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枯芙蓉

95.

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 どうしても選べない、選んではならない大切な人達の
 身代わりに
 
 己を犠牲にする第三の道を選ぼうとするのなら
 
 その道は
 ただ、逃げ道なのかもしれず

 
 
 
 護りたかったはずの存在に
 深い痛みを遺して
 
 
 救いになど
 まるでならないままで
 
 
 
 
 
 ――――それでも
 
 
 いつの日か
 
 また笑ってくれるようにと
 
 
 
 そんな祈りを籠め――――――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 庭先を飛び立つ鳥を千代の目が追って、
 冬乃はつられて振り返った。
 
 清らかな鳴き声とともに、鳥が高く高く舞い上がってゆく。
 
 
 晴れた日中には障子を開けていられるほどに、少しずつ春が訪れていた。そそぐ穏やかな陽光は、温かく静かな安らぎをもたらし。
 
 もう千代の瞳が翳ることは無い。
 それどころか床からみえる春の息吹にその瞳を凝らして、ひとつひとつまるで焼き付けるかのように煌めいて、
 
 その瞳の澄んだ光は、冬乃の心を柔く締めつけた。千代が、この世との別れを少しずつ進めているように思えてならずに。
 
 ただ幸いな事には、併せて千代が痛みに苦しむ頻度も格段に減っている事だった。
 それともそれは只、統真の処方の通りに与え続けている薬が鎮痛の強さを増しているからなのかもしれないけども。
 
 
 「・・また明日来ます」
 
 うとうとし始めた千代へ、冬乃は囁くように告げてそっと立ち上がった。
 
 藤堂に咎められた後も、変わらず冬乃は毎日のように千代を見舞っている。
 
 勝手、
 その通りの。冬乃には反論の余地など無い、これは許されない浅はかな愛。
 
 そう思っていても。


 (それでも私は・・・)


 
 
 
 
 
 「おかえり冬乃」
 
 屯所の門をくぐって数歩、想像もしない方向から降ってきた声に、冬乃は驚いて振り返った。
 
 「総司さん・・!?」
 門の横から覗いた馬上の沖田へ、冬乃は見上げた双眸を瞬かせる。
  
 「俺もいま戻ったとこ」
 馬に乗ったまま馬小屋へ行くのだろうか、沖田は降りる様子が無く。冬乃が首を傾げた時、見下ろす眼がつと悪戯っぽく笑った。
 「乗ってく?」
 と。
 
 「え、きゃあ?!」
  
 伸ばされた手に冬乃は。そしてあっさり引き上げられた。
 
 



 背後の沖田に腰を横抱きに抱きかかえられつつ、冬乃はいつもよりずっと位置の高い景色を瞳に映してゆく。
 
 どうにも仲睦まじく見えるのか、あいかわらずすれ違う隊士達はみな恥ずかしげに目を逸らしながら会釈をしてくる。
 冬乃のほうが彼らの数倍は気恥ずかしいはずなのだけど。
 
 そういえば、なぜ沖田は馬で出かけていたのだろう。冬乃はふと気になって振り返った。
 
 「どこか遠出されてたのですか?」
 
 なぜにも沖田は今日久々に夜まで非番だ。仕事の用事ではないはずで。

 「嵐山」
 駆けてきた、と。
 さっくり答えた沖田を、だから冬乃はそのままおもわず見つめてしまった。
 
 季節は初春とはいえ、未だ寒い山の中を馬で駆け回っていた、という事になる。
 「・・・」
 
 延々と道場で稽古していたり、かとおもえば子供の遊び相手をして壬生寺を走り回っていたり、
 どうも非番を冬乃と過ごさない時の沖田の行動は、休みの時はどちらかというと体を休めてゆっくりしたい自分とはまったくの正反対で、冬乃は今なお驚いてしまう。
 
 (・・川で泳いできたコトも一度や二度じゃないし)
 真冬なのに、である。沖田曰く稽古の一環らしい。
 
 幼少から鍛え上げた肉体、培ってきたその体力は、
 過酷な気候の京で一番隊組長としてこれだけ激務を極めていても、
 防壁となって、冬乃の心配していた時期にも沖田は体調を崩す事なく、こうして今年の冬もまた元気に越してくれたのだ。
 
 逆に言えば彼の人並外れた肉体と体力がなければ、新選組の一番隊組長は務まらない。
 
 
 そして。
 
 (そんな鉄壁の体をもってしても・・感染したほどに)
 
 それほどに。決して彼が、千代を辛い夜に独りにさせなかった――証でもあって。
 
 非番の日にずっと傍に居ただろう事なら、想像するまでもなく、
 毎夜、巡察から戻っては再び屯所を出て家へ向かい、夜を通して病と闘う千代に寄り添いながら合間合間に寝んで、朝には凍える寒空の下を屯所へ戻る、
 きっとそんな日々をも続けていたのだと。
 
 それでは睡眠もろくに取れなかったはずなのに。 
 
 (・・それほど愛してらしたのですね・・お千代さんのこと本当に、すごく) 
 
 だけどそんな日々を長期間にわたって、大量の結核菌に曝され続ければ、どんな人でも感染など防ぎようがない。

 だがそうして体調を崩した時期でさえも、きっと沖田は千代の看病を当然のように続けたのだろう。千代がかつて、己の体調よりも患者を優先したように。
 
 
 冬乃がインフルエンザに罹った時、彼が甲斐甲斐しく看病してくれた日々の事を、昨日のことのように思い出せる。
 
 苦しい病の床にあっても、どうしようもなく冬乃は幸せだった。
 
 きっと千代も、そうだったはずだ。
 
 
 それでも、
 のちの結末をみた千代の魂は、
 千代の想いは。
 
 (一緒に居る幸せを捨てて、総司さんを護るほうを選んだ・・)
 
 
 手に取るように。冬乃にもわかる。
 伝わってくる。
 
 どうしても護りたい、強い想いが。
 
 
 
 「冬乃・・?」
 
 泣きそうな顔になってしまったのか、気づけば驚いたような顔が見下ろしていた。
 
 「あ・・すみません、ちょっと考え事して」
 
 沖田の眼が心配そうに細められ。
 今の冬乃の表情は千代の病状を憂いてのものだと、思ったのかもしれない。
 「お千代さんなら」
 冬乃は慌てた。
 
 「最近は食欲も戻って、痛みを抑える薬も前より効いてくれてて・・」
 
 だから大丈夫とは、
 けど決して導けない。冬乃は結局、襲ってきた無力感に押し黙った。
 
 「・・冬乃は十分によくやってる」
 冬乃を抱く腕が、ふと優しく強められた。
 
 「冬乃が居てくれることでお千代さんは心強いはず」
 
 (総司さん・・)
 
 「同時にお千代さんならばきっと、冬乃が笑っていてくれる事を第一に望んでいるのではないかとも、思う」
 
 「え」
 冬乃の瞳はめいいっぱいに見開かれたに違いない。
 
 冬乃は瞬間、声も忘れて沖田の目を見つめた。

 (その・・言葉・・・)
 
 まさしく千代が、冬乃に言った言葉ではなかったか。
 
 「冬乃には、」
 それだけで泣きたくなるほど優しい眼が、冬乃を見つめ返した。
 
 「その時どちらの選択ともに辛いものになるならば、後に冬乃が少しでも苦しまないほうを選んでほしい」
 
 そうして冬乃が最も望んだ事が
 一番の望み
 
 「俺にとって。・・きっとお千代さんにとっても」
 
 
 そう言った沖田を。
 冬乃は溢れた涙で曇らせた視界に、受けとめ。
 
 頷いた。
 
 




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