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恋華繚乱

94.

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 「で、本題だけど」
 
 目の前に坐す沖田がそう言った時、
 
 ピイ、と不意にすぐ近くで鳥の声がした。
 障子のほうへと、おもわず冬乃は目をやって。
 春の鳥が、縁側に降り立ったのだろうか。
 
 沖田がおもむろに立ち上がった。
 
 「風でも入れようか」
 
 言いながら障子に向かい、すらりと開ける。
 舞い込む柔らかい風とともに、驚いた鳥が飛び去っていった。
 
 
 沖田が戻ってきて再び座り。晴れやかな外からの光の中、沖田の穏やかな眼が冬乃を捉え。
 
 「貴女が隊士達に、しつこく呑みに誘われていることは聞いてます」
 
 そんな、再び業務的な言葉遣いになった沖田に。冬乃ははっと息を呑んだ。
 
 
 「使用人の人手が足りなかった頃には、それで随分と貴女の仕事に支障をきたしていたそうですね。貴女の件も含め、もっと早くに人数を確保しなかったのはこちらの落ち度です。すまなかった」
 
 「そんな・・」
 
 「新たに入れた使用人達が、」
 
 恐縮して目を逸らした冬乃に、沖田は話を続ける。
 
 「仕事に馴染んだ頃合いをみて、貴女を使用人の業務から外すことは、だいぶ前から考えていました」
 
 
 驚いて冬乃は、沖田の目を再び見た。
 
 (もしかして、これがあの夜に沖田様が言いかけてたこと・・)
 
 
 「ここまででその理由はもう分かるでしょうけど、貴女が隊士達と接する時間を減らす為です」

 (・・え)

 「何故・・減らそうと・・?」
 
 冬乃は。困惑した声になってしまいながら尋ねていた。
 
 
 沖田が、少し目を見開いた。
 
 「たとえば、先程のような事が、もう無いように」
 
 
 (あ・・・)
 
 
 「いくら人手が足りた今、貴女の仕事にさして影響しなくなっていようと、貴女自身には相当な負担がかかっているままだと思ってましたが、・・考え過ぎでしたか?」
 
 (沖田様・・)
 
 冬乃は首をふった。
 「・・正直に申し上げて、負担でした、」
 
 沖田は分かってくれていた。胸内がきゅうと掴まれるような想いに、
 「有難うございます・・」
 冬乃は頭を垂れて。
 
 
 「これでもまだ、隊士達からの接触が減らないようならば、言ってください」
 
 顔を上げた冬乃に、
 
 「さてと、こんな話はこの辺にしておき」
 
 沖田が微笑んだ。
 
 
 「幹部棟を、見てまわろうか」
 
 
 そう言うと立ち上がったのを。
 
 (わ・・)
 「はい・・!」
 
 冬乃は胸を弾ませて沖田を追って立ち上がった。
 
 
 
 部屋を出た沖田は、冬乃を連れて、廊下の奥へと歩み出し。
 土壁と数枚ぶんの襖を通り過ごしたのち、先ほど近藤の部屋に入ったあたりで立ち止まった。
 
 「先生の部屋と俺の部屋は隣同士だけど、先生の部屋の入口はさっき入ったように、奥側のここ」
 
 その説明に、冬乃は目を丸くした。
 
 (隣だったんだ)
 
 「先生の部屋は横に広いからね」
 驚いている冬乃に、沖田が補足してくる。
 
 
 (そういえば、お茶とか、さっそくお持ちしなくていいのかな)
 ふと気になって襖を見やった冬乃に、
 
 「さっき俺のほうで茶は出してるから、後でいいよ」
 何故か沖田が分かった様子で答えてきた。
 
 
 (・・・私って考えてるコト顔に出てる?)
 
 頬が紅くなった冬乃に。沖田のほうは構わず、また歩み出した。
 冬乃は慌てて続く。
 
 
 「先生の隣は土方さんの部屋で、知っての通り今は不在」
 
 沖田が廊下を行きながら説明していく。
 
 「土方さんの隣で、かつ、この並びの一番奥が井上さん。今はたぶん道場かな」
 
 言いながら突き当りの壁まで来て沖田は振り返った。
 壁を背に、今度は右側の並びに目を向けるのへ、つられて冬乃も向く。
 
 「井上さんの向かいは永倉さんね。昼寝でもしてそうだ」
 「え」
 
 部屋の中に永倉の静かな気配でもあるのだろうか。
 冬乃は起こさないようにと、忍び足になった。
 
 「永倉さんの隣は原田さんで、昼番の巡察中だろね」
 
 沖田と冬乃は、玄関の方向へと廊下を戻ってゆく。
 
 「原田さんの隣は、斎藤。知っての通り、斎藤も今は不在」
 
 (あ・・)
 きっと一番の稽古相手が長らく不在で、沖田は以前に斎藤へ言っていたように、いま『なまっている』気分なのだろうかと、ふと冬乃は想い出す。
 
 (私じゃお役に立てないし・・)
 
 「で、この角を曲がると、ここが藤堂の部屋」
 うなだれている冬乃の前、そうとは知らぬ沖田が、さっさと廊下を右に曲がってゆく。
 
 冬乃は続いた。
 
 もし曲がらないでまっすぐ進んでゆけば、まもなく広々と開けた玄関である。
 
 今しがた曲がったその箇所は、ちょうど沖田の部屋の前で。
 沖田の部屋の目の前に、この廊下が伸びているかたちだ。
 
 この廊下は沖田の部屋側から見ると、右にだけ部屋が並び、左側は土壁。
 
 
 歩みながら冬乃は、部屋へと目を向けた。
 この最初の部屋が藤堂の部屋、といま沖田は言った。
 
 (藤堂様・・)
 考えてみれば、彼にとっては帰ってきていきなり新屯所だ。藤堂の事だから、帰京したら壬生の八木家に真っ先に挨拶に行くのだろうか。
 
 
 「藤堂の隣が谷さん、そのさらに隣が武田さん」
 幹部の名前を羅列しながら歩んでゆく沖田に、冬乃は黙って続く。
 
 「そして一番奥の此処が伊東さん、この人もいま土方さん達と東下中だから不在」
 
 行き止まりの壁で、沖田は再び振り返った。
 
 「以上が幹部棟の部屋割り。すぐ覚えなくてもいい」
 廊下を戻りながら沖田が言った。
 
 「貴女の仕事はあくまで近藤先生の付き人だから、余裕がある時だけ、他の人達の世話もしてあげればいい」
 
 「はい」
 冬乃は頷いたものの。
 
 これまでの使用人の仕事に比べたら、なんだかすごくラクな気がしてしまうのだが、いいのだろうか。
 
 
 二人、沖田の部屋の前まで戻ってくると、沖田は、右に開けた玄関のほうを向いた。
 
 「そこの、玄関を入ったすぐ右は、普段使わない武具類や備品の倉庫」
 
 沖田の部屋の隣、土壁を挟んで、襖ではなく木の引き戸になっている場所だ。見るからに物置といった様子である。
 
 
 (あれ・・そういえば・・)
 
 冬乃の部屋は、そうすると、どのあたりに位置するのだろう。
 
 いつも外の風呂場へ行き来する時には、玄関の前を通るものの、
 こうして幹部棟の建物の中に入ってしまうと、方向感覚が混乱してくる。
 
 「貴女の部屋は、」
 
 またしても冬乃の思考を読まれたかのような言葉を耳に、冬乃は驚いて沖田を見上げた。
 
 しかし沖田はそんなつもりもなさそうで。
 「玄関の外に出て、左に行った角だから、つまり」
 
 「俺の部屋の縁側と、貴女の部屋の縁側は、同じ方角を向いてるんだけど、気づいてた?」
 と、にっこりと微笑いかけてきた。
 
 「いいえ・・、」
 (どういうことですか?)
 いまいち分からないでいる冬乃に、
 
 「見たほうが早いね」
 と沖田が、再び沖田の部屋へと入ってゆく。
 冬乃がまたも躊躇していると、「おいで」と呼ばれて。
 
 沖田に従い、まっすぐ部屋の中を通り抜けて縁側へ出るが、冬乃には未だ同じ景色には思えずに。つい目を瞬かせていると、沖田が庭へと降りた。
 
 「貴女も」
 手を差し伸べられ、冬乃は心臓を飛び跳ねさせて沖田を見返す。
 
 返された優しいその眼に促され冬乃は、高鳴る音を感じながら、そっと手を渡し。
 沖田の手に導かれるように支えられながら、縁側の下に散らばる庭下駄のひとつを借りて、砂利の上へ降り立つ。
 
 自然と離れた手に少し寂しくなりつつ、沖田に連れられて、小さな庭園の横を右斜めに進むうちに冬乃は、この庭園に見覚えがあることに気がついた。
 
 (・・・これって)
 
 「気づいた?」
 前をゆく沖田が、まるで察したかのように振り返った。
 
 「はい・・っ」
 そう。冬乃は一度、引っ越した日に部屋の左右を軽く確認したとき、この庭園をこうして横から見ていたのだ。
 
 
 だが普段、冬乃は、部屋の縁側を出入りする際、
 この庭園のある左手の方向ではなく、右手の方向へと降り立っていた。
 
 何故にもその方向が、屯所の中心地の方角なのだ。厨房や、平隊士棟や道場、そして屯所の門がある。
 
 
 「つまり、ここを右に曲がれば、貴女の部屋の縁側」
 まもなく沖田が右へ折れ、続いた冬乃は、いつも見ている自室の縁側を目にした。
 
 「こうなっていたんですね・・全然わからなかった・・」
 
 「貴女の部屋ひとつぶん前に飛び出ているから、貴女の側からでは位置関係が分かりづらいかもね」
 沖田が、なんてことはないと微笑ってくれた。
 
 
 しかしなにより冬乃にとって驚いたのは、この距離で。
 
 (沖田様の部屋と、こんなに近かったんだ)
 
 まるで、気づかぬところで見守ってくれていたかのようで。そんなのはきっと冬乃の勝手な願望だと分かっていても嬉しくなる。
 
 
 「ようするに貴女の所からは玄関を回ってくるより、庭から来たほうが早いから、先生の部屋へは縁側から出入りすればいい」
 
 庭を戻りながら、ふと沖田が微笑ってそんなことを言うので、
 
 「と、とんでもないです」
 冬乃は驚いて、ぶんぶん首をふった。
 
 冬乃の使用人部屋と違って、局長部屋にはきちんと正規の入口があるのに、庭先から登場する小間使いなどあっていいはずがない。
 
 「まあ、貴女の気が楽なほうでいいけども、庭から入ろうが先生は露ほども気にしないよ」
 
 「・・・」
 
 沖田の言葉に、冬乃はやはり畏まって。
 縁側をまたも手を添えられて昇りながら、ついに無言になってしまった。
 
 
 「・・・しょうがないな」
 (え)
 
 つと落とされた笑いに、顔を上げた冬乃の前。
 沖田が、そのまま縁側をまっすぐに歩き出した。
 
 「ほら。おいで」
 振り返り、冬乃に早くついてきなさいとばかりに呼びかけてくる。
 
 (・・わん)
 やはり冬乃は沖田にとって仔犬にでもみえているんじゃないかと、冬乃は内心ちょっぴり剥れながら、後に続けば、
 
 沖田が近藤の部屋の前とおぼしき位置で立ち止まった。
 
 「先生」
 障子に向かって声をかける沖田の横で、冬乃は畏まったまま、障子を見つめる。
 
 「おお?」
 近藤の微笑ったような反応の後、
 「入れ」
 と、にこやかな一声。
 
 「今度はこっちからか」
 
 障子を開けた沖田とその横の冬乃を見て、文机に向かっていた近藤が愉しそうに笑った。
 
 「どうだ、冬乃さんの案内は終わったのか?」
 そして確かに全く気にしてもない様子で、普通に会話を始めてきて。
 
 「ええ。一通りは」
 沖田が障子を閉めつつ返事をする。
 
 「慣れないうちは、どうか無理をせず、適当にしてくれて構わないよ」
 まして冬乃を向くと近藤はそんなふうに声をかけてくれた。
 
 「はい・・有難うございます」
 「そんな堅苦しくならなくていいよ」
 近藤はさらに優しい言葉を追わせてきて。
 
 「しかし今日はもう、私のほうで掃除もしてしまったし、今のところはとくに頼み事も無いんだ。どうだろう、いっそ今日くらいゆっくり休んでみては」
 
 「・・・」
 冬乃は最早、申し訳なくさえなって。戸惑って横に立つ沖田を見上げると、
 「総司もご苦労だった。夜番までゆっくりしてくれ」
 近藤が沖田のほうにも声をかける。
 
 「なら俺は道場にでも行くかな」
 
 (て、・・)
 沖田にとってのゆっくりする、とは稽古することなのだろうか。
 
 唖然とした冬乃の前で、近藤が笑う。
 「おまえは本当に三度の飯より稽古が好きだなあ」
 
 「そりゃそうです」
 沖田が当然とばかりに微笑んだ。
 
 「冬乃さんは何をして過ごすのかな」
 近藤が興味深そうに冬乃を見上げてきて。
 
 冬乃は、つと困った。
 
 (考えてみたら今まで忙しすぎて、)
 
 休憩の間は、もっぱら横になっているだけだったり、
 休みをもらうのも千代に会いにいくためだったりで、一人の時間に何かしていた記憶が無いくらいで。
 
 
 「本は読む人かな?良かったら色々お貸しするよ」
 
 冬乃が未来から着の身着のままで来ていることを、近藤は気にしてくれたのだろうか。そんなふうに聞いてくれた。
 
 (だけど・・・)
 
 
 「大変有難いのですが恐らく、読めないかもしれません・・文字が」
 
 
 「「え?」」
 
 
 二人に驚かれて。
 
 冬乃は苦笑った。
  
  
 
 
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