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【 第二部 】 朱時雨

16.

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 心臓がやかましい。
 
 
 ハタキを手に、つい、冬乃は正眼に構える。
 幸い今、誰もこの隊士部屋にいないのを良いことに。
 
 先程までの興奮が、まだ冬乃を包んでいた。
 沖田の繰り出した突きの剣筋を想像しながら、障子の外から煌めく淡光に漂う、白い埃を。
 タンッ
 冬乃の足が畳を鳴らして、
 片腕を伸縮させ。突いて。
 
 
 (沖田様、)
 今日を。冬乃はきっと一生、忘れることは無いだろう。
 
 
 (あるいは貴方の盾になれたらと、思っていました)
 
 でもそれは叶わないことを、思い知らされた。
 
 
 (貴方に盾なんて要らない)
 
 
 貴方を護ろうとする存在など居なくても、
 
 貴方は強すぎて。
 戦場で死ぬことはない。歴史が残したように。
 
 
 (きっと、)
 
 彼自身は、近藤の盾となり、白刃の下に死ぬことが。
 本望であっても。
 
 
 (貴方は畳の上で死ぬことを、望まなかったでしょうに)
 
 
 
 
 障子の外から話し声がして、冬乃は顔を上げた。
 隊士の誰かが戻ってきたのだろうか。
 
 冬乃は、邪魔にならないよう掃除道具を片付けるべく、隅へと寄ろうとした。
 突如、
 目の前を、濁流のような霧が広がって、
 
 (・・・え?)
 
 外の話し声は、
 
 
 ――――冬乃さん
 
 
 どこかで聞いたことのある呼び声へと。
 
 すりかわった。
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 冬乃は、薄目を開けた。
 無機質な天井と蛍光灯がそこに在る。
 
 「冬乃さん」

 もう一度、その声は冬乃を呼んだ。
 
 顔を向けて。冬乃を運んでくれたという、あの白衣の男が、申し訳なさそうな表情で冬乃を覗き込んでいた。
 
 
 「寝たばかりで起こしてごめんね」
 
 さらに視線をずらし見ると、少し離れた位置から千秋達が困ったような顔のまま、冬乃を見つめ返した。
 
 「俺いったん大学戻らないといけなくなって、俺がいない間この医務室を貸し出すためには貴女のサインが要るんで、ごめんね。いいかな?ここと、あとここに連絡先も」
 
 ぼんやりと、冬乃は差し出されたペンと紙を挟んだボードを手に取った。
 「あと二時間半くらいはここ使えるから。また、寝ててくれて大丈夫だから」
 記入する冬乃の手元を見ながら、男がもう一度すまなそうに言った。
 
 
 (私・・・どうなってるんだろう)
 
 さすがに二度めは、慣れたのか自分で驚くほど冷静でいる。
 
 (こっちで今みたいに起こされたら、戻ってきてしまうっていうコト・・?)
 
 これではまるで。本当に只々夢でも見ている状態と変わらないではないか。
 
 「あの、・・」
 
 いつかの蔵で、ふと思った疑問を。
 「私、何か薬打たれたり飲まされたりしてますか」
 おもわず尋ねた。
 
 「薬?」
 
 「はい。会場で私が倒れた後に・・」

 白衣の男は、千秋達のほうを振り返った。
 千秋と真弓が顔を見合わせて、それから、白衣の男へ首を振って返し。
 
 「・・いや、何もないはずだよ」
 俺は与えてないよ。
 男は答えて。
 千秋達も頷いた。
 
 「・・そうですか」
 
 
 (また戻れるんだろうか)
 
 ふたたび急速に胸内を締めつけ始める、その不安に。
 
 冬乃は息を震わせた。
 もう、こんな不安に、
 帰ってくるたび苛まれるのは耐えられない。
 
 (よく考えて・・)
 
 冬乃は思考を巡らし。
 
 薬などの作用では無いのだとすれば。
 純粋に、寝ている状態で引き起こされるタイムスリップ、ということになる。
 
 (ここで普通なら、よくできた夢を見ている、ってハナシになるんだろうけど)
 夢などで片付けられるものでは到底ないことを、当然もう冬乃は信じて疑わない。
 
 
 (また寝たら、・・・戻れる?)
 
 可能性は、それしかないのではないか。
 
 
 「有難う。・・じゃああとよろしくね」
 冬乃からボートを受け取り、男は千秋達に声をかけるとすぐに部屋を出て行った。
 
 「冬乃」
 千秋達がベッド際までやってくる。
 
 「具合、どう?」
 (千秋。真弓)
 「ありがと。大丈夫だよ」
 
 ほっとしたように冬乃を見おろす二人に、冬乃は微笑んでみせた。
 (また会えたのが、嬉しい)
 
 もしかしたら眠ればまた幕末に戻れる。
 その可能性への期待が、冬乃の胸に強く芽生えたなかで。改めて二人のことを見納めるかのつもりで、じっと見上げた。
 
 一方で、
 これが最後なんかじゃなく、この先もまた二人に会えるような予感も、し始めていた。
 
 (だって、また、起きたら・・)
 
 ここへ帰ってくるのではないか。
 
 こちらの世界で半永久的に眠るという状態に、そう簡単に陥ることはありえない以上。
 
 
 でもそれでは、
 目覚めるたびに
 
 もう次は向こうへ戻れないかもしれない
 
 
 ・・・この恐怖に、
 曝され続けるわけでもある、ということ。・・
 
 
 「冬乃、まだ寝てたほうがいいよ」
 「眠れそう?うちら会場の片付け手伝ってるから、ここ鍵しめとくし安心して寝てて。ね?」
 
 覗き込んでくる二人を冬乃は見上げた。
 「うん。ありがと」
 
 (大好きだよ、千秋、真弓)
 
 二人に当たり前のようにこうしてまた会えたことを心から喜んでいる一方で、
 それでも、この世界より向こうの世界に在ることをより強く望んでいるままの自分に、心苦しさと呵責の念が胸内を奔った。
 
 千秋達が部屋を出てゆく。
 外から鍵のかかる音をベッドに横たわりながら冬乃は聞いていた。
 
 
 (二人ともごめん、・・・でも)
 
 沖田様のところへ戻りたい
 
 
 (とはいっても)
 想いとはうらはらに、冬乃の目は冴えてしまっていた。
 
 (どうしたら・・)

 冬乃は視線を部屋に巡らせ。それはすぐに椅子の上のバッグに止まった。
 
 (・・・睡眠薬)
 
 思い出したその存在に。体を起こした。
 
 母親が時々飲んでいる強い睡眠薬を冬乃も、こっそり分け取っては苦しい夜に飲んでいた。
 (まだ残ってたはず)
 冬乃の部屋には母親が出入りするために、外出時も持ち歩いていたのが幸いしたと。バッグを開きながら冬乃は自嘲する。
 備え付けの水道から水を汲んで、冬乃は口へ含んだ。
 
 (もう目覚めなくていい)
 そんなことは、願ってはいけないと。わかってる。
 
 だけど。
 
 
 
 ベッドへ横になり。冬乃は目を閉じた。
 
 
 
 
 
      
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