祝祭

佐治尚実

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3.最終日

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 翌朝、孝正が目を覚ますと、新型のエアコンが静かに音を立てていた。隣に楓はいなくて、シーツはひんやりしていた。その代わり枕元には着替えが用意されていた。孝正はだるい身体を起こして袖を通した。一階に下りてリビングに向かう。楓が台所で、自分達の好きなバンドの曲を口ずさみながら、フライパンで目玉焼きとベーコンを焼いている。

「おはよう」
「おはようございます」

 朝食を食べ終えて、楓の運転する車で、彼の用意した服で出勤した。帰りも楓が迎えに来た。その翌日も、次の日も、いつの日かエアコンの予定日が近くなっても、孝正は自分のアパートに帰らなかった。

 明後日にエアコン業者が来るから、荷物をまとめないといけない。鞄に新しい服を詰め込んでいたら、ベッドに押し倒されて呆れるほど互いの身体を絡めて、胎内で楓の指と長い舌を受け入れた。それでも、自分達は最後までしていない。

 翌日、仕事を夕方に終えて、待機していた楓の車で黒川家に戻った。揃って浴衣に着がえた。楓は黒、孝正はグレーだった。

「似合っているよ」
「楓さんだって」

 何度も口づけを交わした。互いの唾液が顎を伝う。このままでは、祭りどころではなくなりそうだから、孝正は楓の胸の中から抜け出した。

「ほら、行きましょう」
「ああ、そうだな」

 楓の力強い手に引かれて、家を飛び出した。神社にたどり着き、参道に並ぶ出店や、浴衣で練り歩く人の中をかい潜った。どちらかの汗でぬめった手がほどけないよう、何度も繋ぎ直す。夕方に雨が上がったばかりで、孝正の首を撫でる空気は重たい。焼きとうもろこしの香ばしい空気に鼻を動かし、生地が胸にへばりつくから襟を扇ぐ。腕で額のさらりとした汗をぬぐう。石畳にサンダルの先を突っかけそうになり、衿下から伸びた脚で重心を支える。

「大丈夫か」

 と、楓の厚い胸に抱き寄せられる。孝正は気恥ずかしさから小さく頷く。はたから見て、僕達はどう映っているのだろうか。見知らぬ顔が僕に向けて、慈愛に満ちた笑みをまとわせている。手を繋いだまま境内の長い階段を上り、見晴らしの良いベンチに腰を下ろす。互いの気持ちを探るように視線を絡ませながら、途中の出店で買ったラムネで、喉の渇きを満たす。
 篝火の影で楓の表情が隠れた。今夜が約束の二週間目だ。もう一度だけ、楓の肌に触れたい。孝正が手を絡めたら、骨の硬さが伝わるくらいに握り返される。

「孝正、考えてくれないか」
「何をですか」

 楓は一つの迷いもなく、孝正の手の甲に唇を押し当てた。それだけで孝正は湿った吐息を漏らす。

「恋人として、一緒に暮らさないか」

 花火が上がる。夜空に舞う色とりどりの発光を見ないで、楓は孝正だけを見つめている。最高の演出だ。読者は次に口づけを待っている。自分の作った安直なシナリオに孝正は小さく笑うしかなかった。セックスでは挿入を許していない。だから楓はこうも必死なのだろうか、楓は何度も愛の言葉をささやいたではないか。何を思い悩む必要があるのだ。

「泣かないでください」

 孝正が返答に困っていたから、楓の目に涙が滲み出した。あっと言う間もなく涙があふれ出す。

「君だけなんだ、俺が必要なのは君だけなんだ」

 悔しいことに、孝正の涙腺も刺激されて、目から口から楓への愛が流れ出た。

「僕はよした方が良いですよ、楓さんならもっと綺麗な人がお似合いですよ」

 楓に手首を掴み上げられた。口を開いては閉じて、何かを伝えようとしてくる。

「君は誰よりも美しい、誰よりも孝正が愛おしい、俺を探し出してくれた」

 花火の音に、近くにいた子供が騒ぐ。恋人達が楓と孝正が手を繋いでいることに、奇異の目で笑う。楓が勇気のある優しさを見せていると知らないくせに笑うな。孝正だって本当の楓を見ようとしなかった。

「僕は、このところ無茶なことばかり言って、楓さんを困らせました、楓さんを好きなのは本当です、ただ怖いんです、僕は新しい思いに怯えて動けない、貴方に触れてほしくて堪らないのに、貴方に名を呼んで貰いたいのに、楓さんとだけ恋をしたい、僕だけが楓さんの心を奪いたい、どうしても上手い言葉が出てこないんです」

 楓の顔に喜々とした表情が浮かんだ。

「どうしたらいいんだろうな」
「どちらも頼りないですね」
「それでいいじゃないか、互いに足りないところを補えば、何とかなる」

 楓の顔がオレンジ色に染まる。次は赤、青、黄色、銀色と忙しない。楓の灰色の目は小さな洞穴みたいだ。違う、落とし穴だ。どう抗っても魅入られる。

 楓はいつまでも孝正を凝視している。

「そうですね」

 孝正は彼と額を合わせて、探るように口づけをした。その夜、楓に抱かれた。人が人を愛することの尊さを、楓が全て教えてくれた。
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