お江戸物語 藤恋歌

らんふぁ

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四十二話

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長屋を引き払った右京は、住人達に挨拶をした。「世話になった。ここでの皆の親切、決して忘れぬ。たいした物はないが部屋の中の物は皆で分けてくれ」


店賃は溜めず、常に部屋も身形みなりも小綺麗で、力仕事や溝さらい等の共同作業まで気さくに手伝っていた右京に、大家もおかみさん連中も心から別れを惜しんだ。


一人のおかみさんが目を真っ赤にし、鼻を啜る。

「……お武家様だからねぇ……やっぱり家を継がないとご先祖様に申し訳が立たないもんね」


他のおかみさん達もこもごも声かけてよこした。

「元気でね旦那」

「しっかりおやりよ」

「早く身を固めんだよ」


最後の一言に苦笑しつつ彼らに右京は挨拶をする。「さらばでござる。皆も壮健でな」


住人に見送られた右京は、木戸口で最後にもう一度振り返り、軽く頭を下げ長屋を後にした。





スタスタと足が早い右京を、笠をかぶり、そっと後ろから付いていく男がいる。


長屋を張っていた才蔵だった。


すると突然、右京がヒョイと後ろを振り返った。


ギョッとした才蔵だが、歩みは変えなかった。

かえって怪しまれるからである。


(……背中にまで目があるみてぇな侍だな。……笠をかぶってて良かったぜ)


こういう相手は尾行が難しい。


才蔵は距離を置き、別人に見せる為、途中で上っ張りを脱いで手に持ち、歩き方も変えた。


だが、しばらく付いて行くと才蔵は困ってしまった。


右京が住んでいたのの小網神社近くの裏長屋で、いわば町人地であったが、彼は千代田城の外堀、西へと向かう道を辿っていた。

どんどん人気の無い所に行くのである。


(……この先は、大名の上屋敷ばかりじゃねぇか?)


元々人通りが少ない場所での尾行は難しいのだが、幸い、日暮れ時だったのと堀端に大きな柳の木が生えていたのでとりあえず、そこに身を隠し、先に行く右京を目をこらして見守った。


薄暗くなりつつある。


彼の姿を見失ったら最後だ。

何故なら同じような屋敷ばかりと来ている。


すると、右京が突然おかしな動きをした。


少し先にある大名屋敷の正門がギィ…と開いた途端、彼が塀の影にパッと隠れたのである。


(?何だ?)


程なく、黒塗りの立派な駕籠と数人の共侍が出て来た。


見送りらしい侍が「内藤様、行ってらっしゃいませ。お気をつけて」の声が、風に乗って、才蔵が隠れている場所でも聞き取れた。


しずしずと黒塗りの駕籠は進み、隠れている才蔵の前を通り過ぎた。


(……上屋敷のお偉いさんらしいが……こんな刻限にどこ行くんだ?)


武家屋敷の門限は大変厳しく、家臣が吉原など、遊里で遊ぶ時も昼遊びが鉄則なのだが。


駕籠が完全に通り過ぎ、かなり時間が経ったと思われるのに、右京は動こうとしない。


(……何やってんだ?)


いい加減、岡っ引きが痺れを切らした時、ようやく右京が閉じた門の脇の通用口を叩いた。


出て来た門番と何か話しているようだが....…。


慌てて正門が開けられる。


右京はペコペコ土下座しようとする門番に、鷹揚に手を振ると、サッサと中へ入って行った。


(??……一体どういうこったい?)



門が閉まり、彼の姿が消えた屋敷の中が騒がしくなった。

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