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第13章 自己紹介乙
複雑で単純な彼
しおりを挟むその日の7時半頃帰宅した「彼」は、機嫌が悪そうだった。
多分、私にしか分からない微妙な表情だと思う。
「お帰りなさい」
「ああ…」
いつもなら「ただいま」ぐらいは言うのだが、これは相当だな。
「お風呂のしたく、できていますよ」
彼はいつもまず風呂に入ってから食事をする。どんなに遅くなってもだ。
そして何度も「汚いカラダのままご飯を食べるなんてゾッとする」と、聞きもしないのに言う。
何でそんなに何度も言うのかなと思っていたけれど、自分のこだわりをやたら人に披露するのが好きなタイプなんだと思う。SNSでその手の人はよく見かける。
ただ、それを芸まで引き上げている人がいれば人気者だ。
「彼」の場合、ただただただただ「うっとうしい」。
「今日、みゆきは何の用で来たの?」
もしも彼の機嫌がよかったら、私のオムライスやサラダのドレッシングを褒めてくれたこと、オレンジピールのパウンドケーキを気に入って3つも食べたことを話そうと思っていた。
だが、控え目にした方がよさそうだ。
「ああ、幸奈に会いにきたんですよ。久しぶりに顔が見たいって」
「え、日曜いつも家にいるのに…」
「え?」
「――何でもない。しつこく追及するな」
は?私はしていないが?
口が滑っちゃったようね。はいはい、私は何も聞いていません。
「彼」はみゆきが「毎日曜日に幸奈を預けにくること」について話題にするかも?と気にしているかもね。
「で、何を出したの?」
「お昼にオムライスとサラダとスープを。
それとお茶の時間にパウンドケーキを出しました」
「そんなに食べるほど長時間いたの?」
そうですね、それは困るね。
長く居座れば居座るほど、あなたに不利な話が出るでしょうから。
さぞや心配でしょうよ。
「お昼が早かったのと――あとは少し量が足りなかったみたいで」
「みゆきはよく食べるからね。太らなきゃいいんだが」
「彼」は昨日の時点では、みゆきの来訪を歓迎していたはず。
それが後になってから、実はやべえことを話されてるんではという心配が湧いてきたのかな。
彼は私を頭が悪いと言うけど、さすがに私も分かってきた。
私は確かに頭が鈍いが、実は彼はそれ以上に鈍い。
ただ私を洗脳するのがうまかっただけだ――と。
◇◇◇
「みゆきさん、お仕事忙しいみたいで。今日はリフレッシュのために、ちょっと有給取ったみたいでした」
これは本当。無難そうな話題なので付け加えた。
うちに来ることでリフレッシュになったかどうかは分からないけど、サムズアップしてくれたようなので、好感触だと取っておこう。
「社会人としての自覚がないみたいだね。しようのないやつだ」
私としては、自覚があるからこそ上手に息抜きできているんだなと思うんだけど、「1年しか働いていないくせに」と言われるだけなので、黙っておく。
「しかしまあ、仕事ってのは何でも大変だよね。Fランでも一応大卒の君は、専門卒のみゆきのことなんてバカにしているかもしれないけど」
え?今の対応のどこにそういう要素があった?
「はっきりさせておきたいんだけど、家でのうのうと中途半端な家事して、赤ん坊と遊んでいるだけの君に、そんなことを言う資格はないからね」
「あの…みゆきさんは頭がよくてしっかり者だと思います」
「頭がいいだって?頭が悪い君に、誰かをそんなふうにジャッジする資格あるのかな?」
「ありません…」
「だよね、僕が正しいんだ。そう、いつだって僕が正しい」
「……」
「大体さ、偏差値が高いったって、国立と私立じゃ受験科目も違うんだし、文系3科目で大学に入ったやつに見下されるいわれはないわけで…」
いや、私Fランだし、英語と国語で大学入ったし…と思ったけど、これは「私」に言っているわけではないな。
その証拠に私を少しも見ていない。
そして突然、寝室のドアをガッと蹴り、
「何だよ…いい大学出てるからって出世できるわけじゃないんだぞ。僕の方がずっと…」
と言ったかと思うと。
「不愉快だ。今日はもう寝る」と、7時前なのにベッドに入ってしまった。
この分だとダブルベッドを独り占めし、やむなくソファに寝ている私を夜中にたたき起こし、「お腹が空いたから何か作れ」と言うのだろう。
(笑っちゃうことに、こういうことは初めてではない)
◇◇◇
ところで。
後日みゆきが「おニイ最近、特別機嫌の悪い日ありませんでした?」とメールをくれた。
しばらくやりとりをして、「この一連のやりとりは削除奨励デス。よろ~」とついていたので、そのとおりにした。
機嫌の悪い日といえば、まああの日のことだろう。
「実はおニイ、役所でバイトの子を口説いたらしいんですけど、それ私の友達だったんです。その子はやっぱり役所に彼氏がいて、機を見て結婚するつもりらしくて。当然おニイの誘いは断りました。」
「変なこと聞くけど、その彼氏さんって、ひょっとしていい大学出ているのかな」
「当たり。東京の高田馬場大学の行政社会学部ですって。私文トップですよね。」
「なるほど…」
「心当たりあるんですか?」
「今度また幸助さんのいないときに遊びにきて。ゆっくり話すから。」
「楽しみです♪」
多分口説かれたバイトの子は、別に「駅弁卒はお呼びじゃねーよ」なんて暴言を吐いたわけでもなく、ただ「お付き合いしている人がいるので…」と断ったのだと思われる。勝手に彼氏の存在やその人の出身大学を暴き出して、被害妄想の結果、八つ当たりしたに違いない。
もちろん何1つ確証はないけれど、それこそ「彼」という人にはふさわしい。
妻子のある身でバイトの女の子を食いまくっていることがバレたら、出世以前に職場にいられなくなるだろうに。
牙を抜かれた無能な専業主婦である私は、たとえあんな男でも命綱、一蓮托生である。彼に何かあれば私にも累が及ぶに違いない。
「やーん、こわーい」
なのに、なぜかどこか爽快な気持ちだった。
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