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4.彼と約束した過去
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週末に文生の屋敷に住居を移し、彼の衣食住を管理した。モデルを務めた夜、
「何してるの」
と、青梅は聞いた。服を着ようとしたら、文生に背後から抱き寄せられた。
「あんたを愛してる、恋人と別れたんですよね、なら、俺でいいはずだ」
と、文生に頼まれた。青梅に相手がいたことをなんで文生が知っているのか、嫌な予感がした。
「文生、誰から聞いたの」
既視感のある台詞だ。
「俺、青梅さんのことなら何でも知っています、ずっと見てきた」
それは暗に、ストーカーをしていたということか。
「青梅さんに恋人が出来て、俺ぶち切れて、何枚も絵を破りました、それでも収まらなくて、」
文生の言葉を遮った。
「彼女が別れ話を切り出した時にね言われたんだ、僕以外に好きな人がいるんだって、その人、僕よりも優しくしてくれたって、あれ、お前だったんだ」
「そうですよ」
「お前、本当に最低だな」
多少我が侭なところもあったが、それなりに彼女が好きだった。それでも、青梅はどうしても彼女を文生以上に愛せなかった。
「あの女、俺が言い寄った翌日に連絡を入れてきたんですよ、どうせ俺の名を検索して、金を運ぶ男だなと食いついたんでしょう、『恋人がいるのに大丈夫なの』ってけん制しても直ぐに乗っかってきて、青梅さん見る目ないなって笑っちゃいましたよ」
「あの子は弱い子だ、酷いことをしたら」
何を思ったか文生が噴きだした。首を回すと、文生は得意な顔をしていた。
「あんたが心配するような真似はしていませんよ、一応は青梅さんの元恋人だ、お姫様よろしく丁重に扱いました、もちろん何回か抱きましたけど、だって青梅さんが抱いた女ですから……ね」
文生の欲望に吐き気がした。
「あとは、俺の師匠が奥さんを亡くしたばかりで寂しがっていたので紹介しました」
「人でなしっ」
青梅は噛みつかんばかりに怒鳴った。人を人とも思わぬ男だ、と文生の拘束を剥ぎ取り、睨みつけた。顔面の筋肉をけいれんさして、もっと罵ってやろうとした。それなのに青梅は口ごもった。文生の手があかぎれてごつごつの手になり、痩せ細った姿を認めて、彼を憎みきれない自分がいた。この男を放っておけば、骨と皮だけになって勝手に死ぬだろうに。
青白い乾いた首筋に手を添えても、文生は煌々と目を輝かせただけで抵抗しなかった。
「俺は人でなしだ、あんたを手に入れるためなら何だってしてみせる」
文生は足元にひざまずき、青梅の太ももに頬ずりした。
「なら、僕だって同じだ」
文生にとって過去の男になるのだけはいやだった。文生に捨てられたら死んだ方がましだ。
「青梅さん」
文生の頭を撫でながら、青梅は恥を知らぬ子供みたいに顔を綻ばす。
「なあ文生、僕の絵を描いてくれないか、言い値で前金は支払う」
「自分で描かないんですか、あんたは画家だ、俺はあんたの絵が好きだ、カドミウムイエローディープ、あれを忘れない」
青梅が頻繁に使っていた色の名前だ。よく覚えているな、と青梅はもう一枚も自分の絵を手元に遺していないことを、この時なって悔やんだ。
「文生の絵で見たいんだ、僕は人を描くのが下手だから」
夜の闇に似た、文生の瞳がこちらを不安げに見てくる。彼の口が開くのを、自分の心臓の音を聞きながら待った。文生は口を開いたり閉じたりして、最後に泣き笑いのような表情をした。
「金はいらない」
「両親の遺産が手元にある、どこかに寄付するか、お前に渡すか考えたら、一度だけ派手な真似をしようって心に決めたんだ、画家のパトロンになる、それって、人生で一度あるかないかだろう」
泥水を吸って養分にしてこそ、蓮は大輪の花が咲く。泥の闇の中でいつか沈んでもいいから、この男と一緒になってでも光の届かない場所で泳ぎたい。文生とならそこは極楽だろう。
「文生、お前が好きだ」
青梅の腰を掻き抱く文生の唇が震え、それからゆっくりと顔が歪んでいく。青梅の薄い肉に食い込む指は、まるで蓮の糸が足に絡んでしまい、溺れないようにすがり付いているかのようだった。
「金はいらない、その代わり、俺のそばにいて、ずっとだ」
もう一度、文生は口をついた。
「そんなことでいいのか」
「それが、俺にとってどれだけすごいことか、あんたは分かっていない」
「分かるものか、まぁ、これから時間はたくさんあるから」
さあさあ、と外で雨が降り始めた。文生の顔に窓ガラスに零れ落ちる雨が映った。
「あんたを見ていると、死への恐怖が和らぐ」
文生は青梅の世界を土足で踏み荒らした。彼は青梅を惑わせた虚国の王様のようだった。
「そうなんだ、良かったよ」
その夜、文生に抱かれた。
「何してるの」
と、青梅は聞いた。服を着ようとしたら、文生に背後から抱き寄せられた。
「あんたを愛してる、恋人と別れたんですよね、なら、俺でいいはずだ」
と、文生に頼まれた。青梅に相手がいたことをなんで文生が知っているのか、嫌な予感がした。
「文生、誰から聞いたの」
既視感のある台詞だ。
「俺、青梅さんのことなら何でも知っています、ずっと見てきた」
それは暗に、ストーカーをしていたということか。
「青梅さんに恋人が出来て、俺ぶち切れて、何枚も絵を破りました、それでも収まらなくて、」
文生の言葉を遮った。
「彼女が別れ話を切り出した時にね言われたんだ、僕以外に好きな人がいるんだって、その人、僕よりも優しくしてくれたって、あれ、お前だったんだ」
「そうですよ」
「お前、本当に最低だな」
多少我が侭なところもあったが、それなりに彼女が好きだった。それでも、青梅はどうしても彼女を文生以上に愛せなかった。
「あの女、俺が言い寄った翌日に連絡を入れてきたんですよ、どうせ俺の名を検索して、金を運ぶ男だなと食いついたんでしょう、『恋人がいるのに大丈夫なの』ってけん制しても直ぐに乗っかってきて、青梅さん見る目ないなって笑っちゃいましたよ」
「あの子は弱い子だ、酷いことをしたら」
何を思ったか文生が噴きだした。首を回すと、文生は得意な顔をしていた。
「あんたが心配するような真似はしていませんよ、一応は青梅さんの元恋人だ、お姫様よろしく丁重に扱いました、もちろん何回か抱きましたけど、だって青梅さんが抱いた女ですから……ね」
文生の欲望に吐き気がした。
「あとは、俺の師匠が奥さんを亡くしたばかりで寂しがっていたので紹介しました」
「人でなしっ」
青梅は噛みつかんばかりに怒鳴った。人を人とも思わぬ男だ、と文生の拘束を剥ぎ取り、睨みつけた。顔面の筋肉をけいれんさして、もっと罵ってやろうとした。それなのに青梅は口ごもった。文生の手があかぎれてごつごつの手になり、痩せ細った姿を認めて、彼を憎みきれない自分がいた。この男を放っておけば、骨と皮だけになって勝手に死ぬだろうに。
青白い乾いた首筋に手を添えても、文生は煌々と目を輝かせただけで抵抗しなかった。
「俺は人でなしだ、あんたを手に入れるためなら何だってしてみせる」
文生は足元にひざまずき、青梅の太ももに頬ずりした。
「なら、僕だって同じだ」
文生にとって過去の男になるのだけはいやだった。文生に捨てられたら死んだ方がましだ。
「青梅さん」
文生の頭を撫でながら、青梅は恥を知らぬ子供みたいに顔を綻ばす。
「なあ文生、僕の絵を描いてくれないか、言い値で前金は支払う」
「自分で描かないんですか、あんたは画家だ、俺はあんたの絵が好きだ、カドミウムイエローディープ、あれを忘れない」
青梅が頻繁に使っていた色の名前だ。よく覚えているな、と青梅はもう一枚も自分の絵を手元に遺していないことを、この時なって悔やんだ。
「文生の絵で見たいんだ、僕は人を描くのが下手だから」
夜の闇に似た、文生の瞳がこちらを不安げに見てくる。彼の口が開くのを、自分の心臓の音を聞きながら待った。文生は口を開いたり閉じたりして、最後に泣き笑いのような表情をした。
「金はいらない」
「両親の遺産が手元にある、どこかに寄付するか、お前に渡すか考えたら、一度だけ派手な真似をしようって心に決めたんだ、画家のパトロンになる、それって、人生で一度あるかないかだろう」
泥水を吸って養分にしてこそ、蓮は大輪の花が咲く。泥の闇の中でいつか沈んでもいいから、この男と一緒になってでも光の届かない場所で泳ぎたい。文生とならそこは極楽だろう。
「文生、お前が好きだ」
青梅の腰を掻き抱く文生の唇が震え、それからゆっくりと顔が歪んでいく。青梅の薄い肉に食い込む指は、まるで蓮の糸が足に絡んでしまい、溺れないようにすがり付いているかのようだった。
「金はいらない、その代わり、俺のそばにいて、ずっとだ」
もう一度、文生は口をついた。
「そんなことでいいのか」
「それが、俺にとってどれだけすごいことか、あんたは分かっていない」
「分かるものか、まぁ、これから時間はたくさんあるから」
さあさあ、と外で雨が降り始めた。文生の顔に窓ガラスに零れ落ちる雨が映った。
「あんたを見ていると、死への恐怖が和らぐ」
文生は青梅の世界を土足で踏み荒らした。彼は青梅を惑わせた虚国の王様のようだった。
「そうなんだ、良かったよ」
その夜、文生に抱かれた。
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