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第36話 二人目【妻】

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 上の子供が小学校に通うようになり、1学期がもうすぐ終了という頃、私は体調を崩した。
 生理のおくれ、食欲不振、吐き気…思い当たるふしは大いにある。

 妊娠検査薬チェッカーを使ったら、案の定陽性反応があったので、時間休を取って産婦人科にかかると、温和な担当医が「1月25日ですね」と予定日を告げた。

 夫は携帯電話を持っているが、私はまだあまり必要を感じないので持っていない。
 朝は「体調が悪いから、今日は仕事の前にに行ってくるね」とだけ言ってあるので、心配しているかもしれないと思い、昼休憩ぐらいの時間を見計らって電話をすると、留守電になってしまった。

『私です。実は産婦人科に行ってきたんだけど、妊娠が分かりました。来年の1月末には生まれるそうです」

 私も彼も一応まだ若いので、「アレか?」と日付を特定できないくらいの頻度の夫婦生活はあるし、できてもおかしくはない。
 本当はチェッカーを使った時点で言おうと思ったのだが、謎の照れくささがあり、病院でいろいろ確定してもらってから言うことにした。
 一度流産した後に授かった娘を、それなりに慎重に育ててきたので、少し間は開いてしまったものの、妊娠自体は大変歓迎すべきことだ。

 いつもより少し遅く帰ってきた夫は、大きなケーキの箱と、ピンクのバラの花束を持っていた。
「君の好きな店で、一番立派なのを買ってきたんだ」と得意顔だったけれど、さすがに3人家族に6号サイズのショコラバナーヌは立派過ぎでしょ。

 私の留守録を聞いて、彼は午後じゅうそわそわしていたという。
 ほんと、事故なんか起こさなくてよかったわ。
 その結果がこのゴージャスすぎる花束とケーキということだけど、今後のこともあるし、私も携帯電話を持つことを決意した。

「大事にしなくちゃな」
「そうね。いちおうギリギリまでは働くつもりだけど、ま、何とかなるでしょ」
「…仕事続けるのか、やっぱり」
「そのつもりだけど?」

 最初の娘を出産した後、隣県に住む私の母が手伝ってくれたり、夫の実家も協力してくれたりで、それなりに乗り切ってしまったので、私はずっとフルタイムの仕事を続けていた。

 夫も最近、ささやかながら役付きになったりして、収入もぼちぼち増えてきた。
 だから「仕事、そろそろ…(辞めたら?)」とか、「パートに切り替えても…」と、控えめに言われることもあった。
 そこへもってきての2人目妊娠で、「大事を取った方が」というのが夫の考え方らしい。

 しかし私にしてみると、子供2人となると、逆に今後もっともっと稼いた方がいいだろうから、ペースを崩さずにやっていきたいのだ。

「でも、もう30過ぎてるし…」
「一応高齢のハイリスク出産は35歳以上って言われてるみたい。私、まだギリギリセーフだよ」
「うーん…」

 夫の職場で40歳近くで妊娠した女性がいたらしい。
 本人の気力は十分ではあったけれど、妊娠中毒症が悪化し、結局、出産前に退職せざるを得なくなってしまったそうだ。
 そういう事例があって、「昔ほど若くはない妻」が妊娠中となると、少し周囲の動きに流されやすいところのある彼は、平静ではいられないのだろう。

「無理は絶対しないから。ね」
「そうだよな…。俺も頑張るし」
「そうそう」

***

 上の子はすくすく成長し、私にとっても夫にとっても自慢のかわいい娘だけれど、私は娘のふとした表情を見るたび、いまだに少し不安になることはあるのだ。

に似ている…かも)

 人間の顔は意外と複雑にさまざまなものが絡み合っているから、ふとした表情を見て、突拍子もなく「有名人の誰かに似ている」などと思うことは多々ある。だから多分気のせいだろうと思い込み、抑え込むだけだ。

 あの日、「おじさん」と避妊せずにセックスしたのは、かなり衝動的だった。
 私は全く同じ日の夜、夫に求められ、習慣的に避妊具をつけようとする夫を抑え、「そのまま入ってきて」と言った。

 あれはカモフラージュみたいな意識ではなく、あのときは「夫のことそのまま迎え入れたい」という気持ちになっていたから、そうしたまでだ。
 うまく言えないが、潜在的に「とにかく妊娠したい」という気持ちだったのかもしれない。

 結果、娘は無事、私たちのもとに来てくれた。
 寝不足でしんどかったり、いわゆるイヤイヤ期に手を焼いたりしたこともあるけれど、楽しい7年間だった。
 一区切りついたところで、また私たちのもとにやってくる準備中の子は、胸を張って「夫の子供」だと言える。

***

 あの慣らし保育の調のとき、「おじさん」に体をもてあそばれて以来、私は彼を避けてきた。
 私が19歳のとき40歳だったおじさんは、今はもう50歳を超しているはずだ。
 50代の人間が性的に現役なのは普通のことなのか、まだ30代の自分には分からない。
 ただ、おじさんなら、その年齢でも私ではない誰か――もっと若く、もっと美しい女性を、ちゃっかり抱いているような気がする。

 10年前の私なら、それを妬ましいと思っていたかもしれないけれど、私には優しい夫がいて、かわいい娘がいて、お腹には二人目の子供もいて、そんな思いは簡単に上書きされてしまう。

 全く気にならないといったらうそになるけれど、今のこの平穏な生活を壊してまで得たいものは何もない。

***

 それは夏休みももうすぐという時期だったろうか。
 私は少し体調を崩し、家でベッドに入ったきりだった。
 しっかり者の娘は、ランドセルを背負った姿で私の寝室に来て、「ママ、ちゃんと寝ててね」と言って登校したし、夫もその姿をきちんと確認し、「気を付けて行ってこいよ」と声をかけていた。

 集団登校の場所までは、歩いて2、3分。
 5月ぐらいまでは、1年生は下校もある程度の人数まとまって下校していたが、最近は友達同士や単独で帰ってくることも多いようだ。
 そのせいか、私がベッドでうつらうつらしている間も、おしゃべりしたり歌ったりする子供たちの声がうっすら聞こえてきた。

 娘は学童保育にお世話になっているので、私が仕事が終わってから迎えにいくのだが、「あ、今日は休んだから、早く帰らせるか、代わりの人にお迎えを頼むかしなくちゃ」と思っているうちに、うっかりしていたら、大分時間が経ったようだ。

 体調も大分よくなってきたので、学童保育に電話をかけた。

『あれ、今日はご親戚の方が先ほど迎えに見えましたよ?』
「親戚、ですか?」
『はい。背の高い男性です。お子さんも「おじさん」と呼んでいらして』
「あ…」

 私は、夫が実家のお義兄さんに頼んだのだろうと勝手に解釈した。
 今まで頼んだことはなかったけれど、我が家の近くで小さな事務所を開いているので、「いざとなったら手を貸すよ」と言われていた。
 「背の高い男性」「」とくれば、該当するのは1人だけだ。

「先ほど」ということは、少し待てばうちに連れてきてくれるということか、そのまま夫のご実家に連れていくかといったところだろう。

 …そんなふうに、あまりにもつじつまが合い過ぎてしまったので、私は深く考えず、義兄の連絡なり来訪なりを待っていたのだが、1時間経っても何もなかった。

 さすがに不審に思って夫に連絡すると、「頼んでいない」と言うし、義兄も該当の時間帯、ずっとオフィスに張り付いていたらしい。もちろん、夫の実家に連絡しても、「来ていない」と言われる。

 結局夫の帰宅時間になっても、娘は帰ってこなかった。
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