だがしかし

帽子屋

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 暫くそのまま様子を見ていた少年は「行こう」と言って俺の着物の袖を引き、踵を返して山の中へと歩き始めた。俺は引かれるまま少年に着いて行った。
 足元で踏みつけられる土や草木の音、鳥や獣、虫の羽音。そして水の流れる音。無言で歩く森の中には多くの音が混じり、その中に俺は、ものものの最期の声を聴く。空腹を感じながら。だが、少し前を歩く少年は俺が着いてくるのを疑わない様子でどんどん歩を進めていくので、俺は声の主たちに『ごめん。後で必ず行くよ』と念じながらその背中を追った。
 水の流れる音が次第に強く聴こえその匂いも濃くなり、少年が生い茂る葉をかき分けた向こうに川が見えた。そのすぐ近くでは、見上げた先から勢い良く水が落下している。滝から落ちた水が細かい粒子となって空気と混じり、光を反射させながら川面を踊るように流れていた。
「来いよ! 魚、よく獲れるんだ。でも、あんたみたいな鈍い奴には無理かもな」
少年は今来た道から少し高さのある川岸へぴょんと跳ねて降りると、俺を振り返って笑った。俺は、確かに生きてる魚を獲るのは無理だろうなあ。魚はすばっしっこいもんなあ。と思って頷いた。
「そっか。魚獲るより、お前、あの傷じゃ、まださすがに川には入れねえよな。ようやく歩けるぐらいだろ?」
 少年は俺の足に視線を落とした。俺は心配そうな少年の前に、少年に倣ってぴょんと跳ねて下へ降りた。
「足、大丈夫なのか? 痛くねぇのか?」
 驚いた少年に、俺は頷き大丈夫だと口の形を作って答えた。俺の喉からはまだ声は出なかった。
「声はまだ出ないんだな」
 俺の喉元を見た少年に、俺は再び頷き心配するなとやはり声を出さずに言ってやった。
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