上 下
137 / 472
禁忌への覚悟

44.

しおりを挟む
 
 
 
 「・・おまえがどうしても沖田家を継ぐつもりがないのなら、いっそ俺の養子に入って、俺の跡を継いでくれないか」
 
 今日は日中に雨が降って。一日屋内での仕事に勤しみ、風呂を終えて八木家離れへと戻ってきた冬乃は、
 障子を開けかけた時、中から聞こえてきた近藤の声に、どきりと手を止めていた。
 
 
 (・・・養子?)
 
 沖田家は、
 沖田が幼い頃に、長女の迎えた婿が家督を相続している。
 沖田は息子のいる姉達に遠慮し、長男でありながらも、成人後も姉婿から家督を継ごうとはしなかったともいわれる。
 (それもあるだろうけど、沖田様は・・)
 
 
 縁側で佇んだところで冬乃の存在など気づかれているだろう。引き返すのもどうかと、冬乃は意を決して障子を開けた時、
 「ご冗談を」
 沖田が近藤へ困ったような声で返答した。
 「俺じゃ先生の跡は継げませんよ。御存知でしょう」
 
 「・・・」
 冬乃は気まずさに、そっと障子を閉める。
 
 「おまえは、やはり、それだけはどう頼んでも譲らんのだな・・」
 
 冬乃が入ってきたことへ気を向けることなく近藤が会話を続けた。
 
 「はい」
 そう即答した沖田を見返した近藤の眼は、冬乃の目に切なげに揺れ。
 
 「ならばせめて、試衛館だけでも継いでくれるか」

 近藤の強い意志をもった眼が沖田を見上げる。
 「おまえしか、ふさわしい者はいない」
 
 「先生が本懐を遂げ、江戸へ帰還された暁には、承ります」
 同じく、いやそれ以上に意志の強い眼が、近藤を見返した。
 
 「分かった。その言葉、忘れないぞ」
 
 「ええ」
 
 部屋には今未だ、近藤、沖田、冬乃だけで。
 冬乃はあまりのいたたまれなさに、こそこそと隅のほうへ寄った。
 
 「おかえり冬乃さん」
 そんな冬乃へ、沖田が声を掛けてきた。
 「おかえり」
 近藤の声も追って。冬乃は、二人へ慇懃に会釈する。
 
 「あ、・・お茶、お淹れします」
 結局いたたまれなさに負けて、奥に置いてあったやかんを手にして立ち上がり冬乃は、すぐまた障子を開けて出た。
 
 
 井戸で水を汲みながら、胸内を奔るやるせなさに、白い息を吐き出す。
 
 
 確かに沖田が、近藤の養子となって近藤の跡を継ぐはずがなかった。
 
 『それだけはどう頼んでも譲らんのだな』
 沖田へそんな溜息を返した近藤は、本人から聞いているのだろう。
 沖田が近藤を護る為に、傍にいる事、
 
 ――つまり、その一生を賭して、有事の際には近藤の『盾』となり。身を挺して、近藤の命を護ろうと在る事を。
 
 そんな沖田が、近藤の跡目になれるはずはなく。
 
 
 沖田がのちに病の床に臥しても、彼のその想いは当然変わらなかっただろう。
 
 そして命がある限り、或いは近藤の盾となりえる機会は残っている以上。どれほど病に身が蝕まれようが、沖田が自らの手で肉体の苦しみを絶ち、その一縷の機会を捨て去るはずがなかった。
 
 (だからこそ、最期まで、近藤様の傍に居たかったはずなのに)
 
 病の床に置いて行かれ。
 それがどんなに、近藤達にとっては、沖田の病状が或いは療養の末に快復してはくれないかと、彼らは彼らでその一縷の望みを託したが為の別離であったとしても。
 
 沖田は、戦地へ共に行くことで、己が足手まといとなるだろう事への懊悩と、近藤の傍に在りたい想いとの狭間で、どれほど引き裂かれるような葛藤に苦しんだことだろうか。
 
 (この先、私に出来ることは、結局なにも無いの・・?)
 
 
 急襲した、その神経を抉られるかの痛みに。冬乃は首を振った。
 
 (・・・そんなことない)

 冬乃が、ここに来れたことが運命ならば
 
 
 (何か出来ることが、きっとあるはず)
 
 
 
 
 
 やかんに汲み終え、冬乃は立ち上がった。
 障子に手をかける前に一瞬耳を澄ましたが、もう会話は聞こえてこなかった。冬乃は障子を開けて中へ入り。
 
 奥を見やれば、二人はそれぞれ本を広げていた。
 冬乃は幾分ほっとして、すでに火の熾されている火鉢の上へ、五徳を刺してやかんを乗せる。
 湯が沸くまでの茶葉の用意に、押し入れの棚へと向かった。
 
 茶葉を手に戻りながら冬乃は、沖田のほうをそっと見る。
 
 (必ず、みつけてみせる)
 
 
 冬乃に、出来ることが、何かを。
 
 
 
 
 障子の外が騒がしくなった。
 原田の陽気な声がする。冬乃は盆に手を伸ばし、温める湯呑の数を増やした。
 
 
しおりを挟む
感想 71

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

勘違いで別れを告げた日から豹変した婚約者が毎晩迫ってきて困っています

Adria
恋愛
詩音は怪我をして実家の病院に診察に行った時に、婚約者のある噂を耳にした。その噂を聞いて、今まで彼が自分に触れなかった理由に気づく。 意を決して彼を解放してあげるつもりで別れを告げると、その日から穏やかだった彼はいなくなり、執着を剥き出しにしたSな彼になってしまった。 戸惑う反面、毎日激愛を注がれ次第に溺れていく―― イラスト:らぎ様 《エブリスタとムーンにも投稿しています》

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ
恋愛
メルティーナは、人間と人獣が暮す国に、リュディック伯爵家の長女として生まれた。 十歳の時に庭園の片隅で怪我をしている子犬を見つける。 人獣の王が統治しているリンウィル王国では、犬を愛玩動物として扱うことは禁じられている。 メルティーナは密やかに子犬の手当をして、子犬と別れた。 それから五年後、メルティーナはデビュタントを迎えた。 しばらくして、王家からディルグ・リンウィル王太子殿下との婚約の打診の手紙が来る。 ディルグはメルティーナを、デビュタントの時に見初めたのだという。 メルティーナを心配した父は、メルティーナに伝える。 人獣には番がいる。番をみつけた時、きっとお前は捨てられる。 しかし王家からの打診を断ることはできない。 覚悟の上で、ディルグの婚約者になってくれるか、と──。

【完結】それぞれの贖罪

夢見 歩
恋愛
タグにネタバレがありますが、 作品への先入観を無くすために あらすじは書きません。 頭を空っぽにしてから 読んで頂けると嬉しいです。

処理中です...