雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 物語が終幕した劇場内では子供たちが出口へと向かっていた。物販ブースに目を奪われているフレッドの手をひきながら、エリックはその波とは逆方向に関係者入り口を目指していた。ひとけのなくなった通路の奥[STAFF ONLY]と書かれたドアの前で、取り出したモバイルの画面と周りを見ながら指示されたドアだろうかと位置を確認し、今まさに開けようとしている人の良さそうな眼鏡の男を足ばやにエリックは捕まえることにした。
「あの、すみません。最初に挨拶されたパイロ技師の人とお話出来ますか? 僕たちパイロテクニクスに興味があって。もう少しお話聞けたらなって思って」
 エリックは期待と懇願を絶妙に混在させた表情で男のレンズの奥をのぞきこむ。その横ではフレッドが、煌めく音でも聴こえてきそうな得意のきらきらの眼差しをこれでもかと輝かせていた。
「ああ……ごめんね。僕はここのスタッフじゃないからわからなくて」
 一瞬双子に目を奪われた男はスタッフと間違われたことに気付き申し訳なさそうに謝った。
「そうですか……」
「えー……」
「ええと。タケシさん、だよね。ここでちょっと待っててくれる? 聞いてきてあげるよ」
 わかりやすくしゅんと落胆した双子を見た男はなだめるように声をかけるとドアを開け奥へと入っていった。
「ねぇ。なんであの人にしたの? 最初からスタッフじゃないってわかってたでしょ」
 ドアが閉まるのを待ってフレッドはエリックに尋ねた。
「優しそうでしょ。みるからに」
「ろうらくしやすそうってこと?」
「篭絡って……どこで覚えたの。そんな言葉」
「はーい。それはね……」
「いいや。言わなくてもわかる。俺様でしょ」
「僕に言わせてよー」
「はいはい」
 エリックにあしらわれ、軽くすねたフレッドだったが先ほどから気になって仕方がない物販ブースを指差した。
「あそこ、見てきていい?」
「いいけど。買わないよ」
「えー……絶対エリックも気に入るよ。ね?」
「ダメ。無駄遣いしちゃダメなんだから」
「一個だけ。ね、お願い。エリックだってイモムシイリヤ気に入ったでしょ? 僕、わかるもん」
「……」
 フレッドの輝くおねだりの瞳、篭絡の眼力は兄にも効果があるようだった。


 双子を残した男はモバイルに届いていたメッセージを頼りに友人の待つ部屋へと廊下を進み、すれ違うスタッフに会釈をしながら目的の部屋まで辿りつくと遠慮がちに中をのぞいてみた。
三夜みや、こっち」
 楽屋の入り口からなかへ入ってよいものかと様子を伺っている人影を見つけ、煙草片手に立ち話をしていた入谷いりやは声をかけた。
「失礼します」
 遠慮がちに三夜は室内に入ると入谷と話していたパイロ技師にまず頭を下げた。今回病院の子どもたちを連れてこられたのは友人である入谷とこの特殊技術を持つパイロ技師のおかげだった。
「タケシさん、今日は本当に有難うございました。子どもたち大喜びでした。僕もとても貴重な経験をさせて頂けました」
 三夜はあらためてふかぶかとタケシに頭を下げた。
「俺は仕事で呼ばれただけだ。……楽しんでもらえたなら良かったが」
 小柄な男はぶっきらぼうに答えるが、どことなくまんざらでもなさそうな様子に三夜は安堵した。
「ええ。とても。そうだ。今ここに入る通路のドアの前に子どもが二人来ていて、パイロテクニクスについてタケシさんにもっと話を聞きたいって言ってたんですが」
「そうか……」
 タケシは腕時計で時間を確認した。
「さすが売れっ子火煙師。タケシさん子どもにまで大人気じゃないですか。時間、大丈夫なんですか?」
 茶化すように入谷が笑い短くなった煙草を空気清浄機能のついた灰皿へ入れた。タケシは照れ笑いと苦笑いが混ざったような顔で「うるせー」と笑った。
「ここの片付け確認してちょっとメインの方に寄ったら今日俺はあがりなんだよ」
「じゃ飲み行きましょうよ」
「またかよ。気が向いたらな」
「あら、つれないお言葉」
 火煙師は入谷をそでにすると三夜に「それじゃ」と軽く頭を下げてドアへと向かった。
「待ってますから。連絡してくださいよ」
 タケシにフラれた入谷が机に置いてあったモバイルを取り上げてちらつかせながら背中に声をかけると、タケシはちらりと振り返り片手を挙げて外へと出て行った。
「ああ見えて意外に子供好きだったんだなあ」
 タケシの出て行ったドアを見ながら、入谷はなんとはなしにつぶやいた。
「仕事柄、かな。落ち着いてる人だよね。僕らとそう年齢としはかわらなさそうだけど」
「落ち着きのないパイロ技師とか絶対イヤだろ。一緒に仕事したくねー。いつか大事故になる。ごめんだね」
 入谷は新しい煙草に手を伸ばした。ちらりとその手を三夜の目が追う。
「入谷。今日は本当に忙しいところありがとう。まさかメンバー全員が登場してくれるなんて思わなかったよ。みんな忙しいだろ? 調整大変だったんじゃないか?」
「気にするな。俺にかかれば楽勝よ。どうということはない」
「そういうとこ、相変わらずだね」
「なにか?」
 冗談とも言い切れない偉ぶった態度に三夜は冷めた視線を送ったが、ステージ上のこの男の姿を思い出し、苦笑に変わった。
「しかし……」
「だから、なにかしら?」
「入谷がまさかイモムシで出てくるとは思わなかった。誰のアイディア?」
「……訊くまでもないだろ。あんなことを考えるのは葉山はやまだけだ」
 笑う友人に入谷は不貞腐れた様子で煙草を一本取り出した。
 入谷は自分で言うほどグループ内で主導権は握れていないだろうな、と三夜は前から思っていたが実際当たらずとも遠からずといったところらしい。俺様を装ってはいるがその実、押しが弱く頼まれたら嫌と言えない、本人が望んでいなくても結果的に面倒見の良い最年長者になってしまっているといったところか。あの破天荒な葉山をはじめとする個性的、と言えば聞こえはいいが、独創的というか、一風変わった面々相手に何かと苦労しているにちがいない。変わっている、といえば、この目の前の男もだが。
 まあ、認めやしないだろうけど。
「……葉山君たちとうまくやってるんだな」
「なんだその安心したような顔は。俺は別に病気の子どもじゃないぜ」
「そう? 煙草はやめられないみたいだけど」
 煙草に火をつけようとした入谷を三夜はたしなめる。
「吸う。俺は吸う。吸いますとも。ここ吸っていいの。いい場所なの」
「そういうところが子どもでしょ。病気でしょ。子ども……そう言えば……」
「なんだよ。吸うったら吸う」
「そうじゃなくて、さっきのタケシさんに話を聞きたいって来てた子たち。どことなく君に似てるというか……面影というか……」
「おい。なんだ。その、まさか……みたいな目は。あのね。俺をいったいどういう人間だと思ってるわけ? だいたい子たちってなんだ。いきなり複数児の父親容疑かけないでくれる? それにさらっとひどいこと言わなかった? 病気とか」
 入谷のクレームはさらりと受け流した三谷は、先程出会ったひとそろいの顔を思い出した。
「一卵性かな。双子だったんだよ」
「ほー……双子」
 ライターが音を立て入谷は煙草に火をつけた。
「そう。そして君のことはそういう人間だと思ってるよ」
「あのな、俺はそんなヘマはしないの。しません!」
「……そういう人間だよ。ならいいけど」
「まったく」とぶつぶつ言いながらも、自分に煙がかからないようにと灰皿に向けて細く煙を吐く入谷を眺める。この不遜の男にあの無邪気な双子のどこが似ていると感じたのか、子どもじみた態度だろうか……いや、子どもじみたと言うならあの子たちよりこの男のほうがよっぽど……三夜が先ほどの双子を思い返したところでモバイルが振動した。ポケットから取り出すと付き添いのスタッフから全員バスに乗ったとの連絡だった。
「あ、はい。一緒に戻ります。ええ。今行きます」
 最後に「すみません」と言って三夜は通話を切った。
「これから戻って仕事なのか?」
「まあね」
「じゃあ終わったら飲みに来いよ」
「ありがとう。でも今夜は難しいかもなあ」
「じゃあ明後日。メインステージの出番終わった後、我らがバンドの世界的デビューを祝して飲むから来いよ。葉山や遠海とうみもいるぞ」
「本当に毎日飲み歩いてるんだな。飲みすぎは体に悪いって知ってるよね」
 三夜は呆れたように肩をすくめた。
「なんだよ。毎日じゃねーぞ。一昨日と昨日と今日と明後日と……」
「毎日って言うんだよ、それは。お誘いは嬉しいけど当分休みはなさそうだし」
「働きすぎは体に悪いって知ってるか? 学内生息とともに院内生息はおススメしないぞ」
「院内生息……はは。確かにそうかも。この前家に帰ったのいつだっけかな?」
「冗談で言ってんだよ……」
 呆れた入谷に、三夜は、はははと軽く笑いながら「葉山君たちにも宜しく言っておいて」とドアに向かうと入谷も見送るため横に並んだ。
「ここでいいよ。今日は本当に有難う。本番頑張って。見られたら院内のテレビで見るから」
「おう」
 廊下に出た三夜は入谷に別れを告げ病院スタッフの待つ駐車場へと向かった。


 三夜は駐車場に停めてあった送迎バスに「お待たせしてすみません」と言って乗り込むと、後方に座る子どもたちを眺めてから座席に座った。
「セラちゃんよっぽど楽しかったのかな? あの子のあんなに嬉しそうな笑顔、初めてみたよ」
シートベルトをしながら隣の席に尋ねると、スタッフは「本当に。私も驚きました」と笑顔を弾ませて「王子様に会ったんですって。それも双子の」と静かに三夜の耳に囁いた。
「それは素敵だね」
 双子と聞いて三夜は自分も出会った双子を思い出した。ああ。なるほど。王子様。そしてユニークな弟たちの面倒を知らず見ている、どこかの俺様王子が煙草片手に不貞腐れている姿が脳裏に浮かんだ。


 待ち合わせ場所に立つ父親の元に、兄と兄に手をひかれた弟が現れた。フレッドは満面の笑顔で「じゃじゃーん! 」と、ぬいぐるみをジムの前に突き出した。
「フレッド、それはなんだ?」
「炎のイモムシ。こっちは煙のボウシヤと光のウサギ。ジムはどれが好き?」
 ジムは無言でほんの刹那動きを止めると、次にエリックを見た。
「エリック?」
「ごめん、ジム。フレッドに勝てなかった」
「ジム! 僕たち、頑張ったよ! 近くでよーく見てたくさんお話して全部録画したもん! それにねイリヤがイモムシで他にもメンバーみんな出てきたんだよ! すごくない?! それにウルトラマンにも会ったんだよ」
「それは違うでしょ、フレッド」
「だってカラータイマーって言ってもん。あの子本当にウルトラマンなのかも?! ここってウルトラマンの国だし」
「ウルトラマンはM78星雲から来たからここはウルトラマンの国じゃないでしょ」
「もうエリックこまかい! M78星雲からこの国に来たからここがウルトラマンの国でいいんだもん!」
 双子の会話は、テレパスでなくともジムには理解不能だった。
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