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1987年12月19日 土曜日・友引(仮)
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“それ”は12月だったはずだが、1987年だったか88年だったか。
土曜日だったか日曜日だったか。
2週目だったか3週目だったか。
人の記憶なんて、実に曖昧なものだ。
最悪、「自分が一番信じられない」ってことになる。
そこで、データ的なものを並べてみることにした。
当時の私は、世田谷の馬事公苑至近にある全寮制の学校で速記を勉強していた。
土曜の午前中は授業があったが、午後から神田神保町の三省堂書店に行っていた。
独りだった。
単独行動だったので、日曜日ではなく土曜日だったろうと考えている。
1987年に付き合っていた人とは日曜日しか会っていなかったし、88年に付き合っていた(後に結婚)は偶数週だけ土日連休だったので、2週目だったとしたら、土曜の午後からデートしていたはず。
(恋多きオンナを気取った痛ってー情報で恐縮ですが、まあこれも判断材料なので)
わざわざ交通費を使って少し遠方の書店まで出向いていたということは、懐もそこそこ温かかったはず。
ということは、わずかながら生徒手当(2万円前後)が支給された20日以降だった可能性が高いので、3週目ではないか。
そうそう、「あの男」は結婚披露宴の帰りだったようだから、1987年かもしれない。
1988年といえば、当時の天皇陛下の御不例の影響で、結婚式・披露宴といった晴れやかな行事を自粛していた人が多かったから。
ということで、「1987年12月19日土曜日」と特定(というか仮定)する。
20日が日曜日だったので、手当は18日か19日に前倒しで支給されていた可能性が高いし、そもそもあんまりお金がないからこそ、交通費「だけ」かけて、巨大書店で立ち読みしまくっていた可能性もある。
ちなみに六曜でいえば、この日は友引だったようだ。
***
三省堂書店に行く前に、御茶ノ水駅近くのどこかの商業施設に寄っていた。
書店というか、バラエティショップ的な店で、映画『タクシードライバー』の巨大ポスターを見た。
若かりし日のロバート・デ・ニーロが、アウターのポケットに手を突っ込んで、少しうつむいて歩いている。
ちょっと欲しいなと思った。値段は5,500円だったと記憶している。
3、4日分の食費になる値段だし、よく考えるとこの映画はそんなに好きじゃないなと気付いたしで、当然のように買わなかった。
その後三省堂書店に行ったが、気になるところをあちこち見ても、ピンとくるものがなかったのか、はたまたお金がなかったかで、割とすぐに「帰るか……」という心持ちになり、近くのバス停から渋谷行きの都バスに乗った。
どの道路をどう走ったかは分からないし、今もその路線があるかは分からない。
私はバスに乗ってすぐ座れたので、運がよかったのか、出発点かほど近かったのか、それすら分からない。
東京は、私が18まで住んでいた地方都市とは違い、どこまで走っても田んぼも畑も目に入らない、正真正銘の「街」が続くから、窓の外を眺めるだけでもわくわくする。
といっても、12月の外気温とバス内の温度には差があるし、雨は降ってくるし、乗客はだんだん増えるしで、窓はあっという間に曇る。外をぼーっと眺めるには厳しい環境だし、いちいち指でぬぐうのも気が進まない。
渋滞がひどいということは、バスの進度の悪さで分かる。
私はさほど急いでいなかったので焦りはなかったけれど、みんながみんなそうではなかったはずだ。
急いでいる人が、時間の読めないバスやタクシーなどの「クルマ」を使うのもいかがなものかと思わないでもないが、それはさておき。
あるバス停から、初老の小柄な男が乗り込んできた。
コートを着ていたので見えなかったが、多分礼服を着ていたのだろう。
両手に風呂敷に包まれた何段かのお重と、白い紙袋を提げていた。
運賃箱にコインをがちゃんがちゃんと怒気を込めて投げ入れた――ように見えたのは、その後の男の態度からそう思えただけかもしれないが、やたらはっきり聞こえた。
同じバス停から乗り込んできたのはこの男だけだったから、確実に連れはいない。
まあもしもいたら、その後のこの男を制止する、いさめるなどしてほしかった。
そのバス停がどの地点だったのかは分からないが、多分終点に到着するまで、そこまで長い時間ではなかったと思う。ただ、体感時間はやたらと長かった。
男はバス停で大分待たされたようで、ずーっと「遅い!」「雨降ってんだぞ!」「いつまで待たせる気だ!」「遅過ぎる!」「職務怠慢だ!」的なことを叫び続けた。
「10分も待った!」という数字は何度か更新され、終点に着く頃には「30分待った!」になっていた。
「遅い」というシンプルな文句に紛れ、「ゆうべカーちゃんにヤッてもらえなかった腹いせか?」「政府の回し者だな?」「左翼野郎が!」といった下品で支離滅裂な攻撃もあった。
もうこうなると、「あんた、それ言いたいだけでしょ」の域である。
当時は「DQN」とか「アタオカ」といった言語表現こそなかったけれど、そういう様子のおかしい人が全くいなかったわけではない。
ただ、ここまでの傑物を目の当たりにするのは初めてだったので、ただただ呆れと怒りが入り混じった感情を押し殺し、黙って聞き流していた。
当事者であるバスの運転手さんも、特に注意するでもなく、ただただ沈黙を守っていた。
速記学校の学生としては、手持ちのメモ帳とペンで、キチさんの延々と続く悪口雑言を書き取りたい欲望が湧かないわけでもなかったが、万が一見つかったら――と思うと、手は動かなかった。
曇ったガラスに「うるせえバカおやじ」と指で符号を書いたが、溜飲は下がらなかった。
ん?
もしこれが1987年12月の出来事だとしたら、当時の私は検定3級を取ったばかり。
(それも試験は11月だったので、結果が出ていたかどうかも分からない)
もちろん、他の人よりは早くメモが取れるレベルではあったと思うけれど、話す速さで逐語的に書き取るまではできていなかった――かな?
となると、1988年のことだったかもしれない。88年12月なら1級まで取っていた。
結婚披露宴の帰りのようだから87年と思っていたが、自粛する人が多かったとはいえ、全くなかったわけでもないだろう。
修正。1988年12月17日(土曜日 先勝)の可能性も出てきた。
***
話は変わるが。
杉基イクラさんのコミック『ナナマルサンバツ』の主人公・越山識君が、「五・一五事件が起きたのは何曜日か」という問題に、昔読んだ小話から類推して正解するというシーンがあった。
あれもきっかけは「同日に結婚式(披露宴)があったようなので」的な話だったはず。
結婚式といえば土日祝日、つまりカレンダーの休日が定番だが、もちろん平日に行われることもある。
とある結婚式場で会議(平日)の速記に入る前、施設内のレストランで昼食を取っていたら、たまたま平日結婚式の参列らしい集団と出くわし、「へー、やっぱり身内っぽい人(比較的高齢の方と小さな子連れ夫婦)が多いなあ」と、変なところで感心とも何ともつかない感想を抱いたことがある。
私の頭の中は、このようにいつもとっ散らかっている。
これは――1987年12月19日でも、88年12月17日でもない気がしてきた。
雨が降っていたのも思い込みか。
ただ、あの小男の絶叫だけは、悪い意味で印象に残り続けている。
【了】
土曜日だったか日曜日だったか。
2週目だったか3週目だったか。
人の記憶なんて、実に曖昧なものだ。
最悪、「自分が一番信じられない」ってことになる。
そこで、データ的なものを並べてみることにした。
当時の私は、世田谷の馬事公苑至近にある全寮制の学校で速記を勉強していた。
土曜の午前中は授業があったが、午後から神田神保町の三省堂書店に行っていた。
独りだった。
単独行動だったので、日曜日ではなく土曜日だったろうと考えている。
1987年に付き合っていた人とは日曜日しか会っていなかったし、88年に付き合っていた(後に結婚)は偶数週だけ土日連休だったので、2週目だったとしたら、土曜の午後からデートしていたはず。
(恋多きオンナを気取った痛ってー情報で恐縮ですが、まあこれも判断材料なので)
わざわざ交通費を使って少し遠方の書店まで出向いていたということは、懐もそこそこ温かかったはず。
ということは、わずかながら生徒手当(2万円前後)が支給された20日以降だった可能性が高いので、3週目ではないか。
そうそう、「あの男」は結婚披露宴の帰りだったようだから、1987年かもしれない。
1988年といえば、当時の天皇陛下の御不例の影響で、結婚式・披露宴といった晴れやかな行事を自粛していた人が多かったから。
ということで、「1987年12月19日土曜日」と特定(というか仮定)する。
20日が日曜日だったので、手当は18日か19日に前倒しで支給されていた可能性が高いし、そもそもあんまりお金がないからこそ、交通費「だけ」かけて、巨大書店で立ち読みしまくっていた可能性もある。
ちなみに六曜でいえば、この日は友引だったようだ。
***
三省堂書店に行く前に、御茶ノ水駅近くのどこかの商業施設に寄っていた。
書店というか、バラエティショップ的な店で、映画『タクシードライバー』の巨大ポスターを見た。
若かりし日のロバート・デ・ニーロが、アウターのポケットに手を突っ込んで、少しうつむいて歩いている。
ちょっと欲しいなと思った。値段は5,500円だったと記憶している。
3、4日分の食費になる値段だし、よく考えるとこの映画はそんなに好きじゃないなと気付いたしで、当然のように買わなかった。
その後三省堂書店に行ったが、気になるところをあちこち見ても、ピンとくるものがなかったのか、はたまたお金がなかったかで、割とすぐに「帰るか……」という心持ちになり、近くのバス停から渋谷行きの都バスに乗った。
どの道路をどう走ったかは分からないし、今もその路線があるかは分からない。
私はバスに乗ってすぐ座れたので、運がよかったのか、出発点かほど近かったのか、それすら分からない。
東京は、私が18まで住んでいた地方都市とは違い、どこまで走っても田んぼも畑も目に入らない、正真正銘の「街」が続くから、窓の外を眺めるだけでもわくわくする。
といっても、12月の外気温とバス内の温度には差があるし、雨は降ってくるし、乗客はだんだん増えるしで、窓はあっという間に曇る。外をぼーっと眺めるには厳しい環境だし、いちいち指でぬぐうのも気が進まない。
渋滞がひどいということは、バスの進度の悪さで分かる。
私はさほど急いでいなかったので焦りはなかったけれど、みんながみんなそうではなかったはずだ。
急いでいる人が、時間の読めないバスやタクシーなどの「クルマ」を使うのもいかがなものかと思わないでもないが、それはさておき。
あるバス停から、初老の小柄な男が乗り込んできた。
コートを着ていたので見えなかったが、多分礼服を着ていたのだろう。
両手に風呂敷に包まれた何段かのお重と、白い紙袋を提げていた。
運賃箱にコインをがちゃんがちゃんと怒気を込めて投げ入れた――ように見えたのは、その後の男の態度からそう思えただけかもしれないが、やたらはっきり聞こえた。
同じバス停から乗り込んできたのはこの男だけだったから、確実に連れはいない。
まあもしもいたら、その後のこの男を制止する、いさめるなどしてほしかった。
そのバス停がどの地点だったのかは分からないが、多分終点に到着するまで、そこまで長い時間ではなかったと思う。ただ、体感時間はやたらと長かった。
男はバス停で大分待たされたようで、ずーっと「遅い!」「雨降ってんだぞ!」「いつまで待たせる気だ!」「遅過ぎる!」「職務怠慢だ!」的なことを叫び続けた。
「10分も待った!」という数字は何度か更新され、終点に着く頃には「30分待った!」になっていた。
「遅い」というシンプルな文句に紛れ、「ゆうべカーちゃんにヤッてもらえなかった腹いせか?」「政府の回し者だな?」「左翼野郎が!」といった下品で支離滅裂な攻撃もあった。
もうこうなると、「あんた、それ言いたいだけでしょ」の域である。
当時は「DQN」とか「アタオカ」といった言語表現こそなかったけれど、そういう様子のおかしい人が全くいなかったわけではない。
ただ、ここまでの傑物を目の当たりにするのは初めてだったので、ただただ呆れと怒りが入り混じった感情を押し殺し、黙って聞き流していた。
当事者であるバスの運転手さんも、特に注意するでもなく、ただただ沈黙を守っていた。
速記学校の学生としては、手持ちのメモ帳とペンで、キチさんの延々と続く悪口雑言を書き取りたい欲望が湧かないわけでもなかったが、万が一見つかったら――と思うと、手は動かなかった。
曇ったガラスに「うるせえバカおやじ」と指で符号を書いたが、溜飲は下がらなかった。
ん?
もしこれが1987年12月の出来事だとしたら、当時の私は検定3級を取ったばかり。
(それも試験は11月だったので、結果が出ていたかどうかも分からない)
もちろん、他の人よりは早くメモが取れるレベルではあったと思うけれど、話す速さで逐語的に書き取るまではできていなかった――かな?
となると、1988年のことだったかもしれない。88年12月なら1級まで取っていた。
結婚披露宴の帰りのようだから87年と思っていたが、自粛する人が多かったとはいえ、全くなかったわけでもないだろう。
修正。1988年12月17日(土曜日 先勝)の可能性も出てきた。
***
話は変わるが。
杉基イクラさんのコミック『ナナマルサンバツ』の主人公・越山識君が、「五・一五事件が起きたのは何曜日か」という問題に、昔読んだ小話から類推して正解するというシーンがあった。
あれもきっかけは「同日に結婚式(披露宴)があったようなので」的な話だったはず。
結婚式といえば土日祝日、つまりカレンダーの休日が定番だが、もちろん平日に行われることもある。
とある結婚式場で会議(平日)の速記に入る前、施設内のレストランで昼食を取っていたら、たまたま平日結婚式の参列らしい集団と出くわし、「へー、やっぱり身内っぽい人(比較的高齢の方と小さな子連れ夫婦)が多いなあ」と、変なところで感心とも何ともつかない感想を抱いたことがある。
私の頭の中は、このようにいつもとっ散らかっている。
これは――1987年12月19日でも、88年12月17日でもない気がしてきた。
雨が降っていたのも思い込みか。
ただ、あの小男の絶叫だけは、悪い意味で印象に残り続けている。
【了】
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