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おはぎ
しおりを挟む妻と俺は、共通の友人の紹介で知り合った。
3歳年上の私立高校国語教諭で、初めて顔を合わせたのは、俺が28、妻が31のときだった。
きりっとした整った顔立ちで、几帳面な性格の女だが、なぜか俺の性格や雰囲気の「緩いところ」に癒しを見出したというから、結婚というのも案外、勘違いや刹那的なニーズだけで成立してしまうことがあるものなのだろう。
「あなたは結婚しても、お仕事を続けたいと思ってるの?」
交際して1年ほど経った頃だろうか。妻は特にこれといった含みを持たせず、俺にそう尋ねた。
それを当然とは思わないが、普通は男が女に「君は結婚しても仕事を続けるの?」と質問する方が、自然ではないだろうか。ちょっとおかしくなったが、俺は一応、質問に答えた。
「ああ、まあ…」
「ってことは、専業主夫もナシじゃないってこと?」
「ああ、まあね…うまくいくかは分からないけど…」
妻は28歳までに結婚し、30歳までに第1子を産んで…というビジョンをぼんやりと持っていたが、予定が少し狂ってしまった。
まあ仕方ないかと思いつつ、子供はせめて30代のうちに…と思っていたところに俺という男が現れ、「清潔感あるし」「醜男じゃないし」「長いことひとり暮らしだったので家事できそうだし」という点が気に入って、結構ぐいぐいと俺に結婚を迫ってきた。あとはまあ、この懐柔というか操縦しやすそうな性格もよかったのだろう。
俺は俺で、「男よりはまあ女の方が好きかな」程度しか考えておらず、いいと思った女に自分から告白したこともない。筆下ろしからして、先方が積極的だったのでお任せだったし、性欲がないわけではないが、ガツガツ追求するのもピンと来ない。
そしていつも、「つまんない」「刺激がない」と言って振られるの繰り返しだったから、妻とは奇跡的に長く続いたといっていい。
まあ、歴代短命カノジョたちからは、フリーライターなのに「大したカネ持ってない」「有名人の知り合いの1人もいないなんて」「心がときめくような手紙くれない」などと、この職業はえらい誤解をされているなと、ため息しか出ないことを言われたりもした。
妻は、結婚後もできるだけ独身時代と同じペースで働きたかったので、配偶者に専業主夫になってもらうことにも抵抗がない――というより、むしろそれを望んでいたようだ。
この自立っぷりはそれなりに偉いと思うが、「あなたも自分で自由にできるお金が要るだろうし、仕事は続けていいわよ」と言ってくださったあたり、人の職業を軽んじているのが丸わかりなのには、少しだけ「やれやれ」と思っていた。
◇◇◇
俺の母が妻と会ったときの第一印象は悪くなかったようだ。
そもそもが俺にあまり関心がなかったので、犯罪者でもない限り、どんな女性でも「結婚してくれるだけでありがたい」って感じだったかもしれないが、オプションのように“賢くしっかり者で、なかなかの美人”と来ている。「いいお嬢さんね。うちの子をよろしく」で決着した。
結婚から3年後、妻が36、俺が33のときに娘が生まれた。
娘は妻そっくりで、賢くておしゃべりが大好きなおしゃまさんということで、これまた母のお気に入りとなった。
近からず遠からずの距離に暮らし、そこそこの頻度で会っていただけなので、お互いのいいところしか見せていないことも幸いし、関係は良好だった。
◇◇◇
一つだけ難をいえば、妻は母のつくるおはぎが好きではなかった。
厳密にいうと、「味は悪くないけど、つぶあんっていうか、半殺しっていうの?あれちょっと苦手なんだよね。私はこしあん派だから」ということらしい。
食べられないわけではないので、喜んで食べていたが、俺や娘の前では「こしあん派」発言を繰り返していたので、好き嫌いよりも、そういう「こだわりにこだわっていた」のだろう。
ところで、娘は確かに賢いが、3歳や5歳の子には3歳や5歳の知恵しかない。
20歳の人間なら、そう賢くなくても何となく身につけているような、「言っても大丈夫なこと」と「言わない方がいいこと」の取捨選択は難しいのだ。
いつものように出された母の手製おはぎを食べようと妻が箸を取ったとき、「ママ、これキライなんだよね?」と言った。
「嫌い?」
「うん、“こしあんは”なんだって。“つぶあんはいなかくさくてきらい”って」
「そう――ごめんなさいね、だったら無理して食べなくてもいいわよ」
母の口調は柔らかだったが、顔は引きつっていた。
気まずい空気は家に帰るまで払拭されず、妻が珍しく声を張って娘に注意したので、娘は大きな声で泣いた。
その声に驚いた妻が、娘を抱きしめて「ごめんね、びっくりさせて」と言ったので、妻と娘の関係は良好なままだが、母の方は誤解を解こうともせず、ただ俺の実家への足が遠のいた格好だった。
妻は俺と結婚し、娘をもうけたので、自分は3人家族であるという意識しかない。自分自身の実家との付き合いも割とドライだったせいで、俺の母との一件も、「いけね、しくじった」程度の軽いやらかしだったのだろう。
だから弁解もせずに、「そうですね、もう無理はしません。毎回おはぎをお出しになるのも、何か勘違いなさっている気がしますし」と応戦した。
娘は「ばあば」が好きなので、俺が何かの用事で家に顔を出すときや、妻が忙しいとき、俺が娘だけを連れて帰るようになっていた。
そもそも娘が幼いうちは、俺は遠方への取材なども控え目にし、仕事をセーブして娘の世話をしていたので、これはこれで割と自然な形だった。
そうして気付けば、10年以上経った。
◇◇◇
「なあ母さん、おはぎ食うか?」
「おはぎぃ?」
「変だよな?お萩とか牡丹餅とか、春秋の彼岸の花から取った名前なのに、お盆に出すかって、なあ」
「……」
「でもさ、この間調べものしたら、魔除けのために食べるものなんだってさ。8月14日に食べるのがいいって。母さん、知ってた?」
「あ…あ…?わかんないね…」
8月11日、山の日、8月唯一の国民の祝日。
コンビニでみかけたおはぎ(つぶあんと黄粉)を思いつきで買った。
盆休みもぼちぼち始まっているが、兄夫婦は帰ってくることはないだろう。
といってもここ数年は、高齢の母親にいろいろ気を使われるのはためらいがあるといってホテルを取って、観光ついでに家に顔を出していたようだ。
感染症の流行もあり、最近は没交渉といってもいいほど接触がない。
兄は、母の老いさらばえた姿を見るのが怖いのだと思う。
パッケージをむいて、母の目の前に差し出すと、「こっち…」といってつぶあんを指さした。
「よっしゃ。麦茶持ってくるから待ってて」
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