花香る人

佐治尚実

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くしゃみ

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 あと数ページだ。

 花が満開に咲く時を待つ夢の世界から、彼がいる世界へ戻らないといけない。

 ユイトは焦る気持ちのまま茶色く変色した紙を、 少しささくれた指先でめくろうとした。だが急に鼻がむず痒いと感じる。ふわりと花の香りが、鼻の下に触れる気がした。花屋の前を通るときに似ている。香りの品評を続けるべきか、気を取られていたユイトは盛大なくしゃみをした。

「っくしょん――!」

 前屈みになり肩を揺らしたユイトは、咄嗟に手で口を押さえる。立て続けに二回目のくしゃみが出ると、小さく呻き声を上げては鼻をすする。

「ユイト大丈夫?」

 花の妖精が囁くかのような、透き通る声が隣の席から聞こえた。虚ろな視線を動かすと、香りの発生源であろう親友のカイが、肩を近づけては自分の顔をのぞき込んできた。

「ごめんっ、飛んだ? ごめんなさい」

 普段から何事にも動じない、物静かな表情のカイが目を丸くさせている。焦ったユイトは制服のポケットから、急いでハンカチを取り出した。これを使ってくれと差し出すが、カイは打って変わり表情を緩めては、首を横に振る。

「俺なら大丈夫だよ」

 制服のジャケットに飛沫が付着したのか、軽く払うカイは気にしないでと微笑んだ。

(いやそうじゃなくて、頼むから使ってほしい)

 カイの制服を汚した申し訳なさから、繰り返しユイトは謝った。それでも彼は逆にユイトの心配をしてくれる。優しい人だな、そう心を打たれるユイトは行き渡らないハンカチを、渋々ジャケットのポケットにしまった。

「ユイト、俺たちは ”ここ”に彼是一時間はいる」

 ”ここ”とは、暖房が入っているが、隙間風で吐く息が白くなる程の、年季の入った学校の図書館。高校二年の自分達は、明日から冬休みという貴重な放課後の時間を共に過ごしていた。
 互いに椅子に座っていても、ユイトは貴公子然としたカイの顔を見上げる。ユイトは百六十五センチまで数ミリの、男としては小柄な体型だ。
 比べてカイは十七の年齢で、既に百八十センチを優に超えていた。その類い希な美貌は遠くからでも確認できる、親切な神の配慮なのだろうか。カイと二人並んで歩く度に、ユイトはいつも見劣りする自分が情けないと、落ち込むことが増えた。
 眉目秀麗でいて、誰に対しても平等に思慮深い。カイは正に神の化身を思わせる、素晴らしい青年であった。一方ユイトはこれといって取り柄のない、自分でも誇れる特徴を持てずにいた。

「う、うん・・・・・・ごめん」

 カイの言いたい事は最もだ。

「ほら、手を出して」

 言われた通りに怖ず怖ずと差し出した手は、自分から見ても小さい。頼りなく感じられた。

「可哀そうに、ユイトの白い手が冷たくなって」

 心の露を白く吐き出すカイは、太い指を絡ませては骨ばった手で包んだ。彼に触れてから自分はいつの間にか、身体が冷え切っていたと知る。

「カイの手、温かいね」

「くしゃみをするユイトは可愛いけれど、風邪はひかないでね」

 コートを椅子の背もたれに掛けて、寒さを忘れるほどに読書に夢中になっていた。その横でカイだけはコートを着て、興味なさそうに手にした本を読むふりを続けていた。
 彼と親しくなるにつれ、日々育ちの違いを感じさせられる。普段からカイが身に纏う衣類や、さり気ない所作はどれも気品に富んでいた。この年の若さで、上質なカシミヤのロングコートを嫌みなく着こなせる青年はそうはいない。物の良し悪しに疎い一般庶民のユイトから見ても、
カイが学校で一目置かれた存在である事に疑う余地もなかった。

「手を、もう寒くないから、カイ」

 いつまでも手を離そうとしないカイに、戸惑いを感じる。放課後まで寒い場所に付き合わせてしまい悪かった。そう一言告げよう、恥ずかしさで彷徨う視線を向けると、カイは心なしか寂しげな表情をしていた。
 ユイトは最近になって、気がつけたことがある。彼は自分といると時折、綺麗に縁取られた双眸を細めては、言葉にならない胸が締め付ける感情を訴えかけてくる。

「俺はここに来るのは初めてだ、ユイトはいつもここにいるんだろ?」

 室内の輪郭をある程度捉えたカイは、興味なさげに見渡す。しかし彼は些細な落ち度も逃さないよう、目を鋭く光らせた。一通り確認して満足したのか、カイは穏やかな声音で尋ねてきた。

「そうだよ、寒いところ付き合わせて、ごめんね」

 ユイトが頭を下げると、ふわりと揺れた髪の毛からシャンプーの甘い香りが浮かび上がる。その時、不意に崩れたカイの表情にユイトは気がつかなかった。

「伯父さんが残した物でも良い所はあるんだね、まあ手入れは必要のようだけども」

 カイが発した言葉の意味を把握できないユイトは、瞬きを数回繰り返す。

「さあ、ユイト、帰ろう」 

 これ以上ユイトが風邪をひいてしまいそうな、劣化した建物には用はないのか。カイは繋いだ手を持ち上げては、強制的に立ち上がらせると、コートを羽織らせてきた。
 カイは時に、ユイトを女性の様に恭しく接しエスコートをする。それらの行為に未だに慣れないユイトは、秘められた深い思いから目を背けていた。道路側を歩かせない、廊下の人混みに飲まれないよう守ってくれる。大勢が見ている場所で、さも当然とばかりに丁重に扱われると、周囲はユイトに対して敵意をむき出しにする。そして冷酷であった。自分の様な者がカイの友人として、笑顔を独占しては側にいることは分不相応だと、嫌でも自覚はしている。

「ユイトは本当に本が好きだね、俺が目の前にいても、いつも」

 今にでも泣きだしそうな顔をしたかと思えば、カイは強く手を握ってきた。自分と他者への温度差を感じる接し方は、誰が見ても歴然だ。頼りない自分の手を握るという行為、流石の鈍感なユイトでもその真意は伝わっている。

 いつも時間さえあれば本の世界に目を輝かせる自分に、カイは快く思っていない。最後の言葉に上手な返答が出来るか。自分は臆病者だなと、失笑した。

「うん、好きだよ」

 ほら見て、カイが笑った。おかしいよね、ラスト数ページの結末はもうどうでもよくなる。

「知ってるよ、初めてユイトを見た時も本を読んでたよね、風が強くて、桜が舞ってた。風で飛んできた桜の花を栞にするって、そんな古風な子は初めて見たよ」

 恍惚とした表情でカイは、入学式の時を思い浮かべているのか斜め上に視線を彷徨わせる。

「だ、だから! あれはもう忘れてくれよ」

 この時カイが自分を見ていなくてよかった。恥ずかしさからか、頬が熱くなるこの顔を見せられない。そんな時もあったな、ユイトは顔を隠すように床を見つめた。
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