きのめされるのだ。それでも当時の自分と比べたら、ランディスの方が頭もよく優秀だ。候補との距離も違う。それゆえの悩みもあると分かっていながら、シグルはやはりランディスに期待をしているのだった。



 現場から戻ったランディスは自室のノートパソコンで、監視カメラに残されていた映像を見つめていた。資料として公開されている映像は複数あって、だれでも閲覧可能になっている。いまのところ手掛かりはあの青い鈴だけだ。ほかに何かないかと思ってみたが、有力な証拠になりそうなものは見つけられなかった。
 凄まじい破壊の映像を見せつけられただけになって、ランディスはため息をつく。
「ランディス、なんだ、部屋にいたのか」
 アレックスがノックとともに顔を出した。
 ランディスが当時の映像を見ていたことに気付き、納得したようにうなずいた。
「医務室にいるかと思ってさ」
「もう寝ていたから」
 処置室で一通りの治療と検査を終えて、病室へと移されたフィリアだったが、ずっと眠ったままだった。
 命に別状はなし。症状としては酩酊状態だと説明されて、力が抜けた。詳しい検査結果が出たら連絡をもらうことになっている。医務室は二十四時間体制で看護してくれるため、ランディスも付き添う必要がないのだ。
「大っぴらに寝顔を見れるチャンスだったのに」
「………あのなぁ」
 ランディスはため息をついてがっくりと項垂れた。こんなときに何をのんきなことを言ってるのかと思った。
「保護者かよ、お前」
「俺は…」
 ランディスが振り返ると、呆れたような、何か奇異のものを見るような目でアレックスは見返す。
「あんな簡単に昇華できるくらいのつながりを持っていて、もったいないな、お前」
「ずっと一緒にいるからな」
「幼なじみってそんなもんか?まるで兄妹だよな」
 アレックスが何を言いたいのかランディスにはよく分かっていた。分かっていたが、ランディス自身どうしたらいいのか分からない。
「俺は一人っ子だから、兄妹の感覚はよく分からないが…」
 確かに幼なじみで物心ついたときにはすでに一緒にいて、毎日を過ごしていたのだ。けれど、兄妹かと言われたら、ランディスには違うような気がしていた。
「ウチは上に姉さんがいて、下にまだ五人、弟と妹がいるけどな」
「賑やかそうだな」
「まあな」
 フィリアが他の誰とも違う存在であることは間違いないが、言葉で言い表すのが難しく思えた。一番しっくりくるのが幼なじみというだけだ。
「っていうか、お前ほんとうになんなわけ?」
 さすがにランディスもムッとした。
「物心がついたころから今までずっとこういう風に一緒にいたんだ、悪いか?」
 はぁーっとアレックスは盛大にため息をついた。
「無自覚か。分かった。少年!応援するわ。頑張れ!とにかく、頑張れ!」
「なんだ、それ」
「いいか、ランディス。フィリアどののかわいさを当たり前と思うなよ?ちゃんと、見ろ。よく、見ろ。まずはそこからだ」
 大人びて見えるがランディスはまだ中身がガキのままだとアレックスは悟った。
 もしかしたら分かっているのかもしれないが、あまりにも距離が近すぎるのかもしれない。やっかいというか、面倒くさいやつだなともどかしく思う。何のことはない。アレックスは羨ましいのだ。
「あの距離感、この関係性は贅沢だぞ!もったいなさすぎるわ」
「そんなこと言われても、恋愛禁止だろうが!」
「近衛と候補はな!」
 カッとなったランディスだったが、アレックスからの返事に絶句した。
 ランディスは深いため息をつく。アレックスが何を言いたいのか全然分からない。
「アレックス、いったい何しに来たんだ?」
 そう言われて、思い出したように、アレックスは手を叩く。
「ああ、そうだった。そろそろ解析から連絡が来るんだ。本部に行くついでに迎えに来た。お前も気になるだろう?」
「ああ、もちろん」
 ランディスはパソコンの電源を落とすとすばやく立ち上がった。
 ランディスにとってはフィリアとの関係性よりも、今回の事件の解明の方が最優先事項だ。
 唯一の手がかりである青い鈴から何かわかるかもと期待した。



 本部に届いた解析結果にランディスたちは落胆のため息をついた。
 鈴自体は普通にどこにでも売られている市販の鈴で、期待した青い塗料からは微量のアルコール反応が出ている程度だった。これと言って不審な薬物反応が出たわけではなかった。
「じゃあ、鈴は関係なかったのか」
 アレックスはがっくりと肩を落とす。ランディスも黙ったままだ。
「ただし…」
 重々しく言葉をつなげるモニターの向こう側の研究員の表情は硬く、事態はそう簡単ではないと告げていた。
「気になる点はいくつかあります。まず鈴の音。普通の人間なら心地よい響きかもしれません。この鈴の音は複数の音が重なっていまして、ある特定の音が四枚羽根に反応した可能性があります」
「音?」
「常人が聴くことのできない音を候補のお二人が聴き取ったと仮定すると、その音が羽根に作用して酩酊状態を引き起こした可能性も…」
「…酩酊って、…酔っ払って暴走なんてのはたまらんぜ?」
 アレックスは頭を抱える。
 あれだけの破壊力を見せつけられ、捕縛がやっとだったのだ。
 この先、四枚羽根をもつ彼女たちの周りに酒の匂いでもさせようものなら、手がつけられなくなるではないか。
「まあ、当然、禁酒だろうなぁ」
 他の隊員たちもがっくりと肩を落とす。
「ああ、失礼。禁酒しなくても大丈夫です。残っていたのが本当に微量なので、実際どれほどの量のメタノールが含まれていたかは不明ですが、研究室の意見としては、音の方が重要だと思います。我々には聞こえない音、超音波が四枚羽根に作用したと考えた方が暴走にいたる過程を追えます。先にランディスが提出してくれた光の粒に対しても鈴の音は影響を与えていました。わずかですが、共振しています。前例がなく検証もできていないので、候補の方々が回復したのちにご協力を仰ぎたいですね」
 四枚羽根に影響を与える音。
 そして力を増幅させる光の粒にも影響を与えるのだとしたら、近衛隊はフィリアたちをどう守ればいいのか。
 四枚羽根の意識を奪い、力のコントロールを失わせることが可能なのだ。
 暴走さえさせてしまえば自滅すると≪セラフィム≫は踏んでいるのだ。
 それは確かに真実だった。
 ランディスはゾッとした。血の気が引く思いだった。
「あともう一つ。証言の中に、発熱と発光があったと聞いています。こちらは能力者が絡んでいると仮定して、トレースを行いました。時限性の爆弾のようなもの、と表現したら分かりやすいかもしれません。例えば、いまから十分後に発光させる、みたいな感じで仕掛けられています。発熱は発光によるものです。仕掛け自体は単純なものですが、強い光の点滅をみることにより、神経を狂わされてしまいます」
「そんなものをばらまかれてたまるか」
 アレックスが吐き捨てるようにいう。
 仕掛けは単純で、媒体はどこにでもあるものが、実際調達するのに都合が良いのだ。
「まったく、≪セラフィム≫も厄介なものを作ってくれたものだ」
 モニターを渋い顔で見つめていた副隊長のクルトが、腕を組んだまま苦い顔でつぶやく。
「どこにあるのか、いくつあるのかも分からないものを…」
 しんと静まり返るその重苦しい空気を払う様に、司令室からシグルの命令が飛んだ。
「よし、分かった。鈴は見つけ次第、破壊せよ!!神殿内に出入りする者たちの身辺をすべて洗い出せ。≪セラフィム≫に繋がる者を探し出すのだ!!」
「はい!!」
 近衛たちが姿勢を正し、シグルに敬礼するとすぐさま本部を飛び出して行った。


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