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2-失恋
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ついに卒業式が終わった。あのゴリラの集団から解放される時が来たのだ。いま振り返ってみれば、実に濃密な高校生活だったと思う。
教室に戻る途中、前方から聞き慣れた笑い声が上がった。不思議なことに、その時の朝好は特別な感慨を覚えた。前を見たら、バスケットボール部のグループが先を歩いている。修司の姿もあった。
「この後、カラオケに行こうぜ」
男子が修司に話しかける。決して、後ろにいる朝好に向けて放った言葉ではない。
「いいんじゃね」
修司が気怠げに答える。
「修司さ、さっきの子、一年だろう」
「ボタンの予約をされたんだって?」
彼らが修司に詰め寄る。
「しつこかったからな」
「うらやましいやつっ」
手を伸ばせば届く距離に修司がいる。見慣れた彼の存在に、朝好はやけに呼吸が浅くなった。
早歩きで階段を上っていく彼らとは違い、修司はのろのろと歩調をゆるめた。
「先行ってて、トイレ」
修司が彼らに言った。
「分かった、早くしろよな」
「ああ」
彼らは階段を上りきって姿が見えなくなる。一人残された修司は、ゆっくりとした動作でこちらを振り返り、背後の朝好を一瞥する。何というタイミングだ。
朝好は、きっと修司は自分に興味があるはずだから、話しかけても罰が当たらないだろう。と言った自意識が彼に話しかける原動力となり、彼のまばゆいまでの威力が朝好の胸に点火して狼煙を上げさせた。
朝好は修司に声を掛けようと、なけなしの勇気を振り絞って口を開いた。
「野崎くん」
初めて修司の名を呼んだ。
奇跡的に修司が足を止めてくれた。彼はその信じられないくらい美しい顎のラインを傾けて、切れ長の目で朝好を捉えた。
「なに」
修司の反応が薄い。もっと喜んでくれるものかと思ったのに、どうしたのだろう。
朝好は修司の冷たい声に動揺する。それでも何とかして笑みを作り、場の空気を和らげようとした。いま修司の頭の中では、はてなマークが浮かんでいることだろうと思う。彼に話しかけられる最後のチャンスだから、なんて身の程をわきまえなかった自分が悪い。朝好は表情を崩さないように無理やり口角を上げた。きっと今の自分は変な顔をしているのだろう。
「少し話をしたかっただけ」
「それで」
突き放すような冷たい声だった。
修司の声が耳に残る。近くに彼の匂いがしても、彼の息づかいを感じても、それらを甘受する権利が自分にはない。その残酷な事実を突き付けられた朝好は、すうっと短く空気を吸って息を殺した。
「早くしてくれないか」
修司の許しが下りた。朝好は意を決して息を吐く。
「あっ、そうだよね」
影の薄い朝好が次の言葉を選ぼうと、口をパクパクさせた。
「なんだよ、俺に告白でもしたいの?」
修司は鼻の先でせせら笑う。朝好は彼を前にして、目を開いて唇を震わせた。
修司への思いは恋愛とは違う気がする。むしろ憧憬に近い。それに、彼のこんな人を見下すような顔を見たことがない。いつも彼を中心にして会話が回る。彼は人を飽きさせることがないし、決しておごらない。人を笑わすことはあっても、人を笑うような真似だけはしない男だった。そのはずだ。
「えっ」
即座に肯定も否定もしないでいたら、修司に強い力で腕を掴まれる。彼はその長い足で、近くの階段を大股で上った。朝好も彼に従い、段差を二つ飛ばしで二階に上がった。
修司が乱暴に手を離すものだから、朝好はよろめいてしまう。
「お前と話しているのを他の奴らに見られるの嫌なんだけど」
と、素っ気なく返された。
頬を切るような鋭い声音だった。廊下は静まりかえっているのに、朝好の胸の中では悲痛な叫び声がこだました。修司の視線がいつも自分に向いたとしても、彼にとって朝好はただのクラスメイトだって、特別な存在ではないのだ。自分はなにか勘違いしていたようだ。自分は他の生徒とは違う、なんて多少なりとも期待していた。
窓の向こうで風が吹く。桜の花びらがひらひらと校舎の中庭で泳いでいた。それは一息吐く前にどこかへ吸い込まれていく。自分も、このうるさい心臓も、この沈み込む気持ちも、風に吹き飛ばされてしまえばいいのに。
このまま口を開けば、きっと後悔する。情けない台詞しか出てこないだろう。
だから、朝好は口をつぐんだ。
「そういう顔をするなよ、困るだろう」
顔も見たくないのか、と朝好は頭を下げた。
「ごめん、でもこれだけは言わせてください」
「なんだよ」
修司は口元に手を当てて表情を隠している。朝好が告白をすると思い、笑いをこらえているのだ。だからこそ、彼に『また会おう』なんて言葉は場違いで、希望的観測に過ぎない戯れ言だ。もし口に出したら、自分が傷つくのは目に見えている。自分の気持ちを相手にぶつけて、それですっきりするなら、彼の顔色なんてうかがわない。一方的に喋り出している。
朝好が確信できるのは、これから自分の進む先に修司はいないし、彼の歩む素晴らしい道とは一ミリだってかすりもしないことだ。奇跡的に彼と重なった道も今日で分岐点に入り、明日から彼はいない。朝好が出来ることと言えば、彼の背に向かい手を振り、お別れをすることくらいだ。
これは恋愛とかはかない思いではない。自分は年を取っても、彼のいたこの二年間を忘れないだろう。だから、朝好はこの夢の時間と決別しなくてはならない。ここで彼に告げなければ、未練という呪いで一生引きずられることになる。
「野崎くん、さようなら」
言い終えると、無性に泣けてきた。自分一人で勝手に盛り上がって何をしているのか。
修司は虚を突かれたみたいな顔をした。
「なんだよ、それ」
朝好の一方的な言い様に苛立ったのか、修司は眉を寄せる。
背の高い彼に睨まれたら、顔も体格も平均的な朝好は否応なしに畏縮してしまう。それでも彼に弱いやつだと笑われないように、彼の目を見据える。
「もう、野崎くんとは会えないから、今までありがとうを伝えたくて」
「海外にでも行くのかよ」
「違う……」
要領を得ない会話に、修司は艶のある髪をかきむしった。
「お前ってさ、本当にわけわかんねえの」
「うん、自分でも何を言いたいのか分からなくなった」
朝好は制服のブレザーのボタンを意味もなくいじった。そう言えば、と修司の制服のボタンを見た。彼のボタンは全部外れていた。朝好のボタンを欲しがる人はいなかったからこそ、余計に彼が羨ましく思えてくる。彼の第二ボタンを欲しかったな、と朝好はぼんやりとした頭で考えた。
「そう物欲しげに見られても困るんだよな」
「そうだね、見過ぎてた」
「仕様がないな、ほら、これをやるよ」
そう言って、修司はブレザーのポケットからアクリルキーホルダーを取り出す。てっこちゃんのキーホルダーが彼の大きな手のひらで光っている。彼はつくづく展開の読めない男だ。それでも、彼からの贈り物だ。無碍にしたら罰が当たる。
「いいの? うれしい、てっこちゃんだ」
朝好は喜んだ。てっこちゃんの桜大福バージョンはレアものだ。どうやってこれを手に入れたのだろうか。今日の朝好は鞄に抹茶大福のキーホルダーを付けていた。
「女子にもらってさ、あんまりにかわいくなくて捨てようかと思っていたんだ、ゴミ箱よりもお前が引き取ったほうがマシだろう」
散々な言い草に、朝好はここで怒るべきか笑うべきか迷った。てっこちゃんを馬鹿にするのは親でも許せないのに、ましてや相手は修司だ。修司が手にしたものを自分も実感でき、さらに保有できるのなら、それ以上の喜びはない。と、朝好は気持ちを静めた。
「そうなんだ、僕はこのキャラが好きだから、うれしい……」
朝好は目を伏せて、口元に笑みを作った。それは自然な表情ではなくて、無理にかたどった作り笑いだった。修司はかがみ込んで、朝好の顔をのぞき込んでくる。彼のきれいな顎が目に入ると、朝好は顔を上げて、至近距離で彼の茶色い目を見つめた。そこに惨めな顔をした自分が映っていた。
「他に言うことはないの」
修司はぐいっと手を差し出してくる。
「ありがとう」
受け取るときに、修司の手に触れた。そのゴツゴツした骨と湿った皮膚の感触に、朝好は肩を揺らした。
「なんだよっ」
修司は驚く程の速さで腕を引っ込めた。彼の激しい抵抗に、朝好の鼓膜がぷつんと小さな音を立てた。そんなに自分が嫌いなのか、そこまで嫌がらなくてもいいではないか。
そのときになって朝好は、修司に自分の名を呼ばれていないことに気が付き、無性に悲しくなった。彼の自分勝手な眼差しはなんだったのか。そんなの無関心よりも傷つくではないか。
「もう思い残すことはないから、これ、大事にするね、大学でもバスケ頑張ってください、さようなら」
朝好はか細い声で返した。もう一度、
「さようなら」
と、言い捨てた朝好は、修司の顔を見ないように階段を駆け下りた。
開いた窓から風が吹き込む。その風が、ほてった頬を撫でる。手のひらに存在するキーホルダーの角が肉をえぐる。てっこちゃんが「痛いよ」と泣いているかも知れない。
そのときになって分かったことがある。
自分は修司に恋をしていた。
あんなに冷たい態度をされた。それなのに、あの熱い眼差しを思い出すだけで、涙が溢れ出しそうだ。やはり彼が好きでどうしようもなくて、これが初恋なのだと思うと、馬鹿みたいに胸が高鳴る。
修司がクラスメイトの朝好の名を呼ばなかったし、彼とうまく話せなかった。それは自分が口下手だからだ。それだけが原因だと思いたい。いつも彼を中心に会話が回るのだから、朝好が彼に合わせたらいいのだ。冗談の一つも言えない自分を惨めに思うだけで、名無しの自分は救われるから。
修司は、朝好の電話番号もアドレスも聞かなかった。社交辞令でもいいから、
『SNSはやってるの』
なんて気の利いた言葉が出てくるのを、朝好は期待していた。それらしい答えだって用意してあった。修司に望んだのは小さな触れあいだった。
一瞬だけ彼の頭に自分が存在するだけで、生きていたことも間違いではないと思える。それだけで明日は光に満ち、全てが特別なものに思える。相手の言動次第で生活が変わるなんて、自分がないと笑われそうだ。
だけれども、初恋ってそういうものだろう。もっと独り善がりで、手探りで相手を求めるような思いだからこそ初恋なはずだ。絶対に交わらないからこそ、皆が揃って初恋は叶わないと言うのだ。そう考えないと、自分が惨めになるだけだ。明日から修司と違う道をどう歩いたらいいのか不安で、想像しただけで泣いてしまいそうになる。
「すごいな」
初恋の原動力に感嘆するも、木っ端みじんに打ち砕かれたから、心のやり場に困った。そう、困るだけだ。それで死ぬわけがない。それでも胸の内をえぐれたような激しい痛みを覚えた。
賑やかな教室の前で立ち止まり、窓の外を眺めた。これからの人生でおもしろおかしいことが起きるはず。きっとそうだ、と泡みたいに直ぐ消えてしまいそうな希望を抱いた。なんとなく涙が出た。
修司の薄い唇で、一度でも自分の名を呼んでくれさえすれば良かった。朝好は初恋という呪縛に捕らわれることはないはずだ。今すぐ彼のいる場所に戻り、
『僕の名を呼んで、一度だけでいいから、見られているだけじゃ、どうしようもないんだ』
そうしたら、しょっぱくて苦い初恋を忘れられるから、お願いだから。
朝好を取るに足らないクラスメイトだと否定してもいい。その代わり、自分は絶対に修司を否定しないから、そのままの彼を守るなら、自分は何だってできる気がした。それを本人に伝えようとしても、ここに修司はいない。彼を探すことも、自分から動くこともできないでいる。
廊下に人がまばらに出てきた。
朝好はどうしてだか耐えきれなくなって顔を覆う。彼への思いで胸が膨らんで、いまにでも破裂しそうだった。
教室に戻る途中、前方から聞き慣れた笑い声が上がった。不思議なことに、その時の朝好は特別な感慨を覚えた。前を見たら、バスケットボール部のグループが先を歩いている。修司の姿もあった。
「この後、カラオケに行こうぜ」
男子が修司に話しかける。決して、後ろにいる朝好に向けて放った言葉ではない。
「いいんじゃね」
修司が気怠げに答える。
「修司さ、さっきの子、一年だろう」
「ボタンの予約をされたんだって?」
彼らが修司に詰め寄る。
「しつこかったからな」
「うらやましいやつっ」
手を伸ばせば届く距離に修司がいる。見慣れた彼の存在に、朝好はやけに呼吸が浅くなった。
早歩きで階段を上っていく彼らとは違い、修司はのろのろと歩調をゆるめた。
「先行ってて、トイレ」
修司が彼らに言った。
「分かった、早くしろよな」
「ああ」
彼らは階段を上りきって姿が見えなくなる。一人残された修司は、ゆっくりとした動作でこちらを振り返り、背後の朝好を一瞥する。何というタイミングだ。
朝好は、きっと修司は自分に興味があるはずだから、話しかけても罰が当たらないだろう。と言った自意識が彼に話しかける原動力となり、彼のまばゆいまでの威力が朝好の胸に点火して狼煙を上げさせた。
朝好は修司に声を掛けようと、なけなしの勇気を振り絞って口を開いた。
「野崎くん」
初めて修司の名を呼んだ。
奇跡的に修司が足を止めてくれた。彼はその信じられないくらい美しい顎のラインを傾けて、切れ長の目で朝好を捉えた。
「なに」
修司の反応が薄い。もっと喜んでくれるものかと思ったのに、どうしたのだろう。
朝好は修司の冷たい声に動揺する。それでも何とかして笑みを作り、場の空気を和らげようとした。いま修司の頭の中では、はてなマークが浮かんでいることだろうと思う。彼に話しかけられる最後のチャンスだから、なんて身の程をわきまえなかった自分が悪い。朝好は表情を崩さないように無理やり口角を上げた。きっと今の自分は変な顔をしているのだろう。
「少し話をしたかっただけ」
「それで」
突き放すような冷たい声だった。
修司の声が耳に残る。近くに彼の匂いがしても、彼の息づかいを感じても、それらを甘受する権利が自分にはない。その残酷な事実を突き付けられた朝好は、すうっと短く空気を吸って息を殺した。
「早くしてくれないか」
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「あっ、そうだよね」
影の薄い朝好が次の言葉を選ぼうと、口をパクパクさせた。
「なんだよ、俺に告白でもしたいの?」
修司は鼻の先でせせら笑う。朝好は彼を前にして、目を開いて唇を震わせた。
修司への思いは恋愛とは違う気がする。むしろ憧憬に近い。それに、彼のこんな人を見下すような顔を見たことがない。いつも彼を中心にして会話が回る。彼は人を飽きさせることがないし、決しておごらない。人を笑わすことはあっても、人を笑うような真似だけはしない男だった。そのはずだ。
「えっ」
即座に肯定も否定もしないでいたら、修司に強い力で腕を掴まれる。彼はその長い足で、近くの階段を大股で上った。朝好も彼に従い、段差を二つ飛ばしで二階に上がった。
修司が乱暴に手を離すものだから、朝好はよろめいてしまう。
「お前と話しているのを他の奴らに見られるの嫌なんだけど」
と、素っ気なく返された。
頬を切るような鋭い声音だった。廊下は静まりかえっているのに、朝好の胸の中では悲痛な叫び声がこだました。修司の視線がいつも自分に向いたとしても、彼にとって朝好はただのクラスメイトだって、特別な存在ではないのだ。自分はなにか勘違いしていたようだ。自分は他の生徒とは違う、なんて多少なりとも期待していた。
窓の向こうで風が吹く。桜の花びらがひらひらと校舎の中庭で泳いでいた。それは一息吐く前にどこかへ吸い込まれていく。自分も、このうるさい心臓も、この沈み込む気持ちも、風に吹き飛ばされてしまえばいいのに。
このまま口を開けば、きっと後悔する。情けない台詞しか出てこないだろう。
だから、朝好は口をつぐんだ。
「そういう顔をするなよ、困るだろう」
顔も見たくないのか、と朝好は頭を下げた。
「ごめん、でもこれだけは言わせてください」
「なんだよ」
修司は口元に手を当てて表情を隠している。朝好が告白をすると思い、笑いをこらえているのだ。だからこそ、彼に『また会おう』なんて言葉は場違いで、希望的観測に過ぎない戯れ言だ。もし口に出したら、自分が傷つくのは目に見えている。自分の気持ちを相手にぶつけて、それですっきりするなら、彼の顔色なんてうかがわない。一方的に喋り出している。
朝好が確信できるのは、これから自分の進む先に修司はいないし、彼の歩む素晴らしい道とは一ミリだってかすりもしないことだ。奇跡的に彼と重なった道も今日で分岐点に入り、明日から彼はいない。朝好が出来ることと言えば、彼の背に向かい手を振り、お別れをすることくらいだ。
これは恋愛とかはかない思いではない。自分は年を取っても、彼のいたこの二年間を忘れないだろう。だから、朝好はこの夢の時間と決別しなくてはならない。ここで彼に告げなければ、未練という呪いで一生引きずられることになる。
「野崎くん、さようなら」
言い終えると、無性に泣けてきた。自分一人で勝手に盛り上がって何をしているのか。
修司は虚を突かれたみたいな顔をした。
「なんだよ、それ」
朝好の一方的な言い様に苛立ったのか、修司は眉を寄せる。
背の高い彼に睨まれたら、顔も体格も平均的な朝好は否応なしに畏縮してしまう。それでも彼に弱いやつだと笑われないように、彼の目を見据える。
「もう、野崎くんとは会えないから、今までありがとうを伝えたくて」
「海外にでも行くのかよ」
「違う……」
要領を得ない会話に、修司は艶のある髪をかきむしった。
「お前ってさ、本当にわけわかんねえの」
「うん、自分でも何を言いたいのか分からなくなった」
朝好は制服のブレザーのボタンを意味もなくいじった。そう言えば、と修司の制服のボタンを見た。彼のボタンは全部外れていた。朝好のボタンを欲しがる人はいなかったからこそ、余計に彼が羨ましく思えてくる。彼の第二ボタンを欲しかったな、と朝好はぼんやりとした頭で考えた。
「そう物欲しげに見られても困るんだよな」
「そうだね、見過ぎてた」
「仕様がないな、ほら、これをやるよ」
そう言って、修司はブレザーのポケットからアクリルキーホルダーを取り出す。てっこちゃんのキーホルダーが彼の大きな手のひらで光っている。彼はつくづく展開の読めない男だ。それでも、彼からの贈り物だ。無碍にしたら罰が当たる。
「いいの? うれしい、てっこちゃんだ」
朝好は喜んだ。てっこちゃんの桜大福バージョンはレアものだ。どうやってこれを手に入れたのだろうか。今日の朝好は鞄に抹茶大福のキーホルダーを付けていた。
「女子にもらってさ、あんまりにかわいくなくて捨てようかと思っていたんだ、ゴミ箱よりもお前が引き取ったほうがマシだろう」
散々な言い草に、朝好はここで怒るべきか笑うべきか迷った。てっこちゃんを馬鹿にするのは親でも許せないのに、ましてや相手は修司だ。修司が手にしたものを自分も実感でき、さらに保有できるのなら、それ以上の喜びはない。と、朝好は気持ちを静めた。
「そうなんだ、僕はこのキャラが好きだから、うれしい……」
朝好は目を伏せて、口元に笑みを作った。それは自然な表情ではなくて、無理にかたどった作り笑いだった。修司はかがみ込んで、朝好の顔をのぞき込んでくる。彼のきれいな顎が目に入ると、朝好は顔を上げて、至近距離で彼の茶色い目を見つめた。そこに惨めな顔をした自分が映っていた。
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「ありがとう」
受け取るときに、修司の手に触れた。そのゴツゴツした骨と湿った皮膚の感触に、朝好は肩を揺らした。
「なんだよっ」
修司は驚く程の速さで腕を引っ込めた。彼の激しい抵抗に、朝好の鼓膜がぷつんと小さな音を立てた。そんなに自分が嫌いなのか、そこまで嫌がらなくてもいいではないか。
そのときになって朝好は、修司に自分の名を呼ばれていないことに気が付き、無性に悲しくなった。彼の自分勝手な眼差しはなんだったのか。そんなの無関心よりも傷つくではないか。
「もう思い残すことはないから、これ、大事にするね、大学でもバスケ頑張ってください、さようなら」
朝好はか細い声で返した。もう一度、
「さようなら」
と、言い捨てた朝好は、修司の顔を見ないように階段を駆け下りた。
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そのときになって分かったことがある。
自分は修司に恋をしていた。
あんなに冷たい態度をされた。それなのに、あの熱い眼差しを思い出すだけで、涙が溢れ出しそうだ。やはり彼が好きでどうしようもなくて、これが初恋なのだと思うと、馬鹿みたいに胸が高鳴る。
修司がクラスメイトの朝好の名を呼ばなかったし、彼とうまく話せなかった。それは自分が口下手だからだ。それだけが原因だと思いたい。いつも彼を中心に会話が回るのだから、朝好が彼に合わせたらいいのだ。冗談の一つも言えない自分を惨めに思うだけで、名無しの自分は救われるから。
修司は、朝好の電話番号もアドレスも聞かなかった。社交辞令でもいいから、
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一瞬だけ彼の頭に自分が存在するだけで、生きていたことも間違いではないと思える。それだけで明日は光に満ち、全てが特別なものに思える。相手の言動次第で生活が変わるなんて、自分がないと笑われそうだ。
だけれども、初恋ってそういうものだろう。もっと独り善がりで、手探りで相手を求めるような思いだからこそ初恋なはずだ。絶対に交わらないからこそ、皆が揃って初恋は叶わないと言うのだ。そう考えないと、自分が惨めになるだけだ。明日から修司と違う道をどう歩いたらいいのか不安で、想像しただけで泣いてしまいそうになる。
「すごいな」
初恋の原動力に感嘆するも、木っ端みじんに打ち砕かれたから、心のやり場に困った。そう、困るだけだ。それで死ぬわけがない。それでも胸の内をえぐれたような激しい痛みを覚えた。
賑やかな教室の前で立ち止まり、窓の外を眺めた。これからの人生でおもしろおかしいことが起きるはず。きっとそうだ、と泡みたいに直ぐ消えてしまいそうな希望を抱いた。なんとなく涙が出た。
修司の薄い唇で、一度でも自分の名を呼んでくれさえすれば良かった。朝好は初恋という呪縛に捕らわれることはないはずだ。今すぐ彼のいる場所に戻り、
『僕の名を呼んで、一度だけでいいから、見られているだけじゃ、どうしようもないんだ』
そうしたら、しょっぱくて苦い初恋を忘れられるから、お願いだから。
朝好を取るに足らないクラスメイトだと否定してもいい。その代わり、自分は絶対に修司を否定しないから、そのままの彼を守るなら、自分は何だってできる気がした。それを本人に伝えようとしても、ここに修司はいない。彼を探すことも、自分から動くこともできないでいる。
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