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答えが彷徨う
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「浩太、あんた泣いてるの」
魚の白身が焼けるのを眺めていた浩太は、隣に母が立っていると気付き、頭を震わせる。
「なっ、吃驚したな、なんだよ」
「・・・・・・朝から息子が泣いてるなんて、縁起でもない」
母の声に、浩太は肩をすくめる。
「どうせ、お兄ちゃんに言われたんでしょ、あの子は浩太がいないと家にも寄りつかないんだから、火を見るよりも明らかよ」
どう返せば良いのか逡巡している浩太を他所に、母は続ける。
「お兄ちゃんは結婚でもすればいいのに、そうすれば浩太を放してあげられるだろうに」
睦実が結婚。母の言葉に、浩太は現実に引き戻される。
「僕と兄さんの仲が良いと喜んでたくせに」
「あれは本心よ、でもね、文くんの前でギャンギャンされるのは母さんだって五月蠅いったらないのよ」
昨夜二階での寸劇は迷惑だと、母が申し訳なさそうに言う。
「ごめん」
「睦美ったら、東京で何してるんだか。会社員をしてくれるだけ安心だけどね」
まるで睦美が悪者みたいに聞こえる。全ては、煮え切らない浩太の所為なのに。
「睦美兄さんは悪くない」
母が目尻を下げて笑う。
「モテる男は泣く顔も格好が付くのに、堂々としてなさいよ」
背中をバシンと叩かれた。
「っぐ、痛いな」
タイミング良く洗面室から、洗濯機の電子音が聞こえてくる。
「ほらほら、早くご飯が炊けますよ。洗濯物干したらお兄ちゃんたちを起こしてくるわね」
鼻歌を口ずさみながら母が台所を出て行く。母の小さくなった背を、浩太は感傷的に見送った。
昨夜、夢の中で中学生だった自分を見た。あの日に戻れたらと少しでも懐かしむ自分がいて、無性に可哀想に思えてくる。
可哀想、また使ってしまった。どうやら文仁の影響が根付いているとみた。自分は一体誰を愛してるのだろう、二人を焦がれている自分はなんと不義理な男か。こんなに欲深かったかな、と自身の深層を掘り下げようにも無性に虚しくなってきて、床にしゃがみ込む。泣いてもどうしようもないのに、また懲りずに自分は泣いている。声が漏れないよう歯を食いしばり、涙が溢れないように目を硬く瞑る。嫌だ、怖い、涙が涸れない。
「浩太、泣いてるのか」
睦実の声だ。声を欠き殺していた浩太は、呼吸を取り戻す。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、ごめんね、もう僕は怖いんだ、逃げたい」
否定できないほど、自分は恋をしている。睦美を愛している。もう、睦美だけの世界を生きていた八年前に戻れないのに。自分の口からは情けない声しか出てこない。
「汚い? 僕は汚いの」
睦美に訊いているとも取れるが、浩太自身に向けた問いでもあった。
「綺麗だよ、浩太はどこまでも可愛くて綺麗だ、どこも汚れていない」
丸くなる背を撫でてくれた睦実の顔を、今でも見られない。
「どうして文仁を否定するの」
「・・・・・・浩太を独り占めするからだ。俺以外に、浩太を愛して言い訳がない。俺だけなんだ、浩太は俺だけの存在でいて欲しい」
「分からなかったんだ、兄さんの気持ちが僕には理解できなかった」
顔を上げると、睦美は優しく笑みを浮かべていた。どうして笑っているのだ、と浩太は眉間にしわを寄せる。
「外の世界はどうだった?」
低く落ち着いた声で睦美が訊いてくる。外の世界という例えは睦美らしい言い回しだ。
「楽しかったよ、文仁は優しいから、僕を大切にしてくれた。浮気なんてしなかったし、いつも僕を抱きしめてくれた」
睦美を前にすれば、浩太は子供に戻ってしまう。
「どこから逃げたいんだ」
先ほど浩太が口走った言葉を上げているのだろう。
「間違いから逃げたい」
睦美との世界はエデンの園だった。天国であったが、文仁によって外の世界に連れ出された浩太は恥を知る。
「俺は浩太の嫌がることはしない、浩太はあの男に攫われたと思っていたから、間違いを正そうと怒っていたんだ」
「攫われてなんてない、文仁はいい人だ」
「そうだ、あの男は善人だ、俺たちを正そうとしてくれる気高い人だ」
浩太は呆気にとられる。睦美が真っ正面から文仁を褒めるなんて信じられない。
「しかし、その正義が正しいと浩太は思っていないだろう?」
睦美の指摘は容赦なく、浩太の図星をつく。みっともなく肩を震わせる浩太は、言葉を吐き出そうにも口が動かない。
「どうしても諦められないのなら、舞台から下りれば良い」
三人目の声がした。自分は朝ご飯の支度をしていたのに、何で泣いているのか。二階から起きてきた文仁の顔を見た瞬間、浩太はすくっと立ち上がる。まるで催眠術にかかったみたいに、文仁の存在に引き寄せられてしまう。
魚の白身が焼けるのを眺めていた浩太は、隣に母が立っていると気付き、頭を震わせる。
「なっ、吃驚したな、なんだよ」
「・・・・・・朝から息子が泣いてるなんて、縁起でもない」
母の声に、浩太は肩をすくめる。
「どうせ、お兄ちゃんに言われたんでしょ、あの子は浩太がいないと家にも寄りつかないんだから、火を見るよりも明らかよ」
どう返せば良いのか逡巡している浩太を他所に、母は続ける。
「お兄ちゃんは結婚でもすればいいのに、そうすれば浩太を放してあげられるだろうに」
睦実が結婚。母の言葉に、浩太は現実に引き戻される。
「僕と兄さんの仲が良いと喜んでたくせに」
「あれは本心よ、でもね、文くんの前でギャンギャンされるのは母さんだって五月蠅いったらないのよ」
昨夜二階での寸劇は迷惑だと、母が申し訳なさそうに言う。
「ごめん」
「睦美ったら、東京で何してるんだか。会社員をしてくれるだけ安心だけどね」
まるで睦美が悪者みたいに聞こえる。全ては、煮え切らない浩太の所為なのに。
「睦美兄さんは悪くない」
母が目尻を下げて笑う。
「モテる男は泣く顔も格好が付くのに、堂々としてなさいよ」
背中をバシンと叩かれた。
「っぐ、痛いな」
タイミング良く洗面室から、洗濯機の電子音が聞こえてくる。
「ほらほら、早くご飯が炊けますよ。洗濯物干したらお兄ちゃんたちを起こしてくるわね」
鼻歌を口ずさみながら母が台所を出て行く。母の小さくなった背を、浩太は感傷的に見送った。
昨夜、夢の中で中学生だった自分を見た。あの日に戻れたらと少しでも懐かしむ自分がいて、無性に可哀想に思えてくる。
可哀想、また使ってしまった。どうやら文仁の影響が根付いているとみた。自分は一体誰を愛してるのだろう、二人を焦がれている自分はなんと不義理な男か。こんなに欲深かったかな、と自身の深層を掘り下げようにも無性に虚しくなってきて、床にしゃがみ込む。泣いてもどうしようもないのに、また懲りずに自分は泣いている。声が漏れないよう歯を食いしばり、涙が溢れないように目を硬く瞑る。嫌だ、怖い、涙が涸れない。
「浩太、泣いてるのか」
睦実の声だ。声を欠き殺していた浩太は、呼吸を取り戻す。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、ごめんね、もう僕は怖いんだ、逃げたい」
否定できないほど、自分は恋をしている。睦美を愛している。もう、睦美だけの世界を生きていた八年前に戻れないのに。自分の口からは情けない声しか出てこない。
「汚い? 僕は汚いの」
睦美に訊いているとも取れるが、浩太自身に向けた問いでもあった。
「綺麗だよ、浩太はどこまでも可愛くて綺麗だ、どこも汚れていない」
丸くなる背を撫でてくれた睦実の顔を、今でも見られない。
「どうして文仁を否定するの」
「・・・・・・浩太を独り占めするからだ。俺以外に、浩太を愛して言い訳がない。俺だけなんだ、浩太は俺だけの存在でいて欲しい」
「分からなかったんだ、兄さんの気持ちが僕には理解できなかった」
顔を上げると、睦美は優しく笑みを浮かべていた。どうして笑っているのだ、と浩太は眉間にしわを寄せる。
「外の世界はどうだった?」
低く落ち着いた声で睦美が訊いてくる。外の世界という例えは睦美らしい言い回しだ。
「楽しかったよ、文仁は優しいから、僕を大切にしてくれた。浮気なんてしなかったし、いつも僕を抱きしめてくれた」
睦美を前にすれば、浩太は子供に戻ってしまう。
「どこから逃げたいんだ」
先ほど浩太が口走った言葉を上げているのだろう。
「間違いから逃げたい」
睦美との世界はエデンの園だった。天国であったが、文仁によって外の世界に連れ出された浩太は恥を知る。
「俺は浩太の嫌がることはしない、浩太はあの男に攫われたと思っていたから、間違いを正そうと怒っていたんだ」
「攫われてなんてない、文仁はいい人だ」
「そうだ、あの男は善人だ、俺たちを正そうとしてくれる気高い人だ」
浩太は呆気にとられる。睦美が真っ正面から文仁を褒めるなんて信じられない。
「しかし、その正義が正しいと浩太は思っていないだろう?」
睦美の指摘は容赦なく、浩太の図星をつく。みっともなく肩を震わせる浩太は、言葉を吐き出そうにも口が動かない。
「どうしても諦められないのなら、舞台から下りれば良い」
三人目の声がした。自分は朝ご飯の支度をしていたのに、何で泣いているのか。二階から起きてきた文仁の顔を見た瞬間、浩太はすくっと立ち上がる。まるで催眠術にかかったみたいに、文仁の存在に引き寄せられてしまう。
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