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間奏曲
lamentazione(17)
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暗闇の中は袋小路のようで淀んだ空気と臭いが抜け出すことができず行く宛てもなく滞っていた。ゆっくりと一歩踏み出すごとに肺に吸い込まれる空気が重たく感じる異質な空間に、カメラをまるで盾のように目の前にかまえて進む。にぶく発光していた光が2つ消えると、それよりも明るく輝いていた光も光度を落としたようだった。暗視装置を備えたカメラのディスプレイを通して映るその光は点滅を繰り返し、その間隔は次第に短く光はひとまわり大きくなって見えてくる。自分が対象へ近付いているのだからと思うよりも早く、光は明滅を大きくしているのではなく、こちらへ近付いて来ていたのだと思い至ったとき、ふと光は暗闇の中に消えた。代わりにずるずると床石をこする鈍い音がわずかに反響しながら聴こえ、さらに小さな虫の羽音らしきノイズがそのなかに混じる。重たい荷物を引きずって運んでいるかのような音はいま、アンのすぐそばまではっきりと近付き、固唾を呑むアンのすぐ目の前、カメラ越しに青白い顔が浮かんだ。その目は見開かれ、頬のあたりには涙のすじを幾本も残し、漣にも似たやわらかくなみうつ白い色の髪を伸ばした子供、さながら大きなフランス人形が映し出された。
アンは驚きのあまり悲鳴も上げられずに後ろに身を引き、そのまま体勢を崩して倒れしりもちをついた。幽霊が本当に出たと助けを呼び叫びたいのに、喉はおさえつけられているように気道がせばまり、必死にしぼり出そうとしても空気が細く漏れ出る掠れた音しか聴こえない。声に反して大きく開いた口だけが恐怖に震え、声が出ないことへの焦りにアンは呼吸を荒くした。湿った空気が浅く肺を満たしては抜けていく。アンは腰を床についたまま、じりじりと後退した。カメラだけは腕の筋肉が硬直したように目の前にかざされていたが、それはキャスターとしての矜持というより幽霊から身を護る加護、十字架のように見えた。
アンの目の前に現れた幽霊は、足音ではない、確かになにかをひきずる音と蜂の羽音にも似た音を響かせながら、ただまっすぐにこちらへと進んでくる。その動きを止めることも早めることもせず、腰を抜かして逃げることも出来ない侵入者のことなどまるで見えていないかのように気に留める様子はまったくうかがえない。
アンは荒い呼吸に胸が苦しくなり過換気が起こる一歩手前で光が届く場所まではいでた。カメラのディスプレイが太陽光の反射を受け見えなくなり、レンズ越しの幽霊が消えると暗闇から光の世界へ無事に戻れたとアンは安堵の息を吐いた。呼吸を落ち着けながら『アン、冷静になって、なるのよ!』と胸のうちで自分を叱咤する。声はまだうまく出せなかったが、次第に落ち着きを取り戻すと、本当に自分がいま見た物の存在が途端に疑わしく感じられた。『本当にいたの?認めたくないけど私がパニックに陥った可能性も……』だがそれはアンの期待を二度裏切り、姿を現した。一度目はその存在の有無。二度目は、太陽光にさらされた幽霊は、叫びながら大気へ溶けるように姿を消すわけでもなく、悲鳴をあげてその場からかき消えるわけではなかった。そこには、いたって普通のどこにでもいるような子供が、どこにでもあるような服、ジーンズのパンツに人気子供番組のキャラクターをあしらったパーカーを着て立っていた。ただ全身が赤い絵の具の中で遊んだように、真っ赤に染まっていた。
アンは驚きのあまり悲鳴も上げられずに後ろに身を引き、そのまま体勢を崩して倒れしりもちをついた。幽霊が本当に出たと助けを呼び叫びたいのに、喉はおさえつけられているように気道がせばまり、必死にしぼり出そうとしても空気が細く漏れ出る掠れた音しか聴こえない。声に反して大きく開いた口だけが恐怖に震え、声が出ないことへの焦りにアンは呼吸を荒くした。湿った空気が浅く肺を満たしては抜けていく。アンは腰を床についたまま、じりじりと後退した。カメラだけは腕の筋肉が硬直したように目の前にかざされていたが、それはキャスターとしての矜持というより幽霊から身を護る加護、十字架のように見えた。
アンの目の前に現れた幽霊は、足音ではない、確かになにかをひきずる音と蜂の羽音にも似た音を響かせながら、ただまっすぐにこちらへと進んでくる。その動きを止めることも早めることもせず、腰を抜かして逃げることも出来ない侵入者のことなどまるで見えていないかのように気に留める様子はまったくうかがえない。
アンは荒い呼吸に胸が苦しくなり過換気が起こる一歩手前で光が届く場所まではいでた。カメラのディスプレイが太陽光の反射を受け見えなくなり、レンズ越しの幽霊が消えると暗闇から光の世界へ無事に戻れたとアンは安堵の息を吐いた。呼吸を落ち着けながら『アン、冷静になって、なるのよ!』と胸のうちで自分を叱咤する。声はまだうまく出せなかったが、次第に落ち着きを取り戻すと、本当に自分がいま見た物の存在が途端に疑わしく感じられた。『本当にいたの?認めたくないけど私がパニックに陥った可能性も……』だがそれはアンの期待を二度裏切り、姿を現した。一度目はその存在の有無。二度目は、太陽光にさらされた幽霊は、叫びながら大気へ溶けるように姿を消すわけでもなく、悲鳴をあげてその場からかき消えるわけではなかった。そこには、いたって普通のどこにでもいるような子供が、どこにでもあるような服、ジーンズのパンツに人気子供番組のキャラクターをあしらったパーカーを着て立っていた。ただ全身が赤い絵の具の中で遊んだように、真っ赤に染まっていた。
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