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自称小説家、上等!

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「おにぎり……」

店を出ようとしていた男は、店内のモジャモジャと、そこから思わずもれたらしい日本のソウルフードの呼び声に足を止めた。

「おにりだ。相変わらずだな(頭が)。こんなところで何をしている?」
「お前に関係あるのか?」
「全くない。興味もない」

じゃ、聞くなよ!

 モジャ頭を一瞥した男は、その向かいに座る男に目を留めた。

「鬼切りさん、お久し振りです」

 鬼切が言葉を発するその前に、綺羅は流麗な音と仕草で挨拶を述べ頭を下げた。

「……綺羅。まだこいつと繋がっていたのか。いい加減縁を切らないと、お前までこんな頭になるぞ」
「それだけは死んでも嫌です」
「だったら死ぬ前に切るんだな」

なんなのお前ら! こんな頭って?! 切るって散発?!  それともKILL?!
え? KILL? ちょっと俺の命の話なの? その話、完全に所持者を無視して進めていませんか? 

 モジャおは2名に「その命、所持者は俺だよねー?」と、頭と両手で猛アピールしたが目の前に座るイケメンと突然やってきたイケメンが唐突に発生させたオーラの前に奮闘虚しく完全に弾き飛ばされ、頭どころか存在そのものがことごとく無視された。
 イケメンオーラだだ漏れの結界の端ではミーちゃんが腰くだけの状態で固まり、マスターはモジャおが両腕を振っているので、珈琲のタイミングを待てと言うことか、と、ドリップを始めようかとしていた手を止めた。彼だけは徹頭徹尾、今日モジャおが来ようが何をしようが、吹き荒れるカオス旋風を意に介することなく通常運転である。細口のコーヒー用ケトルから湯気が立つ。

 モジャおが僧帽筋あたりに疲労を感じ肩で息を始めた頃、ようやく気付いたのか鬼切はその結界を解いた。

「相変わらず綺羅にまで迷惑をかけているのか。新しい就職先は決まったのか? 聞くだけ無駄か。こんなところで油を売ってるんだからな。どうせまだ決まってないんだろう?」
「俺は……」

 “小説家になる!” モジャおの所信表明は、ドカッと激しく足の甲へ入れられた綺羅のかかと落としによって阻止された。

どうせなら鳩尾に蹴りでも食らわせて落としてしまいたい。いや、いっそのこと……ちらりと過ぎった計画を鬼切を前にして綺羅は本気で検討した。

「“俺は” ? なんだ?」

ふんと鼻で笑い、突然奇妙な声を上げて机に突っ伏したモジャ頭に鬼切は遠くから冷ややかな目を落とす。

「まあいい。中途半端に放り投げて会社を去ったお前だ。何をやってもダメだろうさ。せいぜい惨めな人生を送れ」
「バデ(待て)! オジギリ(おにぎり)!」

痛む足をバタつかせながらモジャおは何とか声をしぼりだしたが、鬼切は背中を見せてクロノマットが光る腕を軽く挙げるとそのまま店を出て行った。

ああっ!……っ! 別の意味で声にならない声を上げるミーちゃんがその背中を見送り、カウンターから様子をのぞいていたマスターは「すいません。またお願いします」と重低音の地声でランチ終了の詫びと挨拶を常連にしたあと、なんだか急に静かになった最後の客のテーブルを珈琲待ちタイムととらえ、珈琲のドリップに向かった。

「ミーちゃん。ごめん。くりりんまた今度にする」

クリリン? くりりんって何かしら? ぴかりと光る頭に “?” を浮かべたミーちゃんに、足の痛みを確認しながらそろそろと席を立ったモジャおは、まさか通っていないとは夢にも思っていない卦体けったいにもほどがあるほど交差しなかった視線の副産物、飛んで清水舞台の勢いで頼んだ ”くりりんかぼちゃのプリン” 幻のオーダーのキャンセルを告げレジに向かう。

「行くぞ……きらきら」
「行くって……珈琲まだ来てませんよ?!」

やんわりとした本日何度目かの殺害計画は鬼切の退場で一旦幕を引き、カウンターから香る豆の匂いに『マスター。マンデリンにしたんですね? 僕はどちらも好きです。良いチョイスです』ざわついた心を落ち着かせていた綺羅は、突然席を立ちヨレヨレと歩き出したモジャおを呼び止めたが聴こえているのかいないのか相手は止まらなかった。

「ちょっと。まっつん。珈琲どうするのよ」
「今度2杯サービスして」

ポケットからなけなしの小銭をミーちゃんに渡すとモジャおは店の外に出た。

「あの、握り飯やろう……どこ行きやがった」

通りを見渡すが、鬼切の姿はない。

どんだけの歩行速度だ! どんだけ足長いんだよ?! むかつく! それとも走って逃げやがったか……

「先輩! マッツさん! 行くってどこへ行くんです?」

後から出てきた綺羅がミーちゃんから渡された束のような珈琲チケットを片手に、ブンブンと大きく左右に動くモジャモジャに尋ねると、モジャ頭はぴたりとその動きを止めた。

「小説家に決まってるだろ」
「はぁ?」
「家帰って、手洗ってうがいして、芋に卵塗ってオーブンに入れたらパソコンに電源入れるんだよ!」
「そんでもって、サイトに行って、アカウント作って小説家になる!」
「まあ、アカウント作れば自称小説家にはなれますけどね」
「じ、自称もそのうち他称になる! 自称小説家、上等!」

鼻息の荒いモジャおに肩を竦めた綺羅が秋空を見上げると、街路樹から舞った焼けた色の桜の葉が風に飛ばされ浮かんでいた。

桜さん……。

宇宙人モジャモジャはどうでも良いとして、桜にこれ以上モジャ毛と言う迷惑が絡みつかないよう、もう少しだけこの男に付き合ってやろうと綺羅は思った。この調子では、どうせすぐに電話かメールを寄越してくるに違いない。
冷たい風に首をすくめたモジャおが駅に向かって歩き始める。立てたコートの襟に雪ダルマの頭部ならぬモジャモジャを乗っけたような後姿を綺羅は追った。
本当にもう少しだ。いやいやこの毛には適度な距離Social distancingを取ることは忘れないように。鬼切ではないが恩があるとは言え、近付き過ぎてこんな頭に中身も外見もなるのは死んでも御免こうむりたい。



 その頃、鬼切はOasisの二つ隣の風神雷神でランチ極上焼鳥丼に雷鼓ならぬ舌鼓を打っており、ようやく怒涛のランチを乗り切ったミーちゃんとマスターは、店を閉め、最後の客に出すはずだった美味と評判の珈琲をウフフと飲んでいた。




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