だがしかし

帽子屋

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 俺が席に着くと、年季の入った中ジョッキぐらいのガラスのコップにおじさんはなみなみと水を注いでくれる。これまた年季の入ったピッチャーからトクトクと流れる透明な液体に、ビールのCMみたいにごくりと俺は喉を鳴らした。実際は飲み下す唾液もないぐらいの乾きだったけど。
最後の一滴がコップに落ちると同時に、俺はペコりとおじさんに頭を下げ一気に水をあおった。
「そんなに一気に飲むと~ からだに悪いよ~」
からだに悪いだと? からだに悪いとすれば、それはお前のせいだ……。

頭の先から爪の先まで水分が行き渡った感覚を覚えた俺は、湿り気を得た目玉でじっとりとした視線を投げてやったが、神田はどこ吹く風で手書きのメニューを眺めている。
俺は神田の忠告らしきものをそでに、立て続けに2杯の水を飲んでやった。
生命の危機を脱して落ち着いた俺は、椅子の背にもたれて深い息をはくと最後にもう一度コップに水を注いだ。そしてふとよぎった思いがそのまま口をついて出てきた。
「この水。うまいな」
「美味しいよね~ こんなに美味しい水なのにもったいないよね~ すみませ~ん 僕、ヤマメ定食、特盛アゲ蕎麦~」
「はいよー」
俺が命の水による生命の復活、いや、まだ死んでない、生命の回復を遂げているあいだメニューを吟味していたらしい神田があくまでマイペースに店の奥へオーダーするとおじさんの返事と「お連れさんは? お冷だけでいいのかい?」笑ったような声が聴こえてきた。

いえ。のびたくんのデートじゃないんで。て言うか、神田(こいつ)とデートとか絶対いやです。
神田くん。俺にもメニュー、見せてくれるかな?
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