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第7話 さよなら 愛しい人【私】

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 ばいばい、おにいちゃん

◇◇◇

 少し古い話になるが、兄は大学に入って初めての夏休み、家に帰ってこなかった。
 私は高校2年で、1年からのカレシとはずっと付き合っていたけれど、2年の夏は、カレとのお付き合い以外では、バイトと「隠れ男漁り」と勉強少々で費やした。

 バイト先で、ちょっといい感じの男が声をかけてきたので、「私にはカレシがいるが、それとこれとは別」と断った上で寝たら、あろうことか「さっさとそいつと別れて、俺のものになれ」と言い始めたので、うんざりして速攻でバイトを辞めた。
 ほかのスタッフには恨みはない。だからそんなことで迷惑をかけるのも心苦しかったが、さっさと見切りをつけた方がいいと思った。

 店長に「ごめんなさい…誰とは言えないのですが、ちょっと…」と、人間トラブルがあったことだけにおわせ、半泣きで訴えた。
 すると、「そうか…辛かったね。これからも店長としてじゃなく、普通に頼ってくれれば…」とスケベ心をあらわにしてきたのが面倒だったけれど、男相手だとちょろくて助かる。
 原因になった男は、寝た感じは悪くなかったけれど、「切る」のが惜しいほどゼツリンとか、テクニシャンというわけでもなかった。

◇◇◇

 次のバイトが決まる少し前、勉強の気分転換に市立図書館に行った。
 家から近いし、早熟な少女に図書館はよく似合うのだ。子供の頃からなじみの場所だった。

 自習室で勉強中、私をじっと見つめている男がいた。
 こういうことには慣れている。
 大体私と目が合うと、ぱっとどこかに行ってしまうが、その男は視線を外さず、私がどの分類の棚に行ってもついてきた。

 図書館の端っこ、「総記(0)」のコーナーの一部は、古い百科事典が打ち捨てられたようにレイアウトされていて、あまり人がいない。
 そこまで誘導するように、しかし気付いていないふりで歩いていくと、男はやはりそこまで追ってきた。
 だから思い切って、しかし声を潜めて言ってみた。

「(私に何か御用ですか?)」

 ここで「え?何の話?気のせいだろう?」なんて言い逃れをする男だったら、私も用はない。

「(気づいてたんだね…きれいな子だなって思って見とれてた)」

 丸顔にだんごっ鼻で、めがねをかけている。天パ気味の頭髪が薄めなので、ちょっと老けて見えるけど、意外と若いかもという雰囲気の、こう言っては悪いが冴えない男だ。

「(お兄さんは何歳?)」
「(え、25だけど…)」

 8歳違いか。悪くない。

「(この近くに住んでいるの?)」
「(あ、うん。「ハルマート」ってスーパーの近く。ひとり暮らし)」

 確かに図書館からは近所だが、うちとは逆方向だから、あんまり行くエリアではない。ということは、顔なじみに会うリスクも少ない…?

「(その部屋、今からお邪魔できます?)」
「(え…いいけど…)」

…………

 私の本音としては、チャンスがあれば、あらゆる人のお相手をしてみたい。
 この「おにーさん」は、私の外側しか見ていないとはいえ、明らかに私に興味がある人だ。
 なら、「部屋に行きたいな♪」と言われれば、それが何を意味するか、簡単に伝わるだろう。
(でも「男と二人きりになった女は何されてもいいと思っている」なんて勘違いして、無理やりヤっちゃうのは駄目ですよ。私みたいなのもいるってだけ)

 顔に似合わず?ワイルドでいい感じのエッチができたけれど、両手で顔を包むようにキスしたり、布団(多分万年床)に寝かせたりして、私の顔をうっとり見下ろすから、その表情を見ていると、笑いをこらえるのが大変だった。

 私のカレシはかわいいタイプで、いまだにアレのときはおどおどしている(そこがちょっと好き)。

 一方、私の「最高のセフレ」だと思っている兄は美形。このおにーさんが私にしたようなことをしたら、多分我が身内ながらうっとりしちゃうだろう。
非常に申し訳ないんだけど、「そういう」要素もやっぱり大事なんだよね。

 ちゃんとお付き合いして、丸ごと好きになっちゃったら関係ないんだけど、初対面の下半身だけの関係だもん。
 見た目のいいゲス野郎だいなり不細工だけどいい人になるのは仕方ない。


 『名前何ていうの?』と、服を着ている私におにーさんは聞いた。
 そもそもゆきずりって人が初めてだけど、事後に名前聞かれるのは変な感じ。

「私、コウダアヤ」
「アヤちゃんか。いい名前だね。どんな字?」
「甲子園の甲、田んぼ、小林亜星あせいの亜、弓矢の矢、甲田亜矢」

(あなたが私を追い回していたとき、たまたま手に取った本が幸田文こうだあや の『おとうと』だったから、そこから拝借したんだけど…)

とっさだったのに、我ながら感心するくらい、えげつないほどのフェイク入れることができたけど、そもそもおにーさん、幸田露伴はともかく、娘の文なんて知らなそう。フェイクの必要もなかったかな。

「また会える?」
「図書館でならね。それ以外のところで声かけてきても無視する」

 いろいろな意味で、「もう会うことはないだろうな」と思った。
 図書館もしばらく行かないようにしよう。探し回られても迷惑だし。

 私の一言を、ていのいいお断りと見るか、「また会おう」って意味に取るかはお任せしておく。

◇◇◇

 兄は正月休みには帰ってきたが、12月29日に来て、1月2日には下宿に戻るという。
 駅まで迎えにいったら、「何だか大人っぽくなったな」と真顔で言って、家族といるときも、二人きりになってもよそよそしかった。

 パパとママが「二年参りに行く?」って言ったとき、兄は「俺はちょっと家でゆっくりしたい」と言った。
 これは「そういう」合図だと思い、「私も、見たいテレビあるし」と言って、家に残ることにした。
 で、車の遠ざかる音を聞きながら、部屋に戻っていく兄についていき、部屋に入ろうとしたら、「いくらきょうだいでも、年頃の男女が同じ部屋に2人きりはよくない」と拒否された。
 私はさすがに嫌な予感がして食い下がり、兄の制止も聞かずにベッドに腰掛けた。

「お兄ちゃん、一体どうしちゃったの?」
「…こういうの、もう終わりにしよう」
「え?」
「俺、大学で好きな子ができた」

 なんだ。私はそんなの気にしないよ…と言おうとしたけれど、兄にはお見通しだ。

「その子には誠実でいたい。やっちまったことは仕方ないが、妹を抱いているようなやつに、その子に触れる資格はないって思って」
「お兄ちゃん、その人と…寝たの?」
「いや、まだだ」
「え?」
「どうしてもうまくてきなかった。土壇場でお前の顔がちらついて…」
「なにそれ?私のせいだって言いたいの?」
「違う、違うよ。でも…そうかもしれない…」
「信じられない!ヤってもいない人に義理立てするの?」

「そういう問題じゃない。そもそも兄妹で――間違ってた」
「そんなの納得ずくだったじゃない!」
「すまない――でも、お前のためでもある。俺たちはどう考えたって、結婚もできない。一生一緒なんて無理なんだよ…」

 私は「体と心は別」だと思っていたから、兄との行為を楽しんできた。
 こんな突然のちゃぶ台返しみたいなやり方、ひど過ぎる。
 何ひとりだけ、愛に生きる男みたいな顔してんのよ!

 『寝ていない』という言葉が私を打ちのめした。私はそんな人を理由に拒まれたのだ。

「…わかったよ。じゃ…最後に一度だけ抱いてよ」
「え?」
「それで完全に妹に戻る。もう絶対困らせないから」
「約束だぞ…」

 多分両親は、家から車で15分程度の大きな神社に行くのだろう。
 そこは露店もたくさん出るので、破魔矢を買ったり、いろいろ飲み食いしたりするのを、2人は毎年楽しみにしていたから、1時間は帰ってこない。

 去年の今頃、私たちは目くばせして、「俺たちは留守番してる」と言い、その間に2回シた。
 近所のお寺の除夜の鐘の音を、煩悩たっぷりで聞いた。イケないことをしている事実が、快感をいや増しにした

 今年は、車の音が聞こえたら、すぐにぱっと離れられるように、私たちはお互いの部屋の電気をつけたまま、兄の部屋で、着衣のまま絡み合った。
もし最中に戻ってこられても、パパとママが家に入る前には、「お互い自分の部屋にいましたけど?」って顔をして、それで関係は解消だ。


 兄は私じゃない女の名前を呼びながら、スウェットの中に手を入れて私の胸をもみ、2人とも下だけ脱いで、腰を激しく打ち付けた。

「ううっ…あっ」
「い…い…もっとぉ…あんっ」

 ぐにゅ、ぐちゃという生々しい音が切ない。
 電気をつけているから、お互いの顔もはっきり見える。

 ねえ、私、きれいでしょ?かわいいでしょ?
 『好きな人』は、もっときれいでかわいいの?
 強がったって駄目だよ。
 『もうおしまい』とかいいつつ、ゴムはちゃんと持ってたんじゃない。
 私に誘われたら、『誘惑に負けた』ふりしてヤるつもりだったの?
 これからも、何度だって『最後に』って言って迫っちゃうもの。
 一度味をしめた男女が、そう簡単に切れられるわけないじゃない。

 私に夢中過ぎるのが心配で、自分以外のお相手を見つけるべきだって言ったとき、お兄ちゃん、『悲しいこと言うなよ。俺、お前以外は考えられないんだ…』とか言ってたよね。
 あー、何でアレを録音しておかなかったんだろ。私のバカ!

◇◇◇

 兄は結局、その後はどれだけ頼んでも私を抱いてくれなかった。
 ハタチになると、付き合っていたカノジョと学生結婚して、卒業後はカノジョの父親の仕事を手伝うと言い出した。向こうのお父様にえらく気に入られてしまったようだ。
 長男であることがネックではあったけれど、『俺の両親にそういうこだわりはないので。妹もいますし』とか言ったらしい。私に丸投げかよ。
 実際私たちの両親も、あの子が真剣なら――とか言って、反対はしなかった。

 結婚式で見た「お義姉さん」は、お化粧と衣装で盛り立てられただけの平凡な人で、私の方がずっといい女なのにと悔しかった。
 でも兄にとっては最高の女性らしいから、あくまで妹として、「兄をよろしくお願いします。お義姉さん」と笑顔で手を取ってやった。

 あの「人」は、もう私の知っている兄ではないと思うしかない。

◇◇◇

 私は地元の県立女子大学に推薦合格した。
 カレシも地元の国立に行きたいといっている。
 大学自体は所在市も違い、ご近所というわけではないけれど、自宅通学同士だし、付き合い続けられるだろうし、正直別れることになっても別に構わない。

 自分からアクションを起こすのは面倒なので、カレシに全部任せて、「学校も別になるし、別れよう」とか言われたら、わざとらしく一泣きした後、「分かった…」ってしぶしぶ承知したふりをすればいい。

 その前に…卒業記念に初めてラブホテルに行こうと誘ってみた。

 彼は最初、緊張のせいか、そのほかの原因か分からないけど、不機嫌を隠せていなかった。
 そしていつもよりも激しく私を突いた。
 体の熱は、自分のものなのか、伝わってくるカレのものなのか。
 何だか――とてもいい。気持ちいい。こういうエッチって大好き。

 私も気持ちが高ぶり、したことのないオーラルセックスをカレ相手に施した。
 初めてだったけど、彼が慣れていないせいもあり、下手だとは思わなかったみたいだ。
 精液を思い切って飲み込もうとしたら、喉の奥にずしんと重くて苦いものが飛び込んできた。何だか覚悟ができた気がする。

 私はこの人と寄り添っていけるかな。
 『お別れ』なんて言われたら、本気で泣いちゃうかも――なんて、少しだけ殊勝な気持ちになった。この気持ちがいつまで持続するかは分からないけれど、カレは、唾液と(自分の)精液で汚れた私の口に、ためらいなく深いキスを落とした。
 私はクンニリングスの直後にキスされそうになるとぱっとかわすけど、すごいな。「自分」とキスするのはちょっとね。

 この人のこういう一生懸命で必死なところ、かわいいし、いとおしいとさえ思える。

「好きだよ…大好き…」

 そう口に出してみたら、自然に涙が流れた。
 卒業グラデュエーションハイなんて言葉、あるかな?あるとしたら、これが「それ」だと思う。
 兄との不毛な関係から、このときやっと卒業できたのだと思う。

 このときの私はまだ18歳で、何者でもなくて、若さで輝いていて、人生は小汚くて醜い中年や老人になってからの方がずっと長い、なんて想像もしていなかった。
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