シンクの卵

名前も知らない兵士

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第三夜

27. ミフネの読書会

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「この世界は卵
 地球は卵
 中身は何だか分からない
 何人いる? 
 気づいている人が何人いる?
 世界は秘密であふれているってこと
 世界が秘密で出来ているってこと
 さあ 自我に目覚めろ
 すぐに旅立て
 お前の脳内にクエッションを打ちつけろ」


 これは、ユニコーンの帽子の青年が持っていた文庫本の冒頭にある一節だ。

 昨日、ミフネに冒頭のみ訳してもらい、パルコは手帳の余白にメモしていた。公民館の図書ルームのテーブルで涼みながら、パルコは昨日の交渉を思い返していた。

 結論から言って、ユニコーンの帽子の青年は、素直に本に戻ることはなかった。その代わり、文庫本を貸してもらうこと、ミフネの自宅に毎週典曜日に来てもらうことを約束させた。(典曜日は青年が希望した)

 館内の掛け時計に目をやると、約束の時間の一時間前になっていた。学習机に置いてあったペンケースと手帳をリュックにしまって、パルコは愛車にまたがった。



 パルコたち五人は、赤レンガマンションの玄関口に集まり、エレベーターでミフネの部屋に向かった。ミフネの部屋に初めて訪問するファーブルは、少し緊張した面持ちだ。

 エレベーターから出ると、すぐに眺望の良い回廊が現れた。パルコたちが来たことを推測したかのように、廊下に並んだ赤茶色の扉の一つが開いて、ミフネが顔を出した。

「ヤッホー」

 嬉しそうにミフネが声を投げる。
 一番奥の部屋に向かって一行は歩き出した。ミフネの陽気な声とは裏腹に、パルコは緊張して言った。

「昨日、検索したんだ」

「僕も」

「オレもだ」

 アンテナと閣下が同じタイミングで言った。キキもファーブルも頷いている。

「昨日の文庫本は多分……この世界に存在してないものだ」

 全員頷いた。そして閣下が言った。

「でもちゃんと存在している」

「うん! 例の部屋の『シンクの卵』という物語の中にだけ存在している本なんだよ!」

 キキがパルコに耳打ちした。

「…………」

「パルコのお父さんが書いたんだよ」

 パルコは代弁すると同時に、その言葉を噛み締めた。

 今日、赤レンガマンションの一室で『Oval aus Zink(オーバル オス スィンク)』の読書会が開かれようとしていた。




「いつか地球滅亡の日が来るって言ったら、あなたたちは信じる?」

 唐突に、紅茶の用意をしている後ろ姿のミフネが言った。

「この本は、私が思うより、ずっと恐ろしい物語だったわ」

 ユニコーンの帽子の青年も、地球がいつの日か無くなる時が来る、なんてことを言っていた。パルコは恐ろしくなった。昨日から緊張していた理由はこのことだったのだ。

「簡単に言えば、ええと、何て言っていいのかしら……地球滅亡の日に関してちょいと修正しないといけない、それを『彼ら』に知られずに秘密のままやり遂げなければならない、という内容なのよ」

 ミフネは英国製ティーポットのフタを持ち上げて言った。

「『彼ら』というのはフフフ、地底人のことなの……!」

「地下世界に住む地底人のことですか?」

 ファーブルがマホガニーの円形テーブルに身を乗り出して聞き返した。ファーブルはこの手の話は好きそうだ、とパルコは思った。

「そうなのよ。この本は地下世界のことも詳しく書かれてるわ。まるで、本当に見てきたような描写なの! ハル君のお父さんはスゴイわね! ものすごい想像力よ!」

 パルコは嬉しくなった。
 カップに紅茶が注がれて、皆んなの目の前にクッキーやらパウンドケーキ、レモンケーキが分配された。一通りお茶会の用意が整うと、ミフネは窓際の席に座った。

「そうなの、この本の内容の特徴は圧倒的な描写力よ。本来なら全部訳して、それぞれで読んでみるべきでしょうが、なるべく簡潔に話してみせましょう」

 ミフネは一夜を使って読んでくれたのだった。
 しかし、さすが本好きだとパルコは思った。読んだものを頭の中で整理して、それを人に説明するのは、なかなか難しいものだ。
 でもミフネは、そういうことに慣れてるように思えた。ミフネはテーブルに座る全員の顔を見ながら、ニコニコして語り出した。

「先ほども話した『彼ら』のことから話しましょう。地球の歴史を進める人たちがいて、その人たちはとても崇高な思考力を持っている。その人たちが思い描いたように世界が、時代が、人間の歴史ひいては生物の歴史が創られている。それは一つの地球史とも呼べるもので、エンデ(終止符)まで書かれているのよ」

「…………」

 メンバー全員、無言だった。ミフネは一つ咳払いをした。

「エンデ、つまり物語の終わりの証明よ。エンデに向かって物語は進んでいかないといけない、そのように書かれているわ。この話の中では、地底人がその役を負っているの」

「『彼ら』は地底人……」

 最初にヨハンセンと出会った時のことをパルコは思い出した。ヨハンセンは『彼ら』のことを言っていた。ミフネが続けた。

「……そして、この物語の主人公は、『彼ら』のうちの一人ペールブルードットが創り出した架空の青年なの。青年はペールブルードットの痛烈な気持ちを代弁するの」

「架空の青年……ユニコーンの帽子の青年に似てない?」

 アンテナが小声で言い、パルコは頷いた。

「ペールブルードットは人類が必要なものを得るためには、不必要なものを得る必要があると考えていた。ペールブルードットの構想は危険だわ。だけど彼は、『彼ら』を出し抜くことのできる史上最高の『彼ら』だったの」

「ペールブルードットは主人公じゃないんだよな?」

 今度は閣下が小声で言い、パルコは頷いた。

「悩ましくも賢明なペールブルードットの姿を見ていた青年は、ペールブルードットに憧れた。やがて青年は、大きな役目を与えられる。それは、地球滅亡までのルートが事細かく記載された古い本を管理する仕事」

「それが『シンクの卵』か……」

 ファーブルが自分で納得するかのようにつぶやいた。
 ミフネは、流ちょうに語り、気持ち良さそうに話す。

「青年は喜び、自分の仕事に誇りを持ち、毎日毎日、その本の管理に勤しんだ。装庁が古びたら新しいものに施術し、管理する部屋を清潔にし、ふさわしい机と椅子を用意した。
 ペールブルードットに信頼されている青年は、やがて管理だけではなく、内容のところどころの加筆と修正を任されるようになったの」

「……」

 キキは紅茶をすすり、ミフネの話に聞き入っている。他のメンバーもまた、ミフネの語り部に引き込まれた。

「青年は、誤字脱字があれば手直しして、文章と文章がつながらないのであれば、接続させる小さなエピソードを書いた。それ以外でも、必要なことがあれば青年自身の判断で書き足すようになっていた。ペールブルードットは、急に書き加えなければならない必要なことがあれば、すべてを青年に任せるようにしたの」

 ペールブルードットが創り出した青年とは、本当にユニコーンの帽子の青年なのだろうか? いや、それ以外に考えられなかった。ミフネが、本の中の一節を厳かに語り出した。
 ペールブルードットが青年に語る詩だという。


「地球は卵だ
 地上で生まれた生命が地球を育てている
 温めたものが何であれ孵る
 卵が割れて
 それが産まれるとき
 すべてが泡のように
 無くなる
 少女は黄昏れる
 産まれたのは少女だった」


「…………」

 メンバー全員が無言だった。

「これは物語の中盤に差し掛かった時の詩よ。冒頭の詩とつながっているようにも思えるわ。この詩の中の『黄昏れる少女』なる人物こそが、物語の肝なのよ!」

「黄昏れる少女……」

 ファーブルがつぶやいた。
 その頭の中にどんなことを想像しているのか。案外ロマンティックな少年なのかもしれないな、と隣りに座るパルコは思った。

「黄昏れる少女は、『彼ら』が創り出した地球滅亡の象徴なのよ」

 ミフネが静かに言った。

「ペールブルードットは青年に言うの。黄昏れる少女が地上に姿を現すことで、世界を混沌に巻き込もうとする『灯り』が暗躍する。その少女と『灯り』を引き合わせなさいと。地上にいる『灯り』は、八番目の夜に闇に乗じて、少女を卵に戻すことが出来るのよ」

「『灯り』って……?」

 閣下が不穏な顔をして言った。

「『ブルーブラックの明かり』だったりしてねー! ナハハハ……」

 アンテナが冗談っぽく笑ったが、誰も笑っていない。秘密組織名を口外するなと言ってやりたかったが、パルコはそんな気分になれなかった。

 ミフネがまたコホンと咳をして話し始めた。

「気の遠くなるような時が過ぎて、ペールブルードットはもはやいなかった。青年はペールブルードットが構想した計画を着実に果たしていた。青年の計らいで少女と『灯り』は引き合わされて、少女は再び卵の中に戻る。なぜなら、少女は卵に戻りたかったから」

 ミフネが片目を開けて、今度こそ誰も邪魔しないでねと言わんばかりに皆んなの顔を見ている。

「少女はペールブルードットと契約していた。ペールブルードットは賢く、少女が卵の中に戻りたいことを知っていたのよ。彼女を卵に戻す代わりに『彼ら』が示した地球滅亡までのルートの一部を変更することを要求していたの」

「なんだか僕、よく分からなくなってきた……」

 アンテナがぼやき、パルコも頷いた。ミフネが無視して、話を続ける。

「ペールブルードットが不在になったとしても、青年が代理人となって引き合わす約束がなされていた。青年はペールブルードットの代わりに、不必要なものから新たに必要なものを創り出した。そして『彼ら』の一人となったの。物語はそこでおしまい」

「えっ?」

 パルコが声を出した。
 束の間の沈黙が流れ、それを割ったのはアンテナだった。

「どういうこと?」

 ミフネは皆んなの顔を見て、にんまりしている。
 それからは、皆んなで話し合うことになった。大変なのはミフネだ。メンバーから(主にキキだが)、ここの訳を細かく要求したり、重要そうなエピソードを何度も探してもらったりと、本を開いては紙に書いたりしていた。

「桜井秋って何者なのかしら?」

 議論が飛び交っている空間に、ミフネが放った疑問符が宙に浮いた。

「え?」

「それにあなたたちも不思議よねえ、今まで読んだことのない本に、こんなにも熱中できちゃうなんてね……」

 キキがミフネに耳打ちした。

「私たち、謎の作家『桜井秋』を夏休みの自由研究にしようと思っているの」

 ミフネが代弁して、なるほどねえっていう顔をした。パルコは思った。

「キキって、言い訳の天才」
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