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第四章 生まれた子どもたちの行方~その二
両親の離婚⑴
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「E郎、パパとママ、どっちがいい?」
中学二年の夏休み、母親のB子にこう問われてE郎は、少し考えて「パパがいい。」と答えた。B子は少し怒ったような顔をしていたが、「仕方ないか。」と言った。
「その代わり、何かあったらすぐにママに連絡するんだよ。」
「分かった。」
B子はE郎の父親であるA雄と離婚することになった。何でも、A雄に好きな人ができてしまって、B子はA雄とは一緒に暮らせないということだった。E郎は、そのA雄の好きな人が、A雄の同僚であるZ世であると薄々知っていた。というのも、いつか土曜日にA雄と食事に出掛けた際に、若い女性を紹介されたからだ。
「E郎、この人、パパの会社のお友達。」
A雄がそう言うと、女性は、「初めまして、Z世です。」と言ってニッコリ笑った。食事中、E郎はZ世から、「家ではパパはどうなの?」とか、「好きな科目は何?」とか、当たり障りのないことを聞かれたが、どうもA雄とZ世のお互いを見る視線がねっとりしていた。Z世と話をしているのにもかかわらず、まるでE郎はそこにいないような感じがした。
それでも、E郎がA雄を選んだのには理由がある。ひとつは、B子の作る料理がまずいこと。もうひとつは、E郎がA雄を選ばなければ、A雄はずっと泣き暮らすだろうと思ったことだ。
B子は仕事が忙しく、普段の家事はA雄がほとんどやっていた。しかし、休みの日には、「よし、パパばかりじゃ悪いからたまにはママがご飯を作るわね!」とB子が料理をすることもあった。結果、出てくるものは黒焦げの焼き魚だったり、辛すぎる卵焼きだったり、味のしない味噌汁だったりするのだ。
一方、A雄は料理がそこそこ上手なのだが、口癖は「E郎は僕がお腹を痛めて産んだ子だから。」だった。E郎が学校から賞状をもらって帰ってきたり、テストで百点をとってきたりすると、A雄は喜んで泣くし、逆にちょっと悪さをして学校に呼ばれるようなことがあるとたいそう悲しんで泣くのだった。だから、E郎は「パパを悪い意味で泣かせてはいけない」と、優等生として育った。
「ママごめんなさい、パパをほっとけないよ。」
B子は頷いた。
「E郎の言いたいことは分かる。でも、もう私はほっとくことにしたの。もし、E郎も付き合いきれないと思ったら、パパのところを出てママのところに来ていいからね。」
「うん。」
B子はE郎に右手を出した。握手をしようということだろう。E郎もB子のことは嫌いではない、むしろ、人としてはあっさりして好ましいと思っていたので、その手を軽く握った。
こうして、A雄とB子の離婚は、E郎の親権者をA雄として成立した。金銭的なことはE郎にはよく分からなかったが、とりあえず自宅マンションはB子名義なのでB子が住み続け、A雄とE郎が多摩地区にあるA雄の実家に引越すことになった。
昼前に、E郎がA雄と一緒にA雄の実家に行くと、A雄の母親が出向かえてくれた。
「E郎くん、久しぶり。お昼ご飯いっぱい作ってるから、たくさん食べてね。」
A雄の母親、すなわちE郎の祖母に会ったのは春休みである。あのときすでに離婚の話が浮上していたのか、祖母は「E郎くん、こっちにきても大丈夫よ。叔母さんも結婚して京都だし。」と言っていた。
それにしても、今日は祖母は上機嫌だった。E郎がいるにもかかわらず、B子の悪口を言いたい放題だ。
「E郎くん、ママのご飯はまずかったんでしょう? 大変よねー。」
「ママ、帰ってくるの、いつも遅かったんでしょ? ママだって本当は何をしてるのか分からないわよねー。」
「ずっと面倒をみてくれたパパと放ったらかしのママじゃ、パパのほうがいいに決まってるわよねー。」
E郎はそれらの言葉を、内心苦々しく思ったが、これから世話になるのはこの家なので反論を飲み込んだ。
多過ぎる昼食を腹に詰め込んだ後、E郎は祖母に六畳ほどの部屋に案内された。
「ここ、あなたの叔母さんが使ってた部屋よ。あの子が結婚してからは物置になってたけど、だいぶ片付けたわ。」
部屋には学習机と椅子、空の本棚、ベッドがあった。壁には、男性アイドルのポスターが貼ったままになっている。
「好きに使っていいからね。」
よく見ると、机にはキラキラしたシールがいくつかへばりついていた。部屋に漂う女臭さを消したいE郎は尋ねた。
「ポスターとかシールとか、剥がしていいですか?」
祖母は笑った。
「ごめんなさい、細かいところまで気づかなかったわ! この部屋は全部E郎くんが好きにしてね。」
「このベッドは……。」
「マットレスは古いのは捨てて、新しいのに替えたんだけど、ダメ?」
白木のベッド。まあ我慢しようと思えばできなくはない。
「いや、大丈夫です。」
「良かった! じゃあ、自分の荷物を運びこんで使ってね!」
祖母が去って行った後、何となくE郎は机の引き出しを開けたが、使いかけの化粧品が出てきたり、奥からはキャラクターのシールが出てきたり、ピンク色の消しゴムが出てきたりした。
「ガラクタだらけだな。」
E郎はこの夏休み、部屋に残る叔母の痕跡をなるべく排除し、自分色にしようと決意した。
中学二年の夏休み、母親のB子にこう問われてE郎は、少し考えて「パパがいい。」と答えた。B子は少し怒ったような顔をしていたが、「仕方ないか。」と言った。
「その代わり、何かあったらすぐにママに連絡するんだよ。」
「分かった。」
B子はE郎の父親であるA雄と離婚することになった。何でも、A雄に好きな人ができてしまって、B子はA雄とは一緒に暮らせないということだった。E郎は、そのA雄の好きな人が、A雄の同僚であるZ世であると薄々知っていた。というのも、いつか土曜日にA雄と食事に出掛けた際に、若い女性を紹介されたからだ。
「E郎、この人、パパの会社のお友達。」
A雄がそう言うと、女性は、「初めまして、Z世です。」と言ってニッコリ笑った。食事中、E郎はZ世から、「家ではパパはどうなの?」とか、「好きな科目は何?」とか、当たり障りのないことを聞かれたが、どうもA雄とZ世のお互いを見る視線がねっとりしていた。Z世と話をしているのにもかかわらず、まるでE郎はそこにいないような感じがした。
それでも、E郎がA雄を選んだのには理由がある。ひとつは、B子の作る料理がまずいこと。もうひとつは、E郎がA雄を選ばなければ、A雄はずっと泣き暮らすだろうと思ったことだ。
B子は仕事が忙しく、普段の家事はA雄がほとんどやっていた。しかし、休みの日には、「よし、パパばかりじゃ悪いからたまにはママがご飯を作るわね!」とB子が料理をすることもあった。結果、出てくるものは黒焦げの焼き魚だったり、辛すぎる卵焼きだったり、味のしない味噌汁だったりするのだ。
一方、A雄は料理がそこそこ上手なのだが、口癖は「E郎は僕がお腹を痛めて産んだ子だから。」だった。E郎が学校から賞状をもらって帰ってきたり、テストで百点をとってきたりすると、A雄は喜んで泣くし、逆にちょっと悪さをして学校に呼ばれるようなことがあるとたいそう悲しんで泣くのだった。だから、E郎は「パパを悪い意味で泣かせてはいけない」と、優等生として育った。
「ママごめんなさい、パパをほっとけないよ。」
B子は頷いた。
「E郎の言いたいことは分かる。でも、もう私はほっとくことにしたの。もし、E郎も付き合いきれないと思ったら、パパのところを出てママのところに来ていいからね。」
「うん。」
B子はE郎に右手を出した。握手をしようということだろう。E郎もB子のことは嫌いではない、むしろ、人としてはあっさりして好ましいと思っていたので、その手を軽く握った。
こうして、A雄とB子の離婚は、E郎の親権者をA雄として成立した。金銭的なことはE郎にはよく分からなかったが、とりあえず自宅マンションはB子名義なのでB子が住み続け、A雄とE郎が多摩地区にあるA雄の実家に引越すことになった。
昼前に、E郎がA雄と一緒にA雄の実家に行くと、A雄の母親が出向かえてくれた。
「E郎くん、久しぶり。お昼ご飯いっぱい作ってるから、たくさん食べてね。」
A雄の母親、すなわちE郎の祖母に会ったのは春休みである。あのときすでに離婚の話が浮上していたのか、祖母は「E郎くん、こっちにきても大丈夫よ。叔母さんも結婚して京都だし。」と言っていた。
それにしても、今日は祖母は上機嫌だった。E郎がいるにもかかわらず、B子の悪口を言いたい放題だ。
「E郎くん、ママのご飯はまずかったんでしょう? 大変よねー。」
「ママ、帰ってくるの、いつも遅かったんでしょ? ママだって本当は何をしてるのか分からないわよねー。」
「ずっと面倒をみてくれたパパと放ったらかしのママじゃ、パパのほうがいいに決まってるわよねー。」
E郎はそれらの言葉を、内心苦々しく思ったが、これから世話になるのはこの家なので反論を飲み込んだ。
多過ぎる昼食を腹に詰め込んだ後、E郎は祖母に六畳ほどの部屋に案内された。
「ここ、あなたの叔母さんが使ってた部屋よ。あの子が結婚してからは物置になってたけど、だいぶ片付けたわ。」
部屋には学習机と椅子、空の本棚、ベッドがあった。壁には、男性アイドルのポスターが貼ったままになっている。
「好きに使っていいからね。」
よく見ると、机にはキラキラしたシールがいくつかへばりついていた。部屋に漂う女臭さを消したいE郎は尋ねた。
「ポスターとかシールとか、剥がしていいですか?」
祖母は笑った。
「ごめんなさい、細かいところまで気づかなかったわ! この部屋は全部E郎くんが好きにしてね。」
「このベッドは……。」
「マットレスは古いのは捨てて、新しいのに替えたんだけど、ダメ?」
白木のベッド。まあ我慢しようと思えばできなくはない。
「いや、大丈夫です。」
「良かった! じゃあ、自分の荷物を運びこんで使ってね!」
祖母が去って行った後、何となくE郎は机の引き出しを開けたが、使いかけの化粧品が出てきたり、奥からはキャラクターのシールが出てきたり、ピンク色の消しゴムが出てきたりした。
「ガラクタだらけだな。」
E郎はこの夏休み、部屋に残る叔母の痕跡をなるべく排除し、自分色にしようと決意した。
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