雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 リハーサルを終えた入谷は、藤に嫌味を言われ、神田に皮肉られ、何か言おうとした葉山を眼力でねじ伏せて、クロと遠海に心配されながらも、高額納税者憩いのスペースへと向かっていた。喫煙者は相当の高額納税者であり取り締まりも厳しく公共の場では限られた場所でしか喫煙できない。その対価とでも言うのか登録された喫煙エリアは、定められた基準をクリアした超高性能な空気清浄機と灰皿が備えられたクリーンな空間で昔ながらのヤニの匂いもせず空気のべたつきもなく清潔で快適。場所によってはパイプや葉巻愛好家が立ち寄るようなちょっとしたサロンのようでもあった。
「入谷君」
 入谷が待ち合わせに指定した会場近くの喫煙エリアの中で、見るからに重役と言った風体の相手と喋っていた男が手を挙げた。トレードマークのサングラスこそかけていないが、直感的にいい声と感じるその耳に良い響きは一声一音聞けば入谷には誰であるかすぐにわかった。
「お久し振りです」
「いよいよ今夜だね。頑張ってよ。俺、君のギター好きなんだ」
「有難うございます」
「誰かと待ち合わせ?」
「ええ」
「そうか。そうだ。今度、飲まない? 僕、君と飲んでみたいってずっと思ってるんだよ」
「ええ是非」
 男は自分の前に座る相手と入谷をそれぞれ紹介し二人が握手をすると「連絡するよ」と言った。入谷は二人に丁寧に礼を述べ頭を下げるとその場を後にした。前では待ち合わせの相手がカウンターから細く長い体を器用にひねってこちらをうかがっている姿が見えた。
「待たせたか?」
「誰? さっきの?」
「なんだ。お前気が付かなかったのか? コンフィデンスの桜沢さんだよ。一緒にいるのはユニバーサルのお偉いさん。前に一度見たことがある」
「え! 仙人集団の? 気付かなかった……」
「仙人……お前ね。いい加減少し礼儀ってものを身に着けたら?」
「うるさい」
「ハイハイ。なんか食う? ここでもいいし、この上階うえでもいいし。なんなら一服したら場所変えてもいいよ。さすがに本番前だから飲めないけど」
さっそく入谷は煙草を取り出した。
「うわばみのくせに」
「匂いでばれるからダメだ」
「そういう問題?」
「そういう問題」
 うまそうに煙を吐き出す入谷を見てから正面を向いて月光つきみつはポツリと呟く。
「……メイン・ステージ、でかいよな」
「ああ。でかい。目の前に広がる観客席もすごいぜ。海みたいでさ」
「俺だって、俺たちだって、百舌あいつがいれば……絶対俺たちがあのステージに立ってたんだ。絶対あんたたちに負けなかった」
 片眉をわずかに上げた入谷は首を右側に少し傾けて、カウンターに置いてあった月光の煙草の箱を持ち主の目の前まで引き寄せてやった。
「俺たちだって負けないよ? 百舌もずがいたとしても」
 月光が何かをかみ締めるように黙って煙草を取り出すと入谷はそれに火を点けてやった。そして自分の隣に座った男がライターをノックするが火が点かない様子に、そのまま自分のライターをその男の前に差し出した。
「どうぞ」
 またフリントが小気味良い音を立て火が浮かぶ。
「どうも」
 ジムは短く礼を言うと煙草に火をもらった。
「またそんな、いい人ぶって」
「俺はいい人なの。頭の先から足の先までいい人なの」
 匂いを追ってここまできてみたが。この優男のどこにあの男に殺意を抱かせるような何かがあるというのか。
 スタッフに紛れ込んで獲物ターゲットを見ていたジムは、あのときタケシから突然あふれ出した殺意の匂いを嗅いだ。すぐにその殺気は治められたがジムはそのままタケシを追った。タケシはこの建物の手前まで入谷のあとをつけていたが、ふと脇道にそれた。気付かれぬようにジムが覗くと、若い欧米人らしき人間と2、3言葉を交わし二人で連れ立って通りの方へと去って行った。
 ジムは命令オーダーのための最善の猟場、そしてえさについて消えていく煙を見ながら考えていた。

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