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第5章 神々の異世界 ~天神回戦 其の弐~

第183話 天眼多々良の領域にて

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 鳥居をくぐると鼻腔びこうを抜けていくのは炭の香りであった。
 夕暮れ色が差した清涼な空気の空に、火煙かえんの筋が幾つも立ち上っている。

「ここが多々良さんとこの神社か。でっけぇな、流石に……」

 牛頭鬼の冥子に連れられ、日和と共にみづきが訪れたのは天眼多々良の神社。

 八百万順列第二位というだけはあるようで、その規模の大きさには圧倒される。
 瞬転の鳥居を背後にして、みづきたちの前には幅の広い石畳の参道が、なだらかな坂道になって長く続いている。

 その先の小高い丘の上に見事な鐘楼しょうろうの門があり、全方位を高い透きべいに囲われた神社の敷地が広がっていた。
 坂の下から見上げているに関わらず、塀の向こうに建ち並ぶ数々の殿舎でんしゃはやたらと大きく見える。
 堅固な山城やまじろ、その表現がしっくりとくる迫力のある外観であった。

「みづき、そんなところに突っ立ってると危ないわよ」

「えっ、うわっと?!」

 冥子の声に振り向くと、みづきたちが通ってきた瞬転の鳥居の境界面から大勢の鬼が走り出てくる。
 手や脇に荷物を抱えた鬼もいれば、山盛りな積み荷を乗せた荷車を引く鬼もいた。

 みなそれぞれ明らかに人とは違う風貌をしており、肌の色は赤やら青やら、頭のあちこちからは角を生やしている。
 身なりは神職の衣服を着用し、決して虎柄とらがらの下着姿ではない。

「なんだなんだ、えらく賑やかだな」

「ふふ、御免なさいね。うちの鬼たちが失礼をしたわ」
 
 どいたどいた、邪魔だ邪魔だ、とみづきは参道の隅へと追いやられて尻餅をつく。
 笑みを浮かべ、そばに寄ってきた冥子の手套しゅとうのような大きな手が、みづきを軽々と引き起こした。

 賑わしい鬼たちの行列を見送り、その行き先が神社とは別の場所だと気付く。
 鬼たちは参道を逸れ、両脇に幾つも伸びている下り坂を下りていき、煙のあがる家屋へと吸い込まれるように消えていった。
 運搬していた荷物の概要と、鼻をくすぐる炭の香りからここが何のための場所であるのかがうかがえる。

「ここって……」

 みづきは呟き、参道から神社の小山を取り巻くふもとを見渡した。

 立派な神社を中心に、大小様々な建物や施設が豊かな山林の中に散見される。
 なかでもひときわ屋根が高く、その一部が開いている和装の建築物は高殿たかどのと呼ばれるもので、煙をもうもうと天に向かって上げている。

 さっき運ばれていった荷物は大量の木炭や粘土、鉄鉱石、砂鉄、磁石といった鉱物であった。
 みづきは感嘆の声をあげる。
 祖父、剣藤けんどうからこうした施設のことは聞いていた。

「──たたら製鉄かぁ。ここは製鉄所なんだな……!」

 たたら製鉄とは、主にふいごを用いて火力を高める製鉄法のことである。
 その語源には諸説あるものの、「たたら」という言葉は製鉄法の他、鞴や製鉄炉、それらを収める高殿等の建物を指す広い意味で使用されている。

 ここは神のたたら製鉄所。
 天眼多々良の加護を受けた聖なる鉄がつくられていた。

「いつ見ても立派な神社じゃなあ」

 煙が上っていく高殿を見渡すみづきの隣に、力を使い果たしてすっかりと縮んでしまった小さな日和がちょこちょことやってくる。
 一緒に高い屋根を見て言った。

「多々良殿は鍛冶と製鉄の神じゃからのう。良い鉄をつくり、神通力を込めた神剣を打っておる。生業なりわいのためではなく、多々良殿が神として天に在るがゆえに聖なる剣をこしらえておるのじゃ」

 横目にみづきを見上げる日和の目はどこか誇らしげに見えた。

「流石は鍛冶の道を司る神、と言えばそれまでの話なのじゃが、多々良殿の鍛える神剣は凄いぞう? 私がみづきに授けた剣などとは比べものにならんほどにな」

「へぇ……。多々良さんの神剣、かぁ……」

 思わずため息が漏れる。
 言わずもがな、多々良の神剣は物凄そうだ。

 みづきと日和が一望するのは天眼多々良の鍛冶鋳造かじちゅうぞうの里であった。
 山内さんないと呼ばれる製鉄の拠点と同様で、製鉄と鍛冶を行う職員の他、刀剣を仕上げる多くの刀装とうそう職人も一堂に会している。
 小山の上に建立こんりゅうされた多々良の神社を城とするのなら、さながらここは鍛冶の神のお膝元たる城下町である。

 方々から、採鉱さいこうされた主原料の砂鉄やその他鉱物が集められてくる。
 製炭せいたんで炉の燃料が、粘土採掘で炉自体をつくる釜土かまつちが運び込まれる。

 里は熱気に満ちていた。
 多々良の眷属である鬼たちが忙しそうに往来していて、夕暮れが近いというのにまだまだ仕事は続いているようだ。
 のしのし、と冥子がやってきて二人の背中越しに眼下の高殿を見やった。

「今は丁度、一代ひとよの最中なのよ。月に三回くらいやってるわ」

「ひとよ?」

 聞き慣れない言葉にみづきは冥子を振り返る。
 やはり、少し聞きかじった程度では鍛冶も製鉄も知らないことのほうが多い。
 目を丸くするみづきの顔を見て、冥子はにこりと笑う。

一代ひとよっていうのは鉧押けらおしを三日三晩続ける作業のことよ。たたら炉でじっくりと鉄に熱を加えて、玉鋼たまはがねを取り出すの。神剣をつくるうえで、良質な材料は欠かせないわ」

 冥子はかいつまんで多々良の元で行われている製鉄法を教えてくれた。
 それは、みづきの住まう現実世界でも古来より伝わる伝統的な製鉄法であった。

 たたら炉による鉧押し法にてけらを精製し、この中から玉鋼を取り出す。
 鉧とは炭素の含有量が低く、溶けにくい鉄素材のことであり、刀剣の材料となる玉鋼はこの鉧の中に含まれている。

 高品質な鉄製品の元となることから鉄の母とも呼ばれる。
 鉧から取り出した鋼のうち、特に良質な玉鋼は、折れず、曲がらず、よく切れる、の特徴を兼ね備えた刀剣をつくるためには必須の素材である。

 たたら炉は風を効率的に送り、湿気を遮断する地下に深く掘られた構造となっていて、粘土で形成された箱形の釜へと両側からの踏みふいごで風を送る仕組みである。
 多々良の炉は規模が大きく、大勢の鬼が踏み鞴の上から垂れ下がった力縄にぶら下がり、揃って鞴を踏んでいるそうだ。

 多々良という金屋子かなやごの神、つまりは火の神に見守られ、たたら師の長である村下むらげの老練な鬼の指揮の下、大量の木炭を燃料に鉄を焼き、加熱していくのである。
 この作業を鉧押しというのだ。

 鉧押しを三日三晩夜を通して続けることを一代ひとよといい、その後に粘土の大釜を大鉤おおかぎを用いて一気に崩す釜崩かまくずしを行うと、巨大な板状の金属が赤く輝く姿を現す。
 それが鉧だ。

 熱されて固まった鉧は大きく、重量は数トンにも及ぶが、鬼たちは苦もなくそれを素手で持ち上げて運んでいってしまう。
 別に触っても熱くもないらしい。
 鉧はしばらくの間を空冷くうれいされて玉鋼が誕生するが、刀剣を鍛える鍛冶にそのまま使用できる美鋼びこうはごく僅かしか取れないのだそうだ。

 取れた玉鋼は多々良の元へ届けられ、打たれた刀剣は神々の世界で使われたり、下界の人間が刀剣を鍛えるのに合わせて拵えられ、神の加護として霊験あらたかに世に伝わる。
 神の世の営みである。

「さあさ、みづき。観光に来た訳じゃないでしょう? 多々良様の神社へ案内するから、着いていらっしゃいな」

「あっ、おう、頼む」

 多々良の里を呆けて眺めているみづきを見て、フゥンっと鼻息荒く鼻で笑うと、冥子は参道の坂道を大股で歩いていく。
 みづきは慌ててそれに習い、日和は足取り重そうにのろのろと着いてきた。

 神社の鐘楼門が近付く最中も里を見ていると、製鉄所や職人の工房の他、眷属の鬼たちが住まう宿舎や、生活をするうえでの施設も軒を連ねている。
 何より目を引いたのが、広大な面積を誇る武術の修練場であった。
 勇ましい掛け声と金属同士がかち合う音が、重なって夕焼けの空に響いていた。

 みづきが見下ろす広場では、屈強な鬼たち人外の者が武の修行に打ち込んでいる。
 あの中からこの逞しい背中の冥子のようなシキが輩出されて、ついには天神回戦におどり出てくるのであろう。
 慈乃姫や冥子、牢太の他、さらなる強力なシキが台頭たいとうし、いずれはみづきの前に立ちはだかるのかもしれない。

──戦争をやる訳じゃないから、あれ全部と戦うなんてことにはならんだろうけど、この里の様子からして多々良さんとこの組織のでかさが伝わってくるな……。

 偉大な指導者に率いられる人ならざる武装集団の脅威に、みづきが剣呑な雰囲気を感じていると。
 前を歩いていた冥子が急に立ち止まり、よそ見をしていたみづきは固い壁か何かにぶつかったみたいに、その背中に跳ね返されてまた尻餅をついてしまった。

「うぶ?!」

「──あら、門が開いてるわ。それに、出迎えが居るわね」

 背後で転がるみづきを意に介さず、冥子は鐘楼門のほうを見て言った。
 確かに門は開門していて、開け放たれた門扉もんぴのところに冥子と同じくらい大柄な何者かが仁王立ちして待ち構えている。
 その何者かは、みづきたちの姿を見届けるとやかましいほど声高に、うおおッ、と歓待かんたいの雄叫びをあげた。

「客人とは日和様とみづきのことであったのか! よくぞいらっしゃられた!」

 澄ました顔をして門まで進む冥子に恐る恐る着いていったみづきは、迫力満点のお出迎えに気後れしてしまう。
 えらく歓迎の様子ではあるが、その何者かに見覚えはない。
 出迎えてくれたのは、冥子に負けず劣らずな体格の筋骨隆々たる大男であった。

 前はだけの黒い着物から、分厚い胸板がこれみよがしにはみ出している半裸姿。
 艶のある長い黒髪を後ろで朱色の紐織物ひもおりもので束ねていて、髪の間からは動物のような尖った耳が真上に飛び出している。
 何というか、風情ふぜい漂う面長おもながの美形である。

「みづきとはあのとき以来だな! その後は息災そくさいであったか!?」

「……どちらさんでしょうか? あのときってのは何のことで……」

 獣耳で面長の美丈夫びじょうふは、やけに打ち解けた風でみづきに詰め寄ってくる。
 当然、こんな肉体美を誇る精強な美男に知り合いはいない。

 高身長に上から覗き込まれ、みづきは怯えて思わず冥子の背中に隠れてしまう。
 その様子を見て、大男は愉快そうに自分の正体を明かした。

「おお、この人間の姿ではわからぬか! 俺だ、牢太ろうただ! みづきの初試合の相手を務めさせてもらった馬頭鬼めずきの牢太だっ! また会えて嬉しいぞ!」

「俺の初試合の相手……? あ、ああっ、あのときの馬の鬼さんか……!」

 呆れた冥子の顔と名乗りを上げた得意そうなその顔を見比べ、みづきは驚いた。

 大男の正体は馬頭鬼の牢太であった。
 巨大な鬼の姿ではなく、人間の姿のである。
 冥子にも人間の姿があるのだから、この馬頭の鬼にもそれは同様に当てはまる。

「牢太と呼ぶが良い! みづきとの戦いは文字通り痺れたぞ! また天神回戦の場で相まみえたいものよ!」

 随分と気さくで、暑苦しい笑顔が眩しく光る牢太。
 恐ろしい鬼の姿とは一転し、その容姿は何というか逞しく美しい。

「……なんだよ。冥子にしても牢太にしても、鬼のときと全然違って美男美女揃いじゃねえかよ。異世界の奴らってのは小綺麗な見た目ばっかで何か不公平だ……」

「むむ! 何か言ったか、みづきよ!」

「何でもねえよ、声でかいな!」

「うわっはっはっは! 元気で結構!」

 迫力以外のところでも気後れしてしまい、理由もなくみづきはぼやく。
 特に気にした様子もなく、牢太は調子を変えずに大声で笑っている。

「とはいえ、試合に出られるような万全な状態にはほど遠い! みづきにやられた傷がまだまだ回復してはおらぬ! 見よ、まだ手の震えが止まらん! 満足に得物えものも振るえぬ体たらくよ! 大したものだな、太極天様の御力は!」

 その太い手にはすっかりと元に戻った自慢の武器である、多々良の打った刺叉さすまたがあった。
 みづきに一度は奪われて台無しにされたが、こうして無事に返ってきた。

 しかし、大仰な武器を握る腕が小刻みにぶるぶると震えていた。
 手にすることはできても振り回すにはまだ少しの養生が必要であった。

 シキに目覚めたばかりで、手加減知らずなみづきの太極天の一撃は覿面てきめんに牢太を打ち据えていたのだ。
 と、門に立ちはだかる形で高笑いする牢太を見て、冥子は鬱陶しそうに言った。

「いい加減、そこをどいてくれないかしら。それに、さっき客人と言ったけれど、どうして私たちが来るってわかってたのよ?」

「うむ、冥子よ。今し方戻られた多々良様より、客人があるから出迎えるよう仰せつかったのだ。日和様とみづきが来るとは仰らなかったがな」

 鼻息混じりな牢太の答えに、冥子は一瞬目を丸くしてからため息をついた。
 みづきと日和を連れてきたのも、その発端となったまみおの救済も自分の独断であったというのに、多々良には事の運びがわかっていたようである。

「……流石は多々良様。こうなることはすでに予見済みであられたのね」

「それよりも冥子よ。お前に与えられた役目は、まみお殿の魂を迎えに行くことであったはずだが、これはいったいどういった次第なのだ? 何故、日和様とみづきを共連れに戻ってきたのだ?」

 逆に怪訝そうなのは牢太のほうであった。
 今日にもまみおの神格が潰え、その魂を連れ帰る見通しで重苦しい出立をしたのが今朝のことだった。
 なのに、まみおの魂は見受けられず、代わりに唐突な客人が二人現れた。

「後でわかるわ。その申し開きをするために日和様とみづきは来たんだから」

 要領を得ない牢太をよそに、冥子は後ろの日和とみづきに目線をやる。
 二人の鬼に見つめられ、日和は渋い顔で心底嫌そうにして見せた。
 みづきも冥子と牢太のやり取りを聞いて不機嫌に顔を歪めている。

「……ちっ、何でもお見通しって訳かよ。気にいらねえな」

 多々良という大いなる神の手の平の上で踊っているに過ぎず、自分で決めたはずの気持ちは結局のところ思惑の内であったのはしゃくに障る。
 またぞろ剣呑な雰囲気を醸し出すみづきの衣服の袖を引っ張り、日和ははらはらする思いで釘を刺す。

「みづき、抑えるのじゃ。妙な真似をするでないぞ。ここは天神回戦の試合会場のような中立の場ではない。他ならぬ多々良殿固有の領地なのじゃからな。身勝手は決して許されぬのじゃ。その旨、肝に銘じておくのじゃぞ」

「わかってるよ。ちょっと話をするだけだ」

 一抹の不安を感じる日和を尻目に不機嫌な表情のみづきは、二人の獄卒鬼と共に多々良の神社へと足を踏み入れるのであった。

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