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第7話 ポークソテーと手作り小物入れ
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1981年4月某日。日曜日の朝、久美に初潮が訪れた。
中1になっていて、7月には13歳になる。背丈はまだ150センチを超えていなかった。
何かの本で、女の子は生理が始まると身長が伸びなくなると書いてあったのを読み、かなり本気で心配になったのだが、それはさておいて、とりあえず母に報告しなければならない。
「あのね…」
「そう…」
母は「おめでとう」とも言わず(言ってほしかったわけではないが)、無言で自室に何か取りに行った。
「これ、使いなさい。使い方分かるね?」
「ん…」
シンプルなピンク色のサニタリーショーツと生理用ナプキン。一応買っておいてくれたようだ。
あとは経血が便器の外側に落ちてしまったら、きちんと掃除しろとか、ナプキンは絶対、男の家族に見えないように処分しろとか、くどくど言われただけだ。
そして声を潜めて、
「不始末があったら、おばあちゃんに何を言われるか…」
「わかってる」
「何その態度は。「はい」でしょ?」
「はい…」
久美が品物を受け取り、黙って立ち去ろうとしたら、母は「ありがとうは?」と背後から声をかけた。
「ありがとう…」
「なくなったら言いなさい。トイレに置きっぱなしにしちゃ駄目だよ」
「わかっ…はい」
(お母さんこそ、「おめでとう」は?)
それは言っても無駄だろう。
◆◆
期待していたわけではなかったが、その日は赤飯は出なかった。
それはそうだ。「男の家族にばれないように」と言うぐらいだもんね――と、豚肉のソテーを食べながら思った。
久美は相変わらず豚の脂身が苦手だったが、以前よりは何も考えずに口にできた。
よそのうちってこういうとき、どうしているんだろう。聞いてみたいが、「変なの」「気持ち悪い」と思われそうで聞けない。
久美の家では性的な話題をタブー視しているし、そもそも母親とはそういうもので、多分世間も同じだろうと思うことにした。
たまたま読んだばかりの漫画で、おさげのかわいい女の子が、お父さんの炊いた赤飯を恥ずかしそうに、でもうれしそうに食べるシーンが描いてあって、すごくかわいいなと思った。
その女の子にはお母さんも女のきょうだいもおらず、幼馴染のお母さんを頼るのだが、それとなく家族にも伝わったようで、父が赤飯を炊いてくれていた。おじいちゃんも、優しそうでかっこいいお兄ちゃんたちも、恥ずかしそうに「…おめでとう」って言ってたなあ。
あれは「漫画」だからああいうふうに描いてあったんだろうと思えば、一応納得できなくもない。
対して、現実世界の久美の母は、「子供がテレビを見ている時間に生理用品のCMを流すな」という新聞のテレビ・ラジオ欄の投書を読んで、「我が意を得たり」って感じでこくこくうなずいていた。「本当にあれは無神経だと思う。どうせ女しか買わないものだし、CMなんて必要あるのかね」
よく分からない理屈だが、久美は大人になっても、この母の意見がどれだけバカげていたか――と時々思い出すようになった。
久美の母は働いているので、家事は祖母が担当している。日曜日は久美の母が夕飯を作る日だった。
ポークソテーは正直、毎日料理をしている祖母のものよりずっと味はよかったが、久美の皿のが一番脂身の分量が多い、ような気がする。
母に冷淡に扱われるのが平常運転のせいか、久美にとっては被害妄想が平常運転である。
(お赤飯は要らないけど、せめて今日だけはお兄ちゃんのお皿と替えてほしい…)
そう思って肉が4割ほど残っている兄の皿を凝視してしまったら、「お前は自分のがあるだろ?いやしいな、デブ」と言われた。
「そんなんじゃないよ!」
「あんたたち、食事のときは静かにしな!」
2人まとめて祖母に叱られると、兄は「お前のせいで…」とぼそっと言った。
久美は145センチ、39キロだったから、極端にやせているわけではないが、デブと言われたこともない。
対する兄は171センチ、80キロ。中3男子にしてはやや大きめで、体重もかなりあり、しかもスポーツ嫌いと来ている。
久美は「浩紀(兄の名)より、お前とキャッチボールやった方が続くから面白い」と父に言われたほどだった。
◆◆
そんな冴えない「記念日」ではあったが、実は一つだけうれしいこともあった。
12歳の誕生日に、仲良しの祥子ちゃんから、プレゼントとして小さなフェルトの小物入れをもらった。祥子は手先が器用で、こういうものをよく作っていた。
スナップ1カ所止めのシンプルなものだったが、物を入れる部分が赤、ふたの部分が緑で、トマトをイメージしたものらしい。
「生理が来たら、これにナプキン入れて持ち歩こうよ」と言われていたので、その日が来たんだということだけはうれしかった。
これが本当の『アンネの日記』――でもないが、未使用のノートの1ページ目にこう綴った。
「生理になった。思ったとおりおせきはんじゃなかったけど、祥子ちゃんのポーチが使える。私、これで大人になったってことなのかな。」
中1になっていて、7月には13歳になる。背丈はまだ150センチを超えていなかった。
何かの本で、女の子は生理が始まると身長が伸びなくなると書いてあったのを読み、かなり本気で心配になったのだが、それはさておいて、とりあえず母に報告しなければならない。
「あのね…」
「そう…」
母は「おめでとう」とも言わず(言ってほしかったわけではないが)、無言で自室に何か取りに行った。
「これ、使いなさい。使い方分かるね?」
「ん…」
シンプルなピンク色のサニタリーショーツと生理用ナプキン。一応買っておいてくれたようだ。
あとは経血が便器の外側に落ちてしまったら、きちんと掃除しろとか、ナプキンは絶対、男の家族に見えないように処分しろとか、くどくど言われただけだ。
そして声を潜めて、
「不始末があったら、おばあちゃんに何を言われるか…」
「わかってる」
「何その態度は。「はい」でしょ?」
「はい…」
久美が品物を受け取り、黙って立ち去ろうとしたら、母は「ありがとうは?」と背後から声をかけた。
「ありがとう…」
「なくなったら言いなさい。トイレに置きっぱなしにしちゃ駄目だよ」
「わかっ…はい」
(お母さんこそ、「おめでとう」は?)
それは言っても無駄だろう。
◆◆
期待していたわけではなかったが、その日は赤飯は出なかった。
それはそうだ。「男の家族にばれないように」と言うぐらいだもんね――と、豚肉のソテーを食べながら思った。
久美は相変わらず豚の脂身が苦手だったが、以前よりは何も考えずに口にできた。
よそのうちってこういうとき、どうしているんだろう。聞いてみたいが、「変なの」「気持ち悪い」と思われそうで聞けない。
久美の家では性的な話題をタブー視しているし、そもそも母親とはそういうもので、多分世間も同じだろうと思うことにした。
たまたま読んだばかりの漫画で、おさげのかわいい女の子が、お父さんの炊いた赤飯を恥ずかしそうに、でもうれしそうに食べるシーンが描いてあって、すごくかわいいなと思った。
その女の子にはお母さんも女のきょうだいもおらず、幼馴染のお母さんを頼るのだが、それとなく家族にも伝わったようで、父が赤飯を炊いてくれていた。おじいちゃんも、優しそうでかっこいいお兄ちゃんたちも、恥ずかしそうに「…おめでとう」って言ってたなあ。
あれは「漫画」だからああいうふうに描いてあったんだろうと思えば、一応納得できなくもない。
対して、現実世界の久美の母は、「子供がテレビを見ている時間に生理用品のCMを流すな」という新聞のテレビ・ラジオ欄の投書を読んで、「我が意を得たり」って感じでこくこくうなずいていた。「本当にあれは無神経だと思う。どうせ女しか買わないものだし、CMなんて必要あるのかね」
よく分からない理屈だが、久美は大人になっても、この母の意見がどれだけバカげていたか――と時々思い出すようになった。
久美の母は働いているので、家事は祖母が担当している。日曜日は久美の母が夕飯を作る日だった。
ポークソテーは正直、毎日料理をしている祖母のものよりずっと味はよかったが、久美の皿のが一番脂身の分量が多い、ような気がする。
母に冷淡に扱われるのが平常運転のせいか、久美にとっては被害妄想が平常運転である。
(お赤飯は要らないけど、せめて今日だけはお兄ちゃんのお皿と替えてほしい…)
そう思って肉が4割ほど残っている兄の皿を凝視してしまったら、「お前は自分のがあるだろ?いやしいな、デブ」と言われた。
「そんなんじゃないよ!」
「あんたたち、食事のときは静かにしな!」
2人まとめて祖母に叱られると、兄は「お前のせいで…」とぼそっと言った。
久美は145センチ、39キロだったから、極端にやせているわけではないが、デブと言われたこともない。
対する兄は171センチ、80キロ。中3男子にしてはやや大きめで、体重もかなりあり、しかもスポーツ嫌いと来ている。
久美は「浩紀(兄の名)より、お前とキャッチボールやった方が続くから面白い」と父に言われたほどだった。
◆◆
そんな冴えない「記念日」ではあったが、実は一つだけうれしいこともあった。
12歳の誕生日に、仲良しの祥子ちゃんから、プレゼントとして小さなフェルトの小物入れをもらった。祥子は手先が器用で、こういうものをよく作っていた。
スナップ1カ所止めのシンプルなものだったが、物を入れる部分が赤、ふたの部分が緑で、トマトをイメージしたものらしい。
「生理が来たら、これにナプキン入れて持ち歩こうよ」と言われていたので、その日が来たんだということだけはうれしかった。
これが本当の『アンネの日記』――でもないが、未使用のノートの1ページ目にこう綴った。
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