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最終章 再生産
2363年⑷
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渋谷の不動産屋で物件を探して1か月後、P太とη子は同居生活を始めた。先にP太が住み、後からη子が合流したのだ。もちろん、η子が前のマンションを解約して出てくるのに時間がかかったからだ。
「P太くん、よくこんな部屋で1か月も生活できたね。」
η子は驚いていた。
「だってさ、冷蔵庫や洗濯機はη子さんが持ってくるって言ってたじゃん? 1か月くらいどうってことないよ。」
二人の共用スペースはほとんど何もない状態だった。洗面所に歯ブラシや歯磨きなど、P太の生活の痕跡が残っている程度だ。η子は、P太の使用する部屋はあえて見なかった。
「リビングにテーブルとか椅子とか、大きめのテレビとか欲しいわね。今から買いに行く?」
「何か新婚さんみたいで恥ずかしいな。テレビはさしあたって要らないから、テーブルと椅子かな。」
二人は安い家具屋に行って適当に足りないものを揃えることになった。
「お金は折半でやっていくとして、家事の分担、どうする?」
「僕のほうがヒマだから、料理なんかは僕でいいや。掃除や洗濯はちょくちょく気がついたほうがやるのでよくない?」
「えー、P太くん、優しい!」
P太は両親が男二人だったため、性別によるこだわりというものがなかった。家事はだいたいM次がやっていたので、M次の真似をすれば良いと考えたのだ。
「そうだ、僕、実家から余ってたパピカの電子寸銅ミニ持ってきたんだけど、今夜はそれでポトフ作るので構わない?」
「いい! 凝った料理は外食したらいいし!」
η子は感激していた。一人暮らしのときには料理もせず、ろくなものを食べていなかったからだ。
実際に二人の生活を初めてみると、思ったよりもお互いに居心地がいいことが分かった。P太はη子にあまり干渉しないし、η子もP太には干渉しない。朝ごはんと夕飯は一緒にリビングでとるし、見たいテレビ番組があれば一緒に見る。しかし、片方が自分の部屋に入ってしまえば、もう片方は詮索しない。休みの日も、お互いがやりたいことをやる。そんな距離感が良かった。
「世の家庭内別居の夫婦ってこんな感じなのかな?」
何となくη子が言った言葉に、P太は笑って返した。
「僕たちは前向きな家庭内別居なんだよ。」
一年はあっという間に過ぎた。
「ねぇ、そろそろじゃない? 私も33だし。」
ある休日、η子がそう言ったので、P太は同居から約一年経過したことに気づいた。
「そうだね。僕たち、先もずっとこのままっぽいし、僕が産むのでいいよ。ただ、いろいろ不安だから里帰り出産していいかな?」
「それは自由にして。経験者に助けて貰わないとね。」
η子は、この数ヶ月前にM次とL彦に会っていた。
「あら、初めまして、かぼちゃの着ぐるみの子ね。実物のほうが可愛いじゃない!」
「かぼちゃの着ぐるみ……? P太くん、何を見せたの??」
P太は少し焦った。
「ほら、紹介するのにいい写真がなかったから、ハロウィンのときの写真を見せたの。」
η子は笑った。
「もうちょっとマシな写真にしてよ、もう!」
M次は言った。
「Pちゃんは私が産んだ子だからね、Pちゃんに何かあったらわたしが黙っていないわよ。まあ、だいたいのことは黙ってるけど。」
一方、L彦はη子に向かって頭を下げた。
「P太はM次に似て、ヘナヘナして変わった子だったけど、η子さんに出会ってちょっとだけシャンとしました。ふつつかな息子ですがよろしくお願いします。」
二人は、O大学病院で検査を受け、予定通り体外受精を行って、受精卵をP太の体内に入れることにした。医師からは代理母を使うことを勧められたが、当のP太がそれを断った。
「僕が産みたいんです。お腹の中で別の命が育っていく様子を実感したい。」
もっとも、手術は1回では成功しなかった。24世紀の技術をもってしても、やはり精子と卵子のコンディションなどに左右されてしまうのである。3回目、η子の蓄えが尽きかけたとき、やっとP太は妊娠した。
P太は病院の検査結果をアイーンのメッセージで仕事中のη子に知らせた。
「Akachan,dekimashita!」
「普通に日本語でお願い。ってか本当?」
「Kyo wa April fool ja nai!」
もちろん、実家のM次にも電話で知らせた。
「やっとできたよ!」
「えー! おめでとう。それ、ちゃんと職場にも知らせなきゃだわ。」
「わかってるよ。明日行ったときに報告する。」
「そうか、ついにPちゃんもパパになるのね。」
M次は涙声になっていた。
妊娠が分かって以降、P太はつわりが酷く、職場でシクラメンの香りを嗅ぐと気分が悪くなっていたので、常にマスクをしていた。しかし、社長は気をつかってくれていた。
「P太、無理そうだったら、こっちは俺がやるから菊のハウス行きなよ。」
この農家では葬儀用の菊も手がけていた。
「大丈夫です、マスクしたら何とかなります。」
「大丈夫じゃないよ、うちのシクラメンの売りは香りなんだから、それをチェックできないんなら菊に回ってもらう。」
不安そうなP太の視線を受けて社長は言った。
「別に仕事を取り上げる訳じゃないんだ、安定期になったらまたシクラメンをやってもらう。」
菊は本来は秋に咲く花だが、菊の昼の時間が短くなるのを察知して咲く特性を利用し、ライトを当てたり、ハウスを暗くしたりして咲く時期をずらしている。これによって、菊を一年中出荷できるのだった。20世紀から愛知県で電照菊の栽培が行われているが、その理論を発展させたのである。
「とりあえず、菊は気温とライトの管理、あと要らない芽を積む作業だな。よろしく頼むよ。」
P太が案内された菊のハウスには白い菊の蕾がズラリと並んでいた。菊も無臭ではなかったが、マスク無しでも耐えられるレベルだった。
そうやって、P太はシクラメンから白菊 を毎日管理するようになったが、どうも気分が落ち着かない。
「何だか毎日葬式みたい。」
帰宅してη子に愚痴を言ったところ、η子がP太を叱った。
「葬式、結構なことじゃない! 生まれてくる人もいれば死んでいく人もいる。P太くんは花を通じて旅立つ人にエールをおくっているんだよ。」
「死んだ人にエール?」
「そうよ、極楽浄土行こうぜ!って。それを妊娠中のP太くんがやることはすごく意味があることだと思う。」
P太はそう思って菊を見てみると、とても不思議な気持ちになった。人はどこから来て、どこへ行ってしまうのか。生物学的には生まれたら死んでおしまいなのだが、この自分の意識はいつ発生したのか、死んだらどうなるのか。
24世紀になり、人はある程度妊娠をコントロールできるようになったし、P太も最新医学の力を借りて妊娠したが、それでも魂がいつ生まれて、死んだらどうなるのかは分からない。大昔からのテーマだ。きっと、この先科学が発展しても解決しないのだろう。P太は何となく、職場からの帰り道に臨死体験の本を買って、夜寝る前に読むようになった。
それで、いつもは干渉しないη子がある朝心配そうに聞いてきた。
「P太くん、夜遅くまで起きてるみたいだけど、眠れないの?」
「いや、色んな人の臨死体験が書いてある本を読んでるの。三途の川を渡りかけた人や、死神に連れて行かれそうになった人、暗いトンネルを抜けて光の世界を見た人、色々いるみたいで。」
η子は笑った。
「何だ、本を読んでたんだ。読書はいいけど、頼むから変な宗教にははまらないでね。」
もちろん24世紀においても宗教は存在していた。科学の解決できない部分を語るのが宗教なのであれば、案外宗教もだいじなものなのではないか、とP太は思う。臨死体験の本でもの足りなくなったP太は仏教の本を買った。しかし、結局仏教でも輪廻転生する説、そうでない説など色々あるらしく、何を信じたらいいのかよく分からなくなってしまった。
P太は自分の、少しずつ大きくなるお腹に向かって語りかけた。
「ねぇ、きみはどこから来たの?」
もちろん回答はない。ただただ沈黙の時が流れるだけだ。
「P太くん、よくこんな部屋で1か月も生活できたね。」
η子は驚いていた。
「だってさ、冷蔵庫や洗濯機はη子さんが持ってくるって言ってたじゃん? 1か月くらいどうってことないよ。」
二人の共用スペースはほとんど何もない状態だった。洗面所に歯ブラシや歯磨きなど、P太の生活の痕跡が残っている程度だ。η子は、P太の使用する部屋はあえて見なかった。
「リビングにテーブルとか椅子とか、大きめのテレビとか欲しいわね。今から買いに行く?」
「何か新婚さんみたいで恥ずかしいな。テレビはさしあたって要らないから、テーブルと椅子かな。」
二人は安い家具屋に行って適当に足りないものを揃えることになった。
「お金は折半でやっていくとして、家事の分担、どうする?」
「僕のほうがヒマだから、料理なんかは僕でいいや。掃除や洗濯はちょくちょく気がついたほうがやるのでよくない?」
「えー、P太くん、優しい!」
P太は両親が男二人だったため、性別によるこだわりというものがなかった。家事はだいたいM次がやっていたので、M次の真似をすれば良いと考えたのだ。
「そうだ、僕、実家から余ってたパピカの電子寸銅ミニ持ってきたんだけど、今夜はそれでポトフ作るので構わない?」
「いい! 凝った料理は外食したらいいし!」
η子は感激していた。一人暮らしのときには料理もせず、ろくなものを食べていなかったからだ。
実際に二人の生活を初めてみると、思ったよりもお互いに居心地がいいことが分かった。P太はη子にあまり干渉しないし、η子もP太には干渉しない。朝ごはんと夕飯は一緒にリビングでとるし、見たいテレビ番組があれば一緒に見る。しかし、片方が自分の部屋に入ってしまえば、もう片方は詮索しない。休みの日も、お互いがやりたいことをやる。そんな距離感が良かった。
「世の家庭内別居の夫婦ってこんな感じなのかな?」
何となくη子が言った言葉に、P太は笑って返した。
「僕たちは前向きな家庭内別居なんだよ。」
一年はあっという間に過ぎた。
「ねぇ、そろそろじゃない? 私も33だし。」
ある休日、η子がそう言ったので、P太は同居から約一年経過したことに気づいた。
「そうだね。僕たち、先もずっとこのままっぽいし、僕が産むのでいいよ。ただ、いろいろ不安だから里帰り出産していいかな?」
「それは自由にして。経験者に助けて貰わないとね。」
η子は、この数ヶ月前にM次とL彦に会っていた。
「あら、初めまして、かぼちゃの着ぐるみの子ね。実物のほうが可愛いじゃない!」
「かぼちゃの着ぐるみ……? P太くん、何を見せたの??」
P太は少し焦った。
「ほら、紹介するのにいい写真がなかったから、ハロウィンのときの写真を見せたの。」
η子は笑った。
「もうちょっとマシな写真にしてよ、もう!」
M次は言った。
「Pちゃんは私が産んだ子だからね、Pちゃんに何かあったらわたしが黙っていないわよ。まあ、だいたいのことは黙ってるけど。」
一方、L彦はη子に向かって頭を下げた。
「P太はM次に似て、ヘナヘナして変わった子だったけど、η子さんに出会ってちょっとだけシャンとしました。ふつつかな息子ですがよろしくお願いします。」
二人は、O大学病院で検査を受け、予定通り体外受精を行って、受精卵をP太の体内に入れることにした。医師からは代理母を使うことを勧められたが、当のP太がそれを断った。
「僕が産みたいんです。お腹の中で別の命が育っていく様子を実感したい。」
もっとも、手術は1回では成功しなかった。24世紀の技術をもってしても、やはり精子と卵子のコンディションなどに左右されてしまうのである。3回目、η子の蓄えが尽きかけたとき、やっとP太は妊娠した。
P太は病院の検査結果をアイーンのメッセージで仕事中のη子に知らせた。
「Akachan,dekimashita!」
「普通に日本語でお願い。ってか本当?」
「Kyo wa April fool ja nai!」
もちろん、実家のM次にも電話で知らせた。
「やっとできたよ!」
「えー! おめでとう。それ、ちゃんと職場にも知らせなきゃだわ。」
「わかってるよ。明日行ったときに報告する。」
「そうか、ついにPちゃんもパパになるのね。」
M次は涙声になっていた。
妊娠が分かって以降、P太はつわりが酷く、職場でシクラメンの香りを嗅ぐと気分が悪くなっていたので、常にマスクをしていた。しかし、社長は気をつかってくれていた。
「P太、無理そうだったら、こっちは俺がやるから菊のハウス行きなよ。」
この農家では葬儀用の菊も手がけていた。
「大丈夫です、マスクしたら何とかなります。」
「大丈夫じゃないよ、うちのシクラメンの売りは香りなんだから、それをチェックできないんなら菊に回ってもらう。」
不安そうなP太の視線を受けて社長は言った。
「別に仕事を取り上げる訳じゃないんだ、安定期になったらまたシクラメンをやってもらう。」
菊は本来は秋に咲く花だが、菊の昼の時間が短くなるのを察知して咲く特性を利用し、ライトを当てたり、ハウスを暗くしたりして咲く時期をずらしている。これによって、菊を一年中出荷できるのだった。20世紀から愛知県で電照菊の栽培が行われているが、その理論を発展させたのである。
「とりあえず、菊は気温とライトの管理、あと要らない芽を積む作業だな。よろしく頼むよ。」
P太が案内された菊のハウスには白い菊の蕾がズラリと並んでいた。菊も無臭ではなかったが、マスク無しでも耐えられるレベルだった。
そうやって、P太はシクラメンから白菊 を毎日管理するようになったが、どうも気分が落ち着かない。
「何だか毎日葬式みたい。」
帰宅してη子に愚痴を言ったところ、η子がP太を叱った。
「葬式、結構なことじゃない! 生まれてくる人もいれば死んでいく人もいる。P太くんは花を通じて旅立つ人にエールをおくっているんだよ。」
「死んだ人にエール?」
「そうよ、極楽浄土行こうぜ!って。それを妊娠中のP太くんがやることはすごく意味があることだと思う。」
P太はそう思って菊を見てみると、とても不思議な気持ちになった。人はどこから来て、どこへ行ってしまうのか。生物学的には生まれたら死んでおしまいなのだが、この自分の意識はいつ発生したのか、死んだらどうなるのか。
24世紀になり、人はある程度妊娠をコントロールできるようになったし、P太も最新医学の力を借りて妊娠したが、それでも魂がいつ生まれて、死んだらどうなるのかは分からない。大昔からのテーマだ。きっと、この先科学が発展しても解決しないのだろう。P太は何となく、職場からの帰り道に臨死体験の本を買って、夜寝る前に読むようになった。
それで、いつもは干渉しないη子がある朝心配そうに聞いてきた。
「P太くん、夜遅くまで起きてるみたいだけど、眠れないの?」
「いや、色んな人の臨死体験が書いてある本を読んでるの。三途の川を渡りかけた人や、死神に連れて行かれそうになった人、暗いトンネルを抜けて光の世界を見た人、色々いるみたいで。」
η子は笑った。
「何だ、本を読んでたんだ。読書はいいけど、頼むから変な宗教にははまらないでね。」
もちろん24世紀においても宗教は存在していた。科学の解決できない部分を語るのが宗教なのであれば、案外宗教もだいじなものなのではないか、とP太は思う。臨死体験の本でもの足りなくなったP太は仏教の本を買った。しかし、結局仏教でも輪廻転生する説、そうでない説など色々あるらしく、何を信じたらいいのかよく分からなくなってしまった。
P太は自分の、少しずつ大きくなるお腹に向かって語りかけた。
「ねぇ、きみはどこから来たの?」
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