上 下
48 / 88
第17章 土曜の夜と日曜の朝

美術展

しおりを挟む



『日中は結構、電話がつながりやすいみたいだね』
 木曜日の午前中、俊也からさよりに連絡があった。
「まだ帰省先の人もいるし、日中は出かけていたり、
 アルバイトって人も多いので」
「ああ、そうか」

 といってもやはり、自分専用の回線ではないから、長話は禁物だった。
 そもそも周囲の目も考えると、やはり話す内容にも気を使う。

『じゃ、今度の土曜、いいんだね?』
「はい、お邪魔します」
『ちょっと飲もうか?』
「え…」
『飲めるでしょ?』
「――少しは」

 男女間でそういう関係が生じたとき、「酒の勢い」という雑な説明をされることはしばしばある。勢いといって悪ければ、「酒の力をかりて」というところか。
 口を滑らかにしたり、判断力をいい感じに鈍らせたり――身体機能を低下させたり。
 もちろん俊也は、そこまで悪辣なことを考えていたわけではないが、多少彼女の堅さが取れることを期待して誘った。

『俺その日はバイトないし、何時でも大丈夫だけど』
「私は午後からなら」
『そう。じゃ、1時にいつものコンビニのでどう?』
「わかりました」

 さよりは電話を切った後、「そういえば、日曜でなくてよかった」とチラリと考えた。
 最初の「さよりのすっぽかし」のとき、そもそも俊也と会う約束をしたのは、松崎に絡まれたことがきっかけだった。
 俊也との関係に変動があり過ぎて忘れかけていたが、実はあれから1週間も経っていない。
 今のところ、松崎からは電話も手紙も接触もないが、あのときのややエキセントリックな行動からして、用心が必要そうだとは思っていた。

◇◇◇

 当日、約束の場所に行くと、俊也の第一声は少し意外なものだった。

「美術館と博物館、どっちがいい?」
「え?」
「いや、今までそういうところ行ったことがないなと思って」
「じゃ、美術館がいいです」
「思ったとおりだった。実はデパートの美術館で、こういうのやってるらしくて」

 俊也が差し出したのは、「アメリカンナイーブ展」というチラシだった。
 アルバイト先に置かれていたのをもらってきたらしい。

「時間があれば前売り券も買っておきたかったけど、当日でも200円しか違わないしね」

 チラシにあしらわれた絵は、さよりもどこかで目にしたことのあるグランマ・モーゼスのもので、素朴な色使いやタッチに惹かれるものがある。好きか嫌いかと聞かれれば、断然好きなタイプの絵だった。

◇◇◇

 電車で移動中、俊也は積極的に話を振ってはこない。いつもよりもどこか距離を置いているように見えた。
 さよりは男女に限らず人間関係全般、いつもどちらかというと受け身だったので、こうなると彼女からああだこうだと言うこともない。

 ついさっき俊也にもらったチラシの解説を読むと、さよりが「すてき」だと思った絵を描いた女性は、70歳を過ぎてから筆を執り、101歳で生涯を閉じた――と書いてあった。

「すごい…」

 思わず漏れ出た声に、俊也が反応したので、さよりは解説文を指さした。

「ここ。こんな人がいるんですね」
「へえ。これは確かにすごい」

 当時の日本人の平均寿命は、男性が75歳強、女性も80歳をわずかに上回ったばかりだった。
 その年齢で絵を描き始めたことが、むしろ長生きの秘密だったのかもしれない。

グランマおばあちゃんモーゼスって名前もいいですよね。
 みんなにそんなふうに呼ばれるの、憧れます」
「さよりは“おばあちゃん”なんて呼ばれたいの?」
「おばあちゃんになったら、ですよ。少なくとも、“ジジィ”“ババァ”と呼ばれたい人はいないでしょ?」
「ああ。まあ、そうかな」

 俊也は「今まで女の子と、こんな話をしたことはなかったな」と、妙にほのぼのとした、温かい気持ちになった。

 やっぱりこの子は「いい」。

 多分、「そういう」ことをしなくても、一緒にいて楽しい、心地よい、愛おしいと思わせる子ではあるだろう。

 だが、体の関係がある状態でほのぼのするのと、「ヤれそうでヤれない」との間には、大分隔たりがある。
 付き合っていきたいからこそ、俊也にとっては、さよりとの肉体関係が重要に思えていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】地味令嬢の願いが叶う刻

白雨 音
恋愛
男爵令嬢クラリスは、地味で平凡な娘だ。 幼い頃より、両親から溺愛される、美しい姉ディオールと後継ぎである弟フィリップを羨ましく思っていた。 家族から愛されたい、認められたいと努めるも、都合良く使われるだけで、 いつしか、「家を出て愛する人と家庭を持ちたい」と願うようになっていた。 ある夜、伯爵家のパーティに出席する事が認められたが、意地悪な姉に笑い者にされてしまう。 庭でパーティが終わるのを待つクラリスに、思い掛けず、素敵な出会いがあった。 レオナール=ヴェルレーヌ伯爵子息___一目で恋に落ちるも、分不相応と諦めるしか無かった。 だが、一月後、驚く事に彼の方からクラリスに縁談の打診が来た。 喜ぶクラリスだったが、姉は「自分の方が相応しい」と言い出して…  異世界恋愛:短編(全16話) ※魔法要素無し。  《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆ 

「おまえを愛している」と言い続けていたはずの夫を略奪された途端、バツイチ子持ちの新国王から「とりあえず結婚しようか?」と結婚請求された件

ぽんた
恋愛
「わからないかしら? フィリップは、もうわたしのもの。わたしが彼の妻になるの。つまり、あなたから彼をいただいたわけ。だから、あなたはもう必要なくなったの。王子妃でなくなったということよ」  その日、「おまえを愛している」と言い続けていた夫を略奪した略奪レディからそう宣言された。  そして、わたしは負け犬となったはずだった。  しかし、「とりあえず、おれと結婚しないか?」とバツイチの新国王にプロポーズされてしまった。 夫を略奪され、負け犬認定されて王宮から追い出されたたった数日の後に。 ああ、浮気者のクズな夫からやっと解放され、自由気ままな生活を送るつもりだったのに……。 今度は王妃に?  有能な夫だけでなく、尊い息子までついてきた。 ※ハッピーエンド。微ざまぁあり。タイトルそのままです。ゆるゆる設定はご容赦願います。

【完結】復讐の館〜私はあなたを待っています〜

リオール
ホラー
愛しています愛しています 私はあなたを愛しています 恨みます呪います憎みます 私は あなたを 許さない

再婚なんてしないで!お父さんが選んだ女性が性格悪くて悩む私が最後に選んだことに悔いはない。

白崎アイド
大衆娯楽
お母さんが家を出て行ってから、お父さんが再婚すると言い出した。 でも、再婚なんてしないでと、心から願う私に冷たくする父親は期待も虚しく、再婚してしまった。 再婚相手は一緒に住みだすとひどいことばかり言ってくる。 耐えられなくなった私は、体当たりで復讐をすることを決めた。

幼馴染以上恋人未満 〜お試し交際始めてみました〜

鳴宮鶉子
恋愛
婚約破棄され傷心してる理愛の前に現れたハイスペックな幼馴染。『俺とお試し交際してみないか?』

救国の大聖女は生まれ変わって【薬剤師】になりました ~聖女の力には限界があるけど、万能薬ならもっとたくさんの人を救えますよね?~

日之影ソラ
恋愛
千年前、大聖女として多くの人々を救った一人の女性がいた。国を蝕む病と一人で戦った彼女は、僅かニ十歳でその生涯を終えてしまう。その原因は、聖女の力を使い過ぎたこと。聖女の力には、使うことで自身の命を削るというリスクがあった。それを知ってからも、彼女は聖女としての使命を果たすべく、人々のために祈り続けた。そして、命が終わる瞬間、彼女は後悔した。もっと多くの人を救えたはずなのに……と。 そんな彼女は、ユリアとして千年後の世界で新たな生を受ける。今度こそ、より多くの人を救いたい。その一心で、彼女は薬剤師になった。万能薬を作ることで、かつて救えなかった人たちの笑顔を守ろうとした。 優しい王子に、元気で真面目な後輩。宮廷での環境にも恵まれ、一歩ずつ万能薬という目標に進んでいく。 しかし、新たな聖女が誕生してしまったことで、彼女の人生は大きく変化する。

婚約者が隣国の王子殿下に夢中なので潔く身を引いたら病弱王女の婚約者に選ばれました。

ユウ
ファンタジー
辺境伯爵家の次男シオンは八歳の頃から伯爵令嬢のサンドラと婚約していた。 我儘で少し夢見がちのサンドラは隣国の皇太子殿下に憧れていた。 その為事あるごとに… 「ライルハルト様だったらもっと美しいのに」 「どうして貴方はライルハルト様じゃないの」 隣国の皇太子殿下と比べて罵倒した。 そんな中隣国からライルハルトが留学に来たことで関係は悪化した。 そして社交界では二人が恋仲で悲恋だと噂をされ爪はじきに合うシオンは二人を思って身を引き、騎士団を辞めて国を出ようとするが王命により病弱な第二王女殿下の婚約を望まれる。 生まれつき体が弱く他国に嫁ぐこともできないハズレ姫と呼ばれるリディア王女を献身的に支え続ける中王はシオンを婿養子に望む。 一方サンドラは皇太子殿下に近づくも既に婚約者がいる事に気づき、シオンと復縁を望むのだが… HOT一位となりました! 皆様ありがとうございます!

欲情しないと仰いましたので白い結婚でお願いします

ユユ
恋愛
他国の王太子の第三妃として望まれたはずが、 王太子からは拒絶されてしまった。 欲情しない? ならば白い結婚で。 同伴公務も拒否します。 だけど王太子が何故か付き纏い出す。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ

処理中です...